2011年1月 6日 (木)

「S」 5

「S」4からの続き…

 

S助さんのフォークソングバーかぁ。

S助さんはもう十分にお金を持ってはるから、きっとお金儲け主義のお店ではないんやろうな。

カウンター席だけの小さなバーで、奥のスペースでは俺がフォークソングを歌っている。

そこには、夜な夜な、S助さんの仲間達や、40代から60代ぐらいの世代のお客さんがやって来て、俺の歌を酒のあてに昔を懐かしむ。

わー、なんかいいなあ。

しかも、歌に自信の無い俺でも、フォークソング限定で、昔を懐かしむという意味の演奏ならば、なんとかやっていけそうな気がする。

だって、今までだって正しくそういう仕事をしてきたわけやもん。

うん、むしろ適任や。

でも、待てよ。

このバーをオープンさせる夢っていうのは、具体的にいつぐらいの話なんやろう。

俺にはまず世界一周っていう大きな夢があるから、それまでに実現してしまっても困るしなあ。

いや、まさかそんなすぐって話でもないやろうし、覚えてはるかどうかは分からんけど一応S助さんにも前に世界一周の夢は語ったわけやから、一番いいのは、1年以内ぐらいに俺が世界一周に旅立って、そこから帰ってきてからのオープンっていうパターンやな。

しかも、世界一周から帰ってきた後の人生のプランはまだ何にも決まってないから、もしそれが実現したら新しい人生の始まりにもなるかもしれんわけやし。

うわー、なんかすごいなあー。

S助さんと出会ったことで、俺の人生ガラッと変わっていきそうや。

そんでやっぱり、そのバーでは俺だけが専属で歌って、ギャラもS助さんのことやから、他の仕事をしなくてもそれだけで生活していけるぐらいの額を頂けるんやろか。

もしそうやったら、いくら俺が将来歌手を目指す予定や自信が全く無くても、その仕事を続けていくうちにきっとS助さんとの信頼も深まって、そこからS助さんがらみの他の新しい道が生まれる可能性もあるかもしれんしな。

わー、この先の人生、やっぱりなんかワクワクする!

でもまあ、それにはまず、このパニック障害を治して、少しでも早く世界一周を実現させんとな。

よし、頑張ろう!

 

 

 

今考えると、あんなメールのたった一文で、

ギャラがどうこうだとか、人生が変わりそうな気がするだとか、

ほんとに僕は気が狂っていると思う。

どこまで自分に都合のいい、勝手な妄想なんだろう。

まだ何にも始まってすらいないのに…。

 

でも、恥ずかしいかな、これがあの時の僕の現実だったのである。

僕はしばらくの間、本当に妄想の世界を泳いでいた。

僕にとって、それほどS助さんという存在は大きかったのだ。

 

 

 

ただ、実際のS助さんはというと、

やっぱり一般人の僕の妄想なんて軽く超えて、しかもそれが何の意味もなさないほどに、もっともっととんでもない行動力を持っていた。

これが、何事にも一流たる所以なのだろうか。

だって、あのメールからたった2週間ほどしか経たないうちに、さっそく次のこんなメールが届いたんだから…。

 

「今、フォークソングバー実現のために、心斎橋で俺が寿司屋をやっている隣のビルを買いに来てます。安藤忠雄が設計したかっこいいビルです。でも、なかなか交渉が大変ですわ。」

 

 

…ビ、ビル。(汗)

 

 

「S」6につづく…。

 

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2011年1月 5日 (水)

「S」 4

みなさん、新年あけましておめでとうございます。

僕にとって、2010年というのは、前半に長くて暗いトンネルからようやく抜け出すことができて、そこからは正しく「再生」の年でした。

そして、それから丸一年も経たないうちに、僕の最大の夢であり、真っ暗なトンネルからは対極の位置にあるはずの、「世界一周」というものに出発できるまでの状況にやってこられたというのは、本当に奇跡のような事だと思います。

ただ、これからの一年というのは、これまで以上に今までとはとんでもなく落差のある日々が待ち構えているはずなので、正直かなり不安はあるんですが、

それでもせっかくここまできたら、2011年は、僕の人生にとってその名のごとく「飛躍」の年になればいいなと強く願っています。

 

さて、いつになく真面目な新年の挨拶を終えたところで、時間も無いのでさっそくブログの続きを書き始めます。

今日は久しぶりの「S」シリーズです。

 

 

「S」3からの続き…

 

それは、ある日のS助さんからのメールから始まった。

 

「俺は昔から、いつか客にフォークソングを聞かせるようなバーをやりたいと思ってるんやけど、たかゆきくんはどう思いますか?」

 

…ん?

