2010年11月19日 (金)

「最終章」

もう日にちがあんまりないので、

今日からこのブログは「最終章」に突入したいと思います。

 

いや、別に最終章っていったって、何かが劇的に変わるわけでもないんですけどね、

とにかくもう、出し惜しみをせずに、今までまだ書いてこなかった全てのことをどんどん書いていこう!

っていう、

みなさんと自分自身への宣言みたいなものです。

 

 

具体的には、

これからどんなことを書いていくつもりなのかというと、

 

・4年以上ずっと続きを書けていなかった、S助さんとの話

 

・ここにはまだ書けていない、この仕事を始めてから十数年間の、自分自身が忘れたくない思い出(大小問わず)

 

・いままで通り、現在の出来事

 

・世界一周についての話

 

など、です。

 

そう、

つまりは、今までのコンセプトとほとんど変わっていないわけですが(笑)、

残りの期間は、特に上の2つのテーマに力を入れたいと思っています。

もちろん、更新のスピードアップは絶対条件で!

 

ただ、

「ほんとに、残りの期間で、これだけのことを書き切ることができるのか?」

と言われると、

正直僕にもそれをハッキリ断言することはできませんが、

それでも、

今から諦めることだけは絶対にしたくないですし、

この大事なブログに悔いが残らないように、精一杯出来る限りのことはするつもりでいます。

 

 

そして、S助さんの話については、

これは大分長い続きものの話になってしまいそうなので、

続きものを書きだすと、いつも極端に更新スピードが落ちてしまう僕としては、

今回は連続で更新していくことはおそらくないと思っています。

つまり、話が次回に続く間に、全く関係のない他の色々な話が入り込むことになるので、

少し読みづらい上に、最終的に完結するのが、ブログの終わりあたりになってしまうかもしれませんが、

その点はどうかご了承ください。

でも、一応右のカテゴリーに、「S」という新しいシリーズを作る予定なので、

もしまとめて一気に読みたいという方がいれば、どうぞそちらも活用してやってください。

 

 

 

とにかく、

今回のこの「最終章」は、今までの更新スピードを考えると、かなりムチャな挑戦のような気もしますし、

S助さんや、大小年月問わずの思い出、現在のことなどが、短い期間に入り乱れるとなると、これからこのブログはかなりカオスなことになっちゃいそうですが、

そこはもう、

「ノーレイン ノーレインボー」の「閉店売り尽くしセール」だ!

ぐらいに思って、

みなさんも、このドタバタに楽しんでお付き合い頂ければと思っています。

そして、これまで通り、応援&温かく見守ってもらえたら、なお嬉しいです!

 

 

そんなわけで、

今日からは、完結に向けたラストスパート、

「ノーレイン ノーレインボー 最終章」

のスタートです!

 

 

P.S.

さて、

少し前に、みなさんに、このブログを宣伝してくれないかという、随分自分勝手なお願いをしましたが、

ネット上でいうと、僕が分かっている範囲では、現在までに10名もの方が、ご自身のページでこのブログを紹介してくださったようです!!

本当に本当にありがとうございます!!

めちゃくちゃ感激しました。

だって、お願いした本人が言うのも変かもしれませんが、自分の大事なスペースで、人のブログの宣伝や紹介をするっていうのは、すごく労力とパワーがいることだと思うんです。

だから、それを考えると、もうほんとに涙がちょちょぎれます。

 

ブログでは、

「浅く多趣味な女の1日1言」の28の女さん、

「pine-pine-pine」のじゅんちさん、

「シングルロ~ド」の愛水さん、

「コビトパンダのブログ」のコビトパンダさん、

「もの思う葦のつぶやき」の葦屋草太さん、

「*M*LIFE」のMAKISEさん、

「夕焼けランプ」のゆんさん。

 

ツイッターやミクシィでは、

たかはしさん、ネロさん、みわいど。さん。

 

他にも、口コミで紹介してくださったという方々。

 

みなさん、本当に心から感謝しています。

残りの期間、僕も頑張りますので、これからもどうぞよろしくお願いします。

あと、もし、私もネットで紹介したのにという方がまだいらっしゃったら、ご連絡いただけると嬉しいです。

 

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2010年11月21日 (日)

「S」 1

今日から書き始めるS助さんとのお話について、

みなさんに、初めにどうしても言っておきたいことがあります。

 

えーっとね、なんて説明したらいいんでしょうか、

あまり期待してもらっても申し訳ないので、先に言っちゃいますが、

今回の話っていうのは、あまり楽しい内容のお話ではない上に、僕自身の中では、もうとことん消化しつくした過去の話になってしまっています。

なので、

この話を読んで、僕や他の誰かを非難したり、逆に褒めたり、アドバイスをしたり、

っていうことだけは、どうかしないでほしいんです。

 

でも、もちろん、

僕自身は、自分の人生の記録として、覚えていることは、書ける範囲でなるべく正直に全て書いていこうと思っているので、

あくまでもドキュメンタリーのようなものとして、それがみなさんに少しでも興味のある話になればいいなと思っています。

 

では、

それだけは分かってもらったところで、さっそく始めますね。

わー、ものすごく久しぶりにこの話書くから、なんかめっちゃ緊張するー!

 

あ!すみません!

後もうひとつだけ言うの忘れてた!

えっとね、今回の話は、S助さんの話でありながら、

実は、右のカテゴリー「ノーレイン ノーレインボーのその後」の続きでもあるので、

今日は、まずその続きから始めます。

(結局1回目から、ものすごく暗くて、とんでもなく長いです。苦笑)

 

 

「コンビニ」からの続き…

 

ほんとに僕は、何かの精神的な病気なんだろうか…。

 

そう考えると、やっぱり苦しくて仕方なかったけど、

その日は友達が朝まで一緒に居てくれたおかげで、結局その後、さっきのような発作が起こることはなかった。

 

 

そして、翌朝。

僕は、友達を送ったその足で、昨夜救急隊員に言われた通り、近所の「精神科」に向かった。

もちろん、怯えながら。

なにせ、人生初の精神科である。

そう簡単に受け入れられるものじゃない。

まさか、人生のなかで、自分がそういうところにお世話になる時が来るなんて…。

でも、このまま放っておいて、またあんな発作が起きることを考えると、僕には選択肢なんて無かった。

 

僕は、勇気を振り絞ってその精神科に足を踏み入れた。

 

ただ、この時心のどこかでは、

「ちゃんと精神科で診てもらいさえすれば、きっと優しい先生が僕の話をゆっくり聞いてくれて、発作の原因を突き止めてくれる。

そして、すぐに問題を解決してくれる。」

と、やみくもに信じている部分もあって、

また実際に、そういう考えにすがっている自分もいた。

 

 

でも、現実は全然違った…。

まず朝一だというのに、待合室は混みに混んでいて、1時間ほど待った末にようやく僕を診てくれた先生は、

忙しさからか、僕の話をゆっくりと聞こうなんて姿勢は全くなく、僕が大まかな概要を説明しているだけでも、2,30秒ですぐにその話を断ち切って、

「じゃあ、お薬を出しておくので、しばらくそれを飲んで、また来週にでも来てください。」

とだけ告げたのである。

 

え?

僕は一瞬、耳を疑った。

…もしかして、これで診察が終わりだっていうんだろうか?

 

勇気を振り絞ってやって来たのに…。

僕は、昨夜自分の身に起こった出来事の意味が分からず、本当に怯えているのに…。

 

 

信じられない僕は、少しでも食い下がるために、自分から質問してみた。

 

「え、えっと、お薬っていうのは、安定剤ってことでしょうか…?」

「そうです。」

「えっと、じゃあ、やっぱり、僕には精神的な問題があるってことなんでしょうか…?」

「おそらく、そういうことになりますね。では、お薬をちゃんと飲んでくださいね。」

 

僕はもうそれ以上何も言えなくなって、診察室を出て受付で薬だけ受け取ると、逃げるように病院を飛び出した。

朝の光は眩しい。

 

もう二度と精神科なんかに行くもんか!

あんなので、俺の何が分かるんや!

こんな薬も飲むもんか!

 

 

部屋に戻った頃には、

僕はもうかなりぐったりしてしまっていた。

でも、それと反比例するように、頭の中だけは相変わらず活発に動いていて、さっきの病院でのやり取りがずっと反復されている。

 

「やっぱり、僕には精神的な問題があるってことなんでしょうか…?」

「おそらく、そういうことになりますね。」

 

 

さあ、これから僕は一体どうしていったらいいんだろう。

 

 

20分後。

結局、昨晩から一睡もしていなくて憔悴しきっているのに、いまだに眠ることもできず、さっきから同じ事ばっかりを考えている僕。

でも、そんな時、

突然昨日と同じような発作がまた始まってしまう。

 

…ああ、もう嫌や。

 

 

しかし、

今回の発作も、昨晩と同様、容赦無く僕を飲み込んでいく。

 

 

その時、

あぶら汗をにじませ、もだえ苦しむ僕の目にたまたま飛び込んできたのは、さっき病院でもらった安定剤の袋だった…。

・・・・・・・・・・・。

 

 

みなさんがどうなのかは分からない。

でも、この頃の僕にとっては、安定剤などの向精神薬というのは、精神科と同じく、未知で怖いものというイメージしかなかった。

しかも、この薬の説明書きには、

「脳に直接作用して、不安を和らげたり、気持ちを落ち着かせる」

などと書いてある。

脳に直接作用…。

バカバカしく思うかもしれないが、今のパニック状態の僕には、その言葉のイメージが本当に恐ろしいものに感じたのである。

 

どうしよう、怖すぎる…。

でも、このままじゃまた、どうにかなってしまいそうや…。

でも、やっぱり、恐ろしくて飲めない…。

でも、気が狂って死んでしまいそうや…。

でも、飲めない…。

 

 

極限の緊張状態の中、自問自答を繰り返し、

結局、僕がその安定剤を飲み込んだのは、過呼吸で体全体が完全に硬直してしまう寸前のことだった…。

 

 

…ただ、

事態はそれだけでは終わらなかった。

 

今度は、一瞬のうちに安定剤が効いてきて、

それが僕を支配し始めたのである。

 

なんだか、これだけを聞くと、良いことのように聞こえるかもしれない。

でも、

生まれて初めて飲んだ安定剤の効き方っていうのは、僕の想像していたものとは全く違い、ものすごく恐ろしいものだったのだ。

 

絶対的な「安定」という名のもとに、

急激に体内がクールダウンして、全ての内臓が働きをピタッと止めてしまう感じというか…。

人間としての機能が停止して、「死」に向かっていくイメージというか…。

 