突然何だろう。

でも、そっか、S助さんにはそんな夢があったのか。

 

急な話で何を答えればいいのかよく分からなかったけど、とりあえず僕はその時に思ったことを正直に返信した。

 

「僕の仕事は、40代から60代ぐらいまでの方を対象にした仕事です。そしてずっと肌身で感じてきたことは、「やっぱりフォークソングっていうのはその年代の方には絶大な人気があるなあ」ということ。だからこそ、こんな変わった仕事でも10年近くそれだけで生活してこられたんだと思うんです。
そういうことから考えると、フォークソングバーというのは今はあまり聞き慣れませんが、需要自体はすごくあると思います。
僕が言うのも生意気かもしれませんが、とってもいいんじゃないでしょうか。」

 

「やっぱりそうやんね。俺は、熱い仲間が集まって、歌い手の歌をちゃんと聞いてもらえるようなバーをやりたいんです。せっかく歌ってもちゃんと聞いてもらわれへんのは辛いもんね。
もし実現したら、たかゆきくんそこで歌ってね!」

 

「はい!僕なんかでよかったら、もちろん喜んで!」

 

 

僕は思わず即答していた。

今まで何度かあったお店からのスカウトは頑なに断ってきた僕にとって、別に、S助さんのお店で歌えるということが嬉しかったわけではない。

むしろ、自分の歌そのものには全然自信の無い僕だから、もし本当にそれが実現してしまったら少しややこしいことになってしまうわけで、

それでも僕がS助さんのお願いに対して即答したのは、

S助さんが、自身の夢を実現させるための相棒に僕を選んでくれたということ。

その事実が、一瞬にして僕を高ぶらせ、興奮させたからである。

 

もちろん、それがあくまでもメールの中での雑談であることや、

たとえもし実現したとしても、それがいつの話になるかなんてことは分からないということぐらいは、僕もある程度承知していた。

それでも、妄想癖の激しい僕にとっては、そのメールの一文からだけでも十分に甘美な匂いを感じることができたのだ。

 

 

このメールをきっかけに、その日から完全に浮足立った僕は、しばらくの間自分にとって都合のいい妄想ばかりを始めるようになってしまった。

 

 

「S」5につづく…。

 

 

P.S.

今回かなり短いですが、「S」シリーズはどうしても書くのに時間がかかってしまうのと、今は少しでも更新グセをつけたいということもあって、これからもこんな風に小刻みに書いていくかもしれません。

そして、この「S」シリーズは、特に起承転結を考えて書いているわけではなくて、ただただ自分の中の記憶を順番に文章として記録しているだけという部分もありますので、これからもみなさんどうか軽い気持ちでお付き合いください。

 

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2010年11月30日 (火)

「S」 3

「S」2からの続き…

 

さて、S助さんの50歳の誕生日が近づいた3月のある日、

S助さんから、今日から丸々1週間仕事を休んで石垣島に行ってくるというメールが来た。

なんでも、石垣島で1週間羽を伸ばした後、最終日に仲間内に誕生日のパーティーを開いてもらうらしいのだ。

 

それを読んだ時、正直僕もその仲間内にいつか入れて欲しいなあなんて思ってしまったけど、

それでも、S助さんは、それから数日おきに石垣島からもメールや写メールを送ってくれた。

 

 

ただ、誕生日前日の夜、

S助さんから届いた一通のメールで、事態が急変したことを知る。

そこにはなんと、

今さっき、S助さんの元相方、R介さんが危篤状態になられたので、翌朝一番の飛行機で大急ぎで大阪に戻る

という内容が書かれていたのである…。

 