もちろん、今冷静になって考えれば、安定剤を飲んで死んでしまうなんてことは絶対にありえないんだけど、

うまく伝わるかどうか、

とにかく、その時の僕にとっては、それは本当にハッキリと「死」に向かっていくような恐ろしい体験だったのである。

そして、しばらくすると、

あまりにもの苦しみに、僕はうつ伏せ状態で、床に倒れてしまった。

 

一体なんなんや、この薬は…。

このままじゃ死んじゃうやんか…。

恐ろしい、恐ろしい…。

ああ、もう限界や…。

誰か、助けて…。

 

 

僕は床を這いずりながら、携帯電話を探し、震える手でなんとか「119」を押した。

 

「はい、119番です。火事ですか?救急ですか?」

「救急です…。」

「どうされましたか?」

「え、えっと、こ、怖いんで、まず先に住所を言ってもいいですか…。○○区△△□□…。」

「はい、今からそちらに救急車を向かわせますからね。で、どうされました?大丈夫ですか?」

「えっと、さっき安定剤を飲んだら、きゅ、急に体がおかしくなって…」
     
     ・
     ・
     ・
     ・

 

 

ただ、

119番に電話したことで脳が安心したとでもいうのだろうか、

それから救急車が到着するまでの間、

僕のさっきまでの症状は何故だか少しずつ改善していき、

5分後、たまたま鍵が開けっぱなしだったドアから、救急隊員が入ってきた頃には、

僕はもう、ソファーに座れるぐらいまでに回復していて、かなり冷静さも取り戻していた。

 

2日も連続で救急車を呼んでしまった…。

 

 

「大丈夫ですか?」

部屋に入ってきた救急隊員2人は、昨夜とは違う2人だった。

 

「はい、すみません。今は、大分良くなってきました。」

 

「一体、何があったんですか?」

 

僕は、昨夜起こったことや、昨日も救急車を呼んだこと、そしてついさっき起こったことなどを、今一度詳しく隊員に伝えた。

 

「…それで、さっき安定剤を飲んで出た症状っていうのは、薬を飲んでどのくらい経ってからのものでしたか?」

 

「えっと、薬を飲んでからすぐです。」

 

「じゃあ、それは安定剤のせいではないですね。飲み薬っていうのは、服用してから少なくとも15分ぐらい経たないと効いてはこないですから…。」

 

 

・・・・!!!

 

笑いごとではなかった。

そうだ。

確かに、よく考えてみると、薬があんなに早く効くわけがないじゃないか!

じゃあ、安定剤を飲んでからのあの地獄のような苦しみは、全部僕が勝手に作り上げた「幻覚」みたいなものだったっていうのか…!?

確かに、救急隊員が到着してからも、僕はどんどん冷静さを取り戻す一方だ。

 

僕はもう、どうしようもない情けなさやら悲しさで、

自分というものが全く分からなくなっていった…。

 

 

「えっと、じゃあ、あれは幻覚だったっていうことですかね?」

 

「はい、そうですね。その可能性が高いと思います。まあでも、万が一ということもありますから、一応救急車に乗って、内科の方にでも行ってもらいましょうかね。」

 

「いや、大丈夫です。自分でも、もうよく分かりましたから。今は体も大丈夫になりましたし、救急車に乗って内科にだなんて、申し訳なさすぎます…。」

 

「でも、万が一ということもありますので、どうぞ乗ってください。」

 

 

 

そして、救急車の中、

今頃になって本当に効いてきた安定剤の効果っていうのは、とても穏やかで優しくて、

僕は冷静になった頭の中で、ようやく自分は精神的な病気なんだということをハッキリと認識し、理解した。

 

 

 

この後、家からいくらか離れた内科で降ろされた僕は、

ずっと、「申し訳ないです。」「申し訳ないです。」の繰り返しで、

とにかく、先生や看護婦さんに頭を下げてばかりいた。

もちろん、内科で何も見つかるわけもない。

 

病院を出ると、

僕は自分の現実に、もうぐしゃぐしゃになるまで泣きながら、

家までとぼとぼと歩いて帰った。

 

 

次の日から、僕は真面目に「精神科」探しを始めた。

3,4件回った結果、何故だかやっぱりどこにも良い先生と思える人はいなかったけど、

最後にはようやくひとつの病院に決めた。

別にここも良い先生だと思ったわけではないんだけど、

僕はもう早く治療に専念することを選んだのだ。

(最高に優しくて、僕の大好きな恩人「ひよこ先生」に出会うのは、これから何年も後のこと)

 

そして、その病院で僕は、

「パニック障害(不安神経症)」

という病名を告知され、投薬治療をスタートさせた。

 

 

でも、この病気は思った以上に手ごわかった。

いくら病院に通い、毎日薬を飲んでも、

今度は、外出先や、お店、電車内などでも、僕はパニック発作を多発してしまい、

その都度苦しむことになったのである。

 

しかも、正月休みが終わり、仕事を再開させると、

僕は、歌っている最中にも、たまにパニック発作を起こすようになってしまった。

 

もちろん、すぐに安定剤を飲めばいいんだろうけど、

やっぱりいい歌を歌うには、常にテンションを上げておかなければいけないという商売なので、

仕事中に安定剤を飲むっていうのはどうしてもはばかられて、

そんな時は、僕は歌を聴いてくれているお客さんに気付かれないように、死にもの狂いで発作に耐え切るということを繰り返さざるを得なかった。

 

 

しかしそんな中でも、

一番僕を悩ませていたのは、やはり、

世界一周のこと。

せっかく見つけたばかりの大きな大きな夢を前に、なんでこんなことになってしまったんだろう。

この病気が続けば、ほんとに1年後に僕は世界一周に旅立てるんだろうか?

毎日、そんなことばかり考えていた。

 

 

 

実はそんな時期のことなのである。

僕が、島田S助さんに初めて出会ったのは…。

「島田S助さんとの出会い」全4話を参照)

 

 

「S」2へ続く…。

 

 

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2010年11月22日 (月)

TV

そういえば、少しばかり前の話なんだけど、

僕が仕事をしていたら、テレビ局の取材クルーが僕に話しかけてきた。

 

「えっと、わたしたちは、『秘密のケンミンSHOW』というテレビ番組のものなんですが、

実は今、

「大阪府民は、飲み屋では必ずやしきたかじんの『東京』を歌う」

というケンミン性を取材していまして、

先ほどお兄さんのリクエスト表を見せてもらったら、『東京』もレパートリーにあったので、

よかったらこれから、お兄さんが『東京』を歌ってる姿を撮らせていただけないかと思いまして。」

 

 

なるほど、それでさっきから彼らが何度か目の前を通った時に、その中の一人が僕のリクエスト表を熱心に見てたわけか…。

そして、彼らの言い分もよく理解できる。

だって、もし僕が逆の立場だったら、そんなテーマの取材の際に、飲み屋街のストリートミュージシャンまでもが「東京」を歌っている画を撮れたら、大収穫じゃないか。

 

 

でも、僕は絶対にイヤだ。

だって、何度も言ってるように、僕は何もストリートミュージシャンとして有名になりたくてこの仕事をしているわけではなくて、ただ単に「お金」を目的に弾き語りをしているだけだから、テレビに少し映ったところで、僕には何のメリットも無いのだ。

しかも、「秘密のケンミンSHOW」っていう番組内容を考えてみると、きっと僕は、スタジオ内でも、

「ほら、大阪ではストリートミュージシャンの兄ちゃんまで『東京』を歌ってらぁ!ワハハハハ!!」

みたいな、ストリートミュージシャンなら僕以外でも誰でもいい、おちょくり目線でのVTRの使い方をされるに決まっている。
   ↑
(被害妄想。笑)

僕だってこの仕事には強いプライドがあるから、

そんな、こっちが必死に歌っているのを、みんなに笑われるようなピエロにはなりたくない。

 

 

というわけで、

僕は丁重にその依頼をお断りしたんだけど、

敵もなかなかしぶとかった。

 

「なんでダメなんでしょうか?」

「いや、僕にも色々事情がありまして…。」

「お顔が映るのが都合悪いんでしょうか?それなら、後ろから撮るなどして工夫させてもらいますし。」

「いや、そんなんじゃないんですけど、ここで撮られるのはちょっと…。」

「もし場所が分かっちゃうのが嫌だとおっしゃるなら、それも工夫させてもらいますし。」

「…えっと、他のストリートミュージシャンじゃダメなんですか?探せば、どこかにいると思いますよ。」

「いや、どうしてもお兄さんがいいんです。」

 

多分、彼らからしたら、有名になりたい・目立ちたいはずのストリートミュージシャンなのに、テレビに映りたくないっていうのがどうしても信じられないんだろう。

しかも、彼らのそういう画が撮りたいっていう気持ちも分かるだけに、僕が少し遠まわし的に断ってしまったことで、余計に説得に時間が掛かってしまった。

 

そしてこの後、結局この時は彼らも根負けしてようやく立ち去っていったんだけど、

なんと彼らは、その後20分置きぐらいに、3回も4回も僕を説得し直しに来たのである。

「どうしても、ダメですか?」って。

きっと、他に「東京」を歌うようなストリートミュージシャンが近くでは見つからなかったんだろうけど、

ここまでされると、なんかちょっと、僕が悪いことをしてるような気分になった…。(苦笑)

 

 

 

そして、

それから1週間後のこと。

 

その日、僕は、東京から遊びに来ていた友達と2人で、心斎橋の商店街を自転車で走っていた。
(良い子のみんな。商店街では、自転車は押して歩こうね☆)

すると、道の前方に、テレビカメラ一台とそのスタッフが…。

良く見ると、

なんと奇跡的に、この前と全く同じ取材クルーではないか!

 

僕がビックリして自転車を止めると、あちらも僕に気付いた。

 

「わお!この前のお兄さん!こんなところで何をされてるんですか!」

「いや、ちょっと友達と自転車でブラブラしててね。っていうか、こんなとこでまた会うなんてビックリですね!そんで、この間はなんかすみませんでした…。」

「いえいえ、こちらこそ、お忙しい中しつこくお願いしてしまって、申し訳ありませんでした。」

「いや、とんでもないです。ところで、これってまた『ケンミンSHOW』かなんかの取材ですか?」

「そうなんですよ。今日は大阪府民の『トイレットペーパー』に関するインタビューをしてましてね。」

「へえー。そうなんやー。大変ですね。」

「…というか、やっぱり今日もお兄さんにインタビューなんかしちゃダメですよね?」

「え?いや、全然オッケーっすよ!むしろ、こっちからお願いしたいぐらいの勢いです。」

「え!?ほんとにいいんですか?」

 

 

…みなさんの、

「一体、どっちやねん!お前は!」

という心のツッコミはよく分かります。(笑)

 

でも、これだけは言わせてもらうと、

何を隠そう僕は、テレビ大好きミーハー野郎なんです!!