僕は心底驚いて、しばらく言葉を失った。

そして、もちろんR介さんの容体も心配したが、

失礼ながらそれほど現在のR介さんを知っているわけでもなかったので、それ以上に、僕としては今のS助さんの気持ちの方が心配になった。

だって、わざわざ石垣島まで行った誕生日の前日の夜に、大事な大事な元相方さんが危篤になられたのである。

とても楽しい時間から、突如として深い悲しみへと、あまりにも気持ちの落差が激しすぎるではないか。

 

この後、僕は、なるべくS助さんの負担にならないようにと慎重に言葉を選んでメールを返信した。

でも、S助さんはこんな時でもすぐに、「心配ありがとう」とまたメールを返してくれ、

さらに、日付が変わって、少しだけ誕生日のことに触れたメールを送ると、

「来年は、俺の誕生会たかゆきくんが歌いに来てな。」

と、僕にまで気を使ってくださった。

僕はもう、色んな感情で胸がいっぱいになった。

 

なんで、こんなに辛い時に、ただの一般人の僕なんかに気を使ってくれるんだろう。

というか、そもそも、なんであんなに大事な事を、すぐに僕に知らせてくれたんだろう。

僕はもう、そこまでS助さんに信頼されているんだろうか。

神様、

どうか、R介さんの容体が奇跡的に回復しますように。

S助さんが、深い深い悲しみの底に沈みませんように。

 

 

 

そして、それから一週間が経った4月1日。

残念ながら、R介さんは天国に旅立たれた。

その日のS助さんのメール。

「いっぱい泣いたけど、今から頑張って『オールスター感謝祭』の収録に行ってきます。」

その生放送でも、S助さんは、悲しみを微塵も感じさせないいつも通りキレのある司会であの巨大番組を盛り上げていた。

やっぱり、島田S助さんは、とんでもないTVスターだった。

 

 

 

 

そして、あっというまに日々は過ぎ、夏が近づいてきた。

この頃の僕は、相変わらず時折起こるパニックの恐怖に耐えながらも、なんとか仕事に向かい、少しずつ世界一周のためのお金を貯めようとしていた。

でも、人通りの少ない新しい場所での弾き語りは、初めこそ気合で何とかカバーしていたが、(←「孤独とパニック」の冒頭部分参照)

今となっては、やっぱりパニックや度重なる小さなトラブルもあって、儲け自体は少しずつ減っていき、

その貯金額というのも当初予定していたものには程遠く、それはとてもじゃないけど年末までに世界一周の資金が貯まるようなペースではなかった。

 

あー、俺は、いつになったらお金が貯まって、この仕事から卒業&世界一周に出発できるんやろ…。

もしかして、このパニック障害がずっと治らずに、結局俺は一生世界一周にも旅立たれへんのかな…。

いや、それでもやっぱり諦めたくないなあ。

そうしたら、人生の大きな目標を失ってしまいそうやもん…。

 

 

そんなある日。

S助さんから来た

「俺は昔から、いつか客にフォークソングを聞かせるようなバーをやりたいと思ってるんやけど、たかゆきくんはどう思いますか?」

というメールから、

僕の物語は大きく動き出すことになる…。

 

 

「S」4につづく…。

 

 

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2010年11月25日 (木)

「S」 2

「S」 1からの続き…

 

「この間はどうもありがとう、島田S助です。たかゆきくんはほんとに歌うまいね。またゆっくり話したいから、今度ご飯でも行きましょうね。」

 

「こちらこそ、この間はありがとうございました!しかも、アドレス交換までしていただいて本当に光栄です。是非、今度ご飯をご一緒させていただきたいです。いつでもお誘いください。」

    ・
    ・
    ・
    ・

 

「夜の世界で歌ってきたたかゆきくんは、きっと色んなものを見てきたでしょうね。でも、なぜあの場所で歌ってるんですか?」

 

「これは、軽蔑されようが何をしようが、本当の事なので言わせてもらうと、あの場所で歌っている目的はほぼ『お金』です。やっぱり、夜の飲み屋街でああいったフォークソングなどを歌っていると、40代、50代のサラリーマンの方々が昔を懐かしんでお金を入れてくださるので、
実は僕は、20歳から今まで9年間あの弾き語りだけで生活してきました。

そして、始めた頃はもちろんそれなりの夢を持って歌っていたんですが、2,3年目以降はその夢も諦め、今では完全にこれは仕事だと割り切って逆に強いこだわりを持って歌っています。

でも、もちろん一生この仕事を続けていくわけにはいかないので、今年の末でキリのいい10年目ということもあり、僕も後1年でこの仕事を卒業し、その後の1年間ぐらいは自分へのご褒美として世界一周放浪の旅をして、日本に帰ってきてからまた新しい人生をスタートさせようと考えています。」

 

「世界一周いいね!きっとその20代の10年間は、誰にも真似できないかけがえのない経験でしたね!そして、男は30代になったらがむしゃらに頑張って、40代になったら少しのお金とたくさんの仲間を持っているのが一番だと思います。これから人生一緒に考えていこうね!」

 

 

 

こうして始まったS助さんとのメール交換。

S助さんはほんとにマメにメールをくださる方で、

それからというもの、結構な頻度でメールのやりとりを続けさせてもらった。

 

そしてそれは、

僕にとって、まるで夢のような日々でもあった。

 

 

だって、みなさんも考えてみてほしい。

自分の小さい頃から憧れのスーパースターとのメール交換である。

しかも、時には、家でS助さんが出演しているゴールデンタイムの番組を見て大笑いしている、まさにその時なんかにも、S助さんからメールが届いたりするのである。

生粋のテレビっ子の僕からすると、それがどれだけ現実離れした体験であることか…。

とにかく、その興奮たるや、生半可なものではなかった。

 

僕はいつも、着信音と共に携帯のサブディスプレイに「島田S助さんメール」という文字が表示される度に、

現実から一気に別世界に飛んでしまい、

普段自分が携帯メールを打つのが大の苦手だということもすっかり忘れて、全神経を集中させて夢見心地でメールを返信するのだった。

 

 

そんな中でも、

特に僕を魅了していたのが、初めにS助さんが書いてくださった、

「これから人生一緒に考えていこうね!」

という言葉。

 

あのS助さんが、俺の人生を一緒に考えてくれるのか…。

 

それからしばらくは、その言葉を思い出す度に、僕は熱に浮かされたような気持ちになった。

 

 

 

僕は、周りの友達にもとにかく自慢をした。

誇らしくて仕方がなかったのである。

世間からは認められない、こんな仕事を続けてきた俺が、こんなにすごい人と友達になったんだぞ!

って。

いや、こんな仕事を頑張って続けてきたからこそ、こんなにすごい人と友達になれたんだぞ!

って。

 

しかも、僕は勝手に運命さえも感じていた。

今までたくさん苦しんできたことは、全てここに行きつくためのものだったんじゃないだろうかと。

だって、いつもの僕なら、

「なんで俺みたいなやつなんかと、友達になろうと思ってくれたんだろう?」

って思うところも、今回ばかりは、

「これは全て運命で、出会うべくして出会ったんだ。」

などと、本気で考えていたんだから…。

 

みなさんには、

「芸能人とメル友になったぐらいで、何をそこまで大げさな。」

と笑われるかもしれないが、

僕にとって、この出会いはそれほど大きなものだったのである。

 

 

 

ただ、

それでパニック障害がすぐに良くなっていくっていうことはなかった。

仕事でも、プライベートでも、頻繁に発作は起こっていたし、

相変わらず投薬治療も続けていた。

 

でも、僕はもう決して後ろ向きではなかった。

僕の中では、

S助さんと友達になれたことで、

これからは全てがいい方向に向かっていく気がしていたし、

もしかすると、これからの人生自体が大きく変わるかも、

とさえ考え始めていたから。

  

だから、パニック障害のことも、あえて自分からS助さんには言わなかった。

 

 

 

とにかく、

そんな地に足がつかないような浮ついた日々が、しばらく続いたのである…。

 

 

「S」3につづく…。

 

 

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わーわーわー!
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2010年11月21日 (日)

「S」 1

今日から書き始めるS助さんとのお話について、

みなさんに、初めにどうしても言っておきたいことがあります。

 