てへ。

 

幼い時から僕は、ずっとテレビばっかりを見て育ちましたし、

実は、短い大学生活でもマスコミ学科を専攻していたほどです。

だから、

この前だって、あくまでも仕事をしている僕を撮られるのがどうしても嫌だっただけで、

今日みたいなプライベートなら、何の問題もナッシングで、

逆に嬉しいくらいなわけです。

 

しかも、友達と全国放送のテレビに映るなんて、超楽しそう☆

なあ、けんしろう(友達の名前)!

大阪に遊びに来た記念になるよな!

 

 

 

で、

撮影は始まった。

心斎橋の商店街の隅で、カメラの前で満面の笑顔で並ぶ僕とけんしろう。

そして、僕ら2人にマイクを向ける、顔の映らないインタビュアー兼スタッフ。

 

「では、始めますね。」

「はい!!」

 

まず、マイクは僕の方に向けられた。

 

「すみません。あなたは、普段トイレットペーパーは何を使っていますか?」

「え?何をって、シングルかダブルかってことですか?」

「そうです。」

「あ、それなら、ダブルですね。」

 

スタッフの顔が少しこわばる。

 

…あ、俺、答え、間違えたかも。

だって、「ケンミンSHOW」で大阪府民へのインタビューってことは、

きっと、「大阪人はケチやから、みんなトイレットペーパーはシングルを使っている」的な趣旨なんだろうから…。

(注;何も僕が「シングル=ケチ」だと思ってるわけじゃないですよ。あくまでもテレビ的な捉え方としてです。)

ああ、このままじゃ絶対にオンエアーに採用されへん…。

嘘でも、すぐに機転きかせて、「シングル」って答えればよかった…。

しかも、ずっと前に、きっこさんのブログで「時代はシングル」って日記読んでたのに…。

なんであれから素直に「シングル」使ってないねん、俺!

アホ、アホ、俺のアホー!

あー、テレビ出たいーー!!

 

 

しかし、僕の横では、

次に同じ質問を受けたけんしろうも、笑顔で元気よく、

「僕もダブルです!」

と答えている。

(↑そもそも、東京人)

 

終わった…。(笑)

 

 

この後、

スタッフから、究極の苦笑いで

「ご協力ありがとうございました…」

と言われて、その場を去った僕達は、

2人の心を代弁するかのごとく突然降り出した大雨の中、

傘も差さずに自転車で心斎橋の街をさまよい続けたのであった…。(涙)

 

完。

 

 

いやー、

テレビに出るのって、難しいね☆

 

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2010年11月23日 (火)

浪速のモーツァルト

昨日の話の前半部分で、僕は、仕事をしているところをテレビに撮られたくないというようなことを書いたけど、

そう思っているのには実は理由がある。

 

それは、僕がこの仕事を始めてほんとに間もない頃の話。

ある雑誌社の人が僕のところをたまたま通りかかって、

「今、ストリートミュージシャンの取材をしているので、お話を聞かせてもらえませんか?」

という趣旨のことを言ってきたのだ。

その頃の僕は、もちろんまだ、将来プロの歌手になりたいだとか、有名になりたいだとか、本気で思っていたし、

そもそも取材というものを受けること自体が初めての経験だったので、

喜び勇んでその取材を引き受けた。

 

そして、1時間ほど仕事を中断させて、

何もかも洗いざらい、自分のこのストリートスタイルについて熱弁をふるう僕。

雑誌社の人も、「おもしろい、おもしろい」と言って、それを熱心に聞いてくれた。

 

僕は大満足だった。

自分の仕事のこだわりを人に話すのがこんなに楽しいものだとは。

しかも、それが雑誌に載るだなんて!

これだけ興味を持ってくれてるということは、もしかしたら、何かのきっかけになるかもしれないし…。

うふふ。

 

 

でも、現実は、想像していたものとは大きく違った…。

  

楽しみにしていたその雑誌の発売日に、さっそく中を見てみると、

そこに載ってあった僕の扱いというのは、驚くほど小さいもので、

しかも、その紹介文には、ほんの一文、あの取材とは全く関係のない僕を小馬鹿にしたような言葉が書いてあっただけだったのだ…。

 

 

…悔しかった。

そして、ほんとにショックだった。

 

そりゃあ、自分たちの雑誌に何を書こうと、それはその雑誌社の勝手かもしれない。

でも、なんで、取材をお願いされた側の人間が、こんなに傷付かなきゃいけないんだろう…。

しかも、僕の大事な仕事のことで…。

 

 

その時から、僕の頭には、マスコミの取材なんていうのはそんなものだという先入観が植え付けられ、

以来、僕は、この仕事において、どんな取材をお願いされても、できるだけ断るようにしてきたというわけなのだ。
(ブログに関してはまた別の話)

 

 

 

でも、1回だけ例外があった。

それは、僕がこの仕事を始めてから4年ほどたったある日。

 

その夜も、僕が歌ってる最中に、ある雑誌のライターさんが取材をお願いしてきたんだけど、

その人はなんと、どこからか噂を聞いて、わざわざ僕を訪ねてきたというのだ。

しかも、その取材内容というのが、

キダ・タロー先生に、関西のストリートミュージシャンを評価してもらう」

というものだったのである。

 

 

…いや、あのね、

これって、関西の方にしか分かってもらえないかもしれないですが、

関西に住む人間にとって、キダ・タロー先生っていうのは、

昔から「浪花(なにわ)のモーツァルト」と呼ばれるぐらいの、

音楽の大先生なわけです。

しかも、その歯に衣着せぬトークでバラエティ番組などでも大活躍、

関西テレビ界の人気者でもあるんです。

 

 

そのキダ先生が、ストリートミュージシャンを評価…。

正直、僕も、その企画はちょっと面白そうだなと思ってしまった。

あの辛口のキダ先生が、先生にはあまり似つかわしくない「ストリートミュージシャン」なんかをどう評価するんだろう、って。

先生になら、辛口でもいいから、一度評価されてみたいかも、って。

 

 

でも、さっきも言ったように、僕には雑誌に対する強いトラウマがあるから、

いくらわざわざ僕を訪ねて来てくれたとはいえ、

いくら企画が面白そうだとはいえ、

結局は、やっぱりその時も丁重にお断りすることにした。

 

ただ、

相手も、わざわざ僕を訪ねてきたということもあって、なかなか引き下がらない。

仕方がないので、僕は、3年前の出来事を正直に話すことにした。

すると、そのライターさんは、僕の話にすごく同情を示してくれて、

「私は、是非お兄さんにということでここに来させてもらったわけで、この仕事にプライドも持っているので、最後までキチンと責任を持たせてもらいますし、そんな失礼な記事は絶対に書きません。」

と力強く言ってくれたのである。

 

うーん、でもなあ…。

 

すると、

「じゃあ、また日を改めて伺わせてもらいますので、その時までにゆっくりと考えていただけますでしょうか。」

などとも言ってくれる。

 

ああ、俺ごときに、なんでそこまでこだわるんや…。

 

 

そして、いつも強い押しにめっぽう弱い僕は、

後日もう一度このライターさんが訪ねて来てくれた時、

結局、この取材を承諾させてもらったのである。

 

たとえ、どんな辛口なことを言われようと、

キダ・タロー先生に、歌を評価してもらう機会なんて、今後絶対にないわけだし…。

 

 

 

さあさあ、そんなわけで、

いつも通り偉そうな前置きを長々としてまいりましたが、

結局、今日は一体何が言いたかったのかというと、

僕は昔、「週刊SPA!」で、キダ・タロー先生に歌を評価してもらったよ!

っていう、ただの自慢話です。

ええ、それだけです。

 

でも、これも確かに、この10数年で忘れたくない思い出のひとつなんです。

だから、たまにはこんなのも許してね

 

 

じゃあ、さっそくその記事の中身を写真を使って紹介!

って、いいたいところですが、

記事内には、僕の本名とか歌ってる場所が書いてあるので、

今回は、拡大できないような全体像だけ載せておきますね。

後は、僕が記事を適当に書き写します。

 

Img_6666s_3

Img_6665s_3

 

まず、記事の題名が、

「浪花のモーツァルトが斬る!大阪路上ミュージックシーン」

 

この中で、キダ先生は、色々な大阪の路上ミュージシャンをバッサバッサと斬っていくわけです。

例えば、若い3人組の男の子には、

「彼らはまさに今どきの上昇志向型。とくにアカペラがうまい。作詞作曲、歌声も絶妙やけど慢心したらアカン。そんだけ唄えるんやったら、ほかの曲ももっと練習せんかい!」

 

飲み屋街で演歌を歌う、流しのおじさんには、

「この人は過去への郷愁型。年寄りの遊びですね。メロディ、リズムがワヤでもそれはそれで味がある。ただ、もっとデカイ声で唄ってくれんと聞こえへんわ!」

 

駅前で、ディジョリドゥというアボリジニの笛を吹く若者には、

「彼は自己陶酔型。珍しい楽器持ってせっかく街頭でやるんやから、手の動きで感情込めたりしてほしいなあ。カラダに動きがないと飽きる。こんなでっかい笛持って動くのも大変やろけど(笑)」

と。

 

そして、ここからがビックリ。

僕も、初めは、どういう評価をされてるのか全く知らなかったので、

これを読んだ時、腰を抜かしそうになりました。

えっと、ここからは、ほぼ丸写ししますね。

 

『そのなか、キダ・タロー先生が思わず唸ったのがたかゆきさん(24歳)。

「ボクの店に歌を聴きに来た、という感覚で楽しんでもらえたらいい」と淡々と語る彼は、○○というさまざまな人間ドラマがくり広げられる街で、井上陽水や河島英五などの曲を情感たっぷりに歌いあげ、○○の夜を盛り上げる。

プロ志向でも趣味でやってるわけでもない。あくまでも食べるための手段として、弾き語りを選んだという。

「このコは大阪一や」と、彼の歌声が聴きたいばかりに、わざわざ足を運ぶ常連のサラリーマンも多い。

「力強い声といい、歌いあげる顔の表情といい、カネ払ってでも聴く価値はある。聴きたい奴は聴けっていう堂々とした歌いっぷりもええ。昔は、やしきたかじんも○○でケンカしながらでも堂々と廻りよったからね。やっぱり路上ミュージックたるもの、これぐらいクオリティが高くないと」

と、キダ・タロー先生は珍しく絶賛した。』

 

 

…ひ、ひ、ひえーーーーー!!!