えーっとね、なんて説明したらいいんでしょうか、

あまり期待してもらっても申し訳ないので、先に言っちゃいますが、

今回の話っていうのは、あまり楽しい内容のお話ではない上に、僕自身の中では、もうとことん消化しつくした過去の話になってしまっています。

なので、

この話を読んで、僕や他の誰かを非難したり、逆に褒めたり、アドバイスをしたり、

っていうことだけは、どうかしないでほしいんです。

 

でも、もちろん、

僕自身は、自分の人生の記録として、覚えていることは、書ける範囲でなるべく正直に全て書いていこうと思っているので、

あくまでもドキュメンタリーのようなものとして、それがみなさんに少しでも興味のある話になればいいなと思っています。

 

では、

それだけは分かってもらったところで、さっそく始めますね。

わー、ものすごく久しぶりにこの話書くから、なんかめっちゃ緊張するー!

 

あ!すみません!

後もうひとつだけ言うの忘れてた!

えっとね、今回の話は、S助さんの話でありながら、

実は、右のカテゴリー「ノーレイン ノーレインボーのその後」の続きでもあるので、

今日は、まずその続きから始めます。

(結局1回目から、ものすごく暗くて、とんでもなく長いです。苦笑)

 

 

「コンビニ」からの続き…

 

ほんとに僕は、何かの精神的な病気なんだろうか…。

 

そう考えると、やっぱり苦しくて仕方なかったけど、

その日は友達が朝まで一緒に居てくれたおかげで、結局その後、さっきのような発作が起こることはなかった。

 

 

そして、翌朝。

僕は、友達を送ったその足で、昨夜救急隊員に言われた通り、近所の「精神科」に向かった。

もちろん、怯えながら。

なにせ、人生初の精神科である。

そう簡単に受け入れられるものじゃない。

まさか、人生のなかで、自分がそういうところにお世話になる時が来るなんて…。

でも、このまま放っておいて、またあんな発作が起きることを考えると、僕には選択肢なんて無かった。

 

僕は、勇気を振り絞ってその精神科に足を踏み入れた。

 

ただ、この時心のどこかでは、

「ちゃんと精神科で診てもらいさえすれば、きっと優しい先生が僕の話をゆっくり聞いてくれて、発作の原因を突き止めてくれる。

そして、すぐに問題を解決してくれる。」

と、やみくもに信じている部分もあって、

また実際に、そういう考えにすがっている自分もいた。

 

 

でも、現実は全然違った…。

まず朝一だというのに、待合室は混みに混んでいて、1時間ほど待った末にようやく僕を診てくれた先生は、

忙しさからか、僕の話をゆっくりと聞こうなんて姿勢は全くなく、僕が大まかな概要を説明しているだけでも、2,30秒ですぐにその話を断ち切って、

「じゃあ、お薬を出しておくので、しばらくそれを飲んで、また来週にでも来てください。」

とだけ告げたのである。

 

え?

僕は一瞬、耳を疑った。

…もしかして、これで診察が終わりだっていうんだろうか?

 

勇気を振り絞ってやって来たのに…。

僕は、昨夜自分の身に起こった出来事の意味が分からず、本当に怯えているのに…。

 

 

信じられない僕は、少しでも食い下がるために、自分から質問してみた。

 

「え、えっと、お薬っていうのは、安定剤ってことでしょうか…?」

「そうです。」

「えっと、じゃあ、やっぱり、僕には精神的な問題があるってことなんでしょうか…?」

「おそらく、そういうことになりますね。では、お薬をちゃんと飲んでくださいね。」

 

僕はもうそれ以上何も言えなくなって、診察室を出て受付で薬だけ受け取ると、逃げるように病院を飛び出した。

朝の光は眩しい。

 

もう二度と精神科なんかに行くもんか!

あんなので、俺の何が分かるんや!

こんな薬も飲むもんか!