あ、あの、キダ先生がーーーー!!!

コロッケでもほとんど褒められたことのない、

あのキダ先生がーーー!!!

とーれとーれ、ぴーちぴーち、カニ料理がーーーー!!!

 

 

おかーさーん!!

あんたの息子、

浪花のモーツァルトに褒められたでー!!

よかったなー!!

そんでなー、

「SPA!」ってエロ本ちゃうからなー!!

素晴らしい雑誌やでー!!

 

 

あー、スッキリした。

ええ、今回ほんとこれだけです。

 

 

以上、

昔々、僕の声がちゃんと出ていた頃の自慢話でした☆

 

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2010年11月25日 (木)

「S」 2

「S」 1からの続き…

 

「この間はどうもありがとう、島田S助です。たかゆきくんはほんとに歌うまいね。またゆっくり話したいから、今度ご飯でも行きましょうね。」

 

「こちらこそ、この間はありがとうございました!しかも、アドレス交換までしていただいて本当に光栄です。是非、今度ご飯をご一緒させていただきたいです。いつでもお誘いください。」

    ・
    ・
    ・
    ・

 

「夜の世界で歌ってきたたかゆきくんは、きっと色んなものを見てきたでしょうね。でも、なぜあの場所で歌ってるんですか?」

 

「これは、軽蔑されようが何をしようが、本当の事なので言わせてもらうと、あの場所で歌っている目的はほぼ『お金』です。やっぱり、夜の飲み屋街でああいったフォークソングなどを歌っていると、40代、50代のサラリーマンの方々が昔を懐かしんでお金を入れてくださるので、
実は僕は、20歳から今まで9年間あの弾き語りだけで生活してきました。

そして、始めた頃はもちろんそれなりの夢を持って歌っていたんですが、2,3年目以降はその夢も諦め、今では完全にこれは仕事だと割り切って逆に強いこだわりを持って歌っています。

でも、もちろん一生この仕事を続けていくわけにはいかないので、今年の末でキリのいい10年目ということもあり、僕も後1年でこの仕事を卒業し、その後の1年間ぐらいは自分へのご褒美として世界一周放浪の旅をして、日本に帰ってきてからまた新しい人生をスタートさせようと考えています。」

 

「世界一周いいね!きっとその20代の10年間は、誰にも真似できないかけがえのない経験でしたね!そして、男は30代になったらがむしゃらに頑張って、40代になったら少しのお金とたくさんの仲間を持っているのが一番だと思います。これから人生一緒に考えていこうね!」

 

 

 

こうして始まったS助さんとのメール交換。

S助さんはほんとにマメにメールをくださる方で、

それからというもの、結構な頻度でメールのやりとりを続けさせてもらった。

 

そしてそれは、

僕にとって、まるで夢のような日々でもあった。

 

 

だって、みなさんも考えてみてほしい。

自分の小さい頃から憧れのスーパースターとのメール交換である。

しかも、時には、家でS助さんが出演しているゴールデンタイムの番組を見て大笑いしている、まさにその時なんかにも、S助さんからメールが届いたりするのである。

生粋のテレビっ子の僕からすると、それがどれだけ現実離れした体験であることか…。

とにかく、その興奮たるや、生半可なものではなかった。

 

僕はいつも、着信音と共に携帯のサブディスプレイに「島田S助さんメール」という文字が表示される度に、

現実から一気に別世界に飛んでしまい、

普段自分が携帯メールを打つのが大の苦手だということもすっかり忘れて、全神経を集中させて夢見心地でメールを返信するのだった。

 

 

そんな中でも、

特に僕を魅了していたのが、初めにS助さんが書いてくださった、

「これから人生一緒に考えていこうね!」

という言葉。

 

あのS助さんが、俺の人生を一緒に考えてくれるのか…。

 

それからしばらくは、その言葉を思い出す度に、僕は熱に浮かされたような気持ちになった。

 

 

 

僕は、周りの友達にもとにかく自慢をした。

誇らしくて仕方がなかったのである。

世間からは認められない、こんな仕事を続けてきた俺が、こんなにすごい人と友達になったんだぞ!

って。

いや、こんな仕事を頑張って続けてきたからこそ、こんなにすごい人と友達になれたんだぞ!

って。

 

しかも、僕は勝手に運命さえも感じていた。

今までたくさん苦しんできたことは、全てここに行きつくためのものだったんじゃないだろうかと。

だって、いつもの僕なら、

「なんで俺みたいなやつなんかと、友達になろうと思ってくれたんだろう?」

って思うところも、今回ばかりは、

「これは全て運命で、出会うべくして出会ったんだ。」

などと、本気で考えていたんだから…。

 

みなさんには、

「芸能人とメル友になったぐらいで、何をそこまで大げさな。」

と笑われるかもしれないが、

僕にとって、この出会いはそれほど大きなものだったのである。

 

 

 

ただ、

それでパニック障害がすぐに良くなっていくっていうことはなかった。

仕事でも、プライベートでも、頻繁に発作は起こっていたし、

相変わらず投薬治療も続けていた。

 