 

 

部屋に戻った頃には、

僕はもうかなりぐったりしてしまっていた。

でも、それと反比例するように、頭の中だけは相変わらず活発に動いていて、さっきの病院でのやり取りがずっと反復されている。

 

「やっぱり、僕には精神的な問題があるってことなんでしょうか…?」

「おそらく、そういうことになりますね。」

 

 

さあ、これから僕は一体どうしていったらいいんだろう。

 

 

20分後。

結局、昨晩から一睡もしていなくて憔悴しきっているのに、いまだに眠ることもできず、さっきから同じ事ばっかりを考えている僕。

でも、そんな時、

突然昨日と同じような発作がまた始まってしまう。

 

…ああ、もう嫌や。

 

 

しかし、

今回の発作も、昨晩と同様、容赦無く僕を飲み込んでいく。

 

 

その時、

あぶら汗をにじませ、もだえ苦しむ僕の目にたまたま飛び込んできたのは、さっき病院でもらった安定剤の袋だった…。

・・・・・・・・・・・。

 

 

みなさんがどうなのかは分からない。

でも、この頃の僕にとっては、安定剤などの向精神薬というのは、精神科と同じく、未知で怖いものというイメージしかなかった。

しかも、この薬の説明書きには、

「脳に直接作用して、不安を和らげたり、気持ちを落ち着かせる」

などと書いてある。

脳に直接作用…。

バカバカしく思うかもしれないが、今のパニック状態の僕には、その言葉のイメージが本当に恐ろしいものに感じたのである。

 

どうしよう、怖すぎる…。

でも、このままじゃまた、どうにかなってしまいそうや…。

でも、やっぱり、恐ろしくて飲めない…。

でも、気が狂って死んでしまいそうや…。

でも、飲めない…。

 

 

極限の緊張状態の中、自問自答を繰り返し、

結局、僕がその安定剤を飲み込んだのは、過呼吸で体全体が完全に硬直してしまう寸前のことだった…。

 

 

…ただ、

事態はそれだけでは終わらなかった。

 

今度は、一瞬のうちに安定剤が効いてきて、

それが僕を支配し始めたのである。

 

なんだか、これだけを聞くと、良いことのように聞こえるかもしれない。

でも、

生まれて初めて飲んだ安定剤の効き方っていうのは、僕の想像していたものとは全く違い、ものすごく恐ろしいものだったのだ。

 

絶対的な「安定」という名のもとに、

急激に体内がクールダウンして、全ての内臓が働きをピタッと止めてしまう感じというか…。

人間としての機能が停止して、「死」に向かっていくイメージというか…。

 

もちろん、今冷静になって考えれば、安定剤を飲んで死んでしまうなんてことは絶対にありえないんだけど、

うまく伝わるかどうか、

とにかく、その時の僕にとっては、それは本当にハッキリと「死」に向かっていくような恐ろしい体験だったのである。

そして、しばらくすると、

あまりにもの苦しみに、僕はうつ伏せ状態で、床に倒れてしまった。

 

一体なんなんや、この薬は…。

このままじゃ死んじゃうやんか…。

恐ろしい、恐ろしい…。

ああ、もう限界や…。

誰か、助けて…。

 

 

僕は床を這いずりながら、携帯電話を探し、震える手でなんとか「119」を押した。

 

「はい、119番です。火事ですか?救急ですか?」

「救急です…。」

「どうされましたか?」

「え、えっと、こ、怖いんで、まず先に住所を言ってもいいですか…。○○区△△□□…。」

「はい、今からそちらに救急車を向かわせますからね。で、どうされました?大丈夫ですか?」

「えっと、さっき安定剤を飲んだら、きゅ、急に体がおかしくなって…」
     
     ・
     ・
     ・
     ・

 

 

ただ、

119番に電話したことで脳が安心したとでもいうのだろうか、

それから救急車が到着するまでの間、

僕のさっきまでの症状は何故だか少しずつ改善していき、

5分後、たまたま鍵が開けっぱなしだったドアから、救急隊員が入ってきた頃には、

僕はもう、ソファーに座れるぐらいまでに回復していて、かなり冷静さも取り戻していた。

 

2日も連続で救急車を呼んでしまった…。

 

 

「大丈夫ですか?」

部屋に入ってきた救急隊員2人は、昨夜とは違う2人だった。

 

「はい、すみません。今は、大分良くなってきました。」

 

「一体、何があったんですか?」

 

僕は、昨夜起こったことや、昨日も救急車を呼んだこと、そしてついさっき起こったことなどを、今一度詳しく隊員に伝えた。

 

「…それで、さっき安定剤を飲んで出た症状っていうのは、薬を飲んでどのくらい経ってからのものでしたか?」

 

「えっと、薬を飲んでからすぐです。」

 

「じゃあ、それは安定剤のせいではないですね。飲み薬っていうのは、服用してから少なくとも15分ぐらい経たないと効いてはこないですから…。」

 

 

・・・・!!!

 

笑いごとではなかった。

そうだ。

確かに、よく考えてみると、薬があんなに早く効くわけがないじゃないか!

じゃあ、安定剤を飲んでからのあの地獄のような苦しみは、全部僕が勝手に作り上げた「幻覚」みたいなものだったっていうのか…!?

確かに、救急隊員が到着してからも、僕はどんどん冷静さを取り戻す一方だ。

 

僕はもう、どうしようもない情けなさやら悲しさで、

自分というものが全く分からなくなっていった…。

 

 

「えっと、じゃあ、あれは幻覚だったっていうことですかね?」

 

「はい、そうですね。その可能性が高いと思います。まあでも、万が一ということもありますから、一応救急車に乗って、内科の方にでも行ってもらいましょうかね。」

 

「いや、大丈夫です。自分でも、もうよく分かりましたから。今は体も大丈夫になりましたし、救急車に乗って内科にだなんて、申し訳なさすぎます…。」

 

「でも、万が一ということもありますので、どうぞ乗ってください。」

 

 

 

そして、救急車の中、

今頃になって本当に効いてきた安定剤の効果っていうのは、とても穏やかで優しくて、

僕は冷静になった頭の中で、ようやく自分は精神的な病気なんだということをハッキリと認識し、理解した。

 

 

 

この後、家からいくらか離れた内科で降ろされた僕は、

ずっと、「申し訳ないです。」「申し訳ないです。」の繰り返しで、

とにかく、先生や看護婦さんに頭を下げてばかりいた。

もちろん、内科で何も見つかるわけもない。

 

病院を出ると、

僕は自分の現実に、もうぐしゃぐしゃになるまで泣きながら、

家までとぼとぼと歩いて帰った。

 

 

次の日から、僕は真面目に「精神科」探しを始めた。

3,4件回った結果、何故だかやっぱりどこにも良い先生と思える人はいなかったけど、

最後にはようやくひとつの病院に決めた。

別にここも良い先生だと思ったわけではないんだけど、

僕はもう早く治療に専念することを選んだのだ。

(最高に優しくて、僕の大好きな恩人「ひよこ先生」に出会うのは、これから何年も後のこと)

 

そして、その病院で僕は、

「パニック障害(不安神経症)」

という病名を告知され、投薬治療をスタートさせた。

 

 

でも、この病気は思った以上に手ごわかった。

いくら病院に通い、毎日薬を飲んでも、

今度は、外出先や、お店、電車内などでも、僕はパニック発作を多発してしまい、

その都度苦しむことになったのである。

 

しかも、正月休みが終わり、仕事を再開させると、

僕は、歌っている最中にも、たまにパニック発作を起こすようになってしまった。

 

もちろん、すぐに安定剤を飲めばいいんだろうけど、

やっぱりいい歌を歌うには、常にテンションを上げておかなければいけないという商売なので、

仕事中に安定剤を飲むっていうのはどうしてもはばかられて、

そんな時は、僕は歌を聴いてくれているお客さんに気付かれないように、死にもの狂いで発作に耐え切るということを繰り返さざるを得なかった。

 

 

しかしそんな中でも、

一番僕を悩ませていたのは、やはり、

世界一周のこと。

せっかく見つけたばかりの大きな大きな夢を前に、なんでこんなことになってしまったんだろう。

この病気が続けば、ほんとに1年後に僕は世界一周に旅立てるんだろうか?

毎日、そんなことばかり考えていた。

 

 

 

実はそんな時期のことなのである。

僕が、島田S助さんに初めて出会ったのは…。

「島田S助さんとの出会い」全4話を参照)

 

 

「S」2へ続く…。

 

 

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