でも、僕はもう決して後ろ向きではなかった。

僕の中では、

S助さんと友達になれたことで、

これからは全てがいい方向に向かっていく気がしていたし、

もしかすると、これからの人生自体が大きく変わるかも、

とさえ考え始めていたから。

  

だから、パニック障害のことも、あえて自分からS助さんには言わなかった。

 

 

 

とにかく、

そんな地に足がつかないような浮ついた日々が、しばらく続いたのである…。

 

 

「S」3につづく…。

 

 

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2010年11月26日 (金)

てっちゃん

忘れられない人がいる。

 

もう何年も前の冬の話。

僕が歌っていた場所の数十メートル先に、「ファーストキッチン」というハンバーガー屋さんがあった。

そこの営業時間は、午前4時までで、

毎日営業が終わりに近づくと、売れ残ったハンバーガーやポテトなどが、大量に店の前に生ゴミとして出されていた。

 

そしてその冬、僕が歌う場所の周りには、

その売れ残りの食糧を求めて、いつも決まって3人のホームレスのおっちゃん達が座っていた。

ゴミ収集車が回収してしまう前に食料を確保するために、

お店が見える場所でずっと待機していたのである。

 

10代のころからずっと野外で歌っている僕にとっては、ホームレスの方に対する壁は低く、

僕が、毎日顔を合わすこのおっちゃん達と仲良くなるのにも大して時間はかからなかった。

 

 

しばらくすると、

僕は、おっちゃん達から下の名前を聞き出し、3人それぞれに勝手にあだ名を付けた。

 

3人のリーダー格で、

豊かな黒ヒゲをたくわえた男前、「てっちゃん」。

背が小さくて、なんともいえない愛嬌がある、「よっちゃん」。

小太りで、一番おとなしい、「しょうちゃん」。

 

みんな、50代前半らしかったが、

日々の生活から来る、その哀愁というか、面持ちで、一様にもっと上の年齢に見えた。

 

 

でも、そんな中でも、

「てっちゃん」だけは、どこかに貫禄のようなものも併せ持っていて、

その男前さも相まってか、

もしビシッとしたスーツなんかを着て、髪の毛やヒゲを整えたなら、

どこかの一流企業の社長さんと見間違えてしまうんじゃないかというほど、不思議な風格をいつも漂わせていた。

本人いわく、昔は世界中の港を周る船乗りだったらしい。

 

なんで、この人は、ホームレスになってしまったんだろう…。

 

 

てっちゃんは、いつも何かしらの本を読んでいた。

そして、僕が仕事場に到着すると、黙って立ち上がり、

決まって、僕のお尻が冷えないように、僕が座る花壇の隅に、紙製のたまごパックをひいてくれた。

そして、その後また座って本を読むのだ。

 

 

僕は、このてっちゃんが大好きだった。

いや、

大好きというよりは、小さい頃から父親のいない僕にとって、こういう優しくて貫禄のある大人の男性というものに、少なからず憧れみたいなものがあったのかもしれない。

もちろん、ホームレスであるということは抜きにして。

 

でも、

たとえそうだとしても、こういう人に憧れがあったというのはやっぱり気持ち悪い

っていう人がいれば、どうぞ勝手に軽蔑なり笑ってくれたらいい。

僕は、常識で固められた、世の中の表の部分しか見れない人間にはなりたくない。

 

 

 

 

そして、

てっちゃんには、ちょっと頑固で変わったところもあった。

 

ある日の夜中、

ファーストキッチンの前に売れ残りの商品が捨てられると、いつものようによっちゃんとしょうちゃんは急いでそれを物色しに向かった。

しかし、2人をしり目に、

今日のてっちゃんはピクリとも動こうとしない。

 

「あれ、どうしたん?てっちゃん、行けへんの?」

「あんなパンやらイモやらばっかり毎日毎日食べてられるか。アメリカ人やあるまいし。あいつら2人はアホじゃ。」

 

僕は、その答えがすごく可笑しかった。

じゃあ、なんであんたは今日もここに来てるんや!

って。(笑)

 

けどまあ、その気持ちも少しは分かる気がしたけど…。

 

次の日、

僕は、仕事終わりに近くの吉野家で牛丼弁当を4つ買ってきて、

寒空の下、僕達は道ばたで4人並んでそれを食べた。

3人とも、

「こんなに美味しいご飯を食べたんは、何十年ぶりや!」

って言って、涙ながらに牛丼をかき込んでくれた。

そりゃ、

その光景に、通行人の好奇の目はたくさん注がれてたけど、

僕にとって、その日はすごく嬉しくて満足な夜だった。

 

 

また別の日。

仕事終わりに、僕がてっちゃんと喋ってると、

近くに座っていた酔っぱらったサラリーマンが、僕らの会話を聞いていたみたいで、

「ほう!あなた、てっちゃんっていうんですかー。」

と話しかけてきた。

すると、突然、てっちゃんが、

「お前が、わしを『てっちゃん』って呼ぶなああああ!!!」

と、そのサラリーマンに殴りかかる勢いで激昂したのである。

 

そっか、俺が気軽に「てっちゃん」って名付けて、その名前を呼んでいるのは、特別なことやったんやなあ…。

 

僕はその出来事が、少し嬉しくもあった。

 

 

 

 

でも、この3人は一応、

「いつかホームレスから抜け出すんや」

という気持ちだけは持っている3人だった。

 

例えば、ある時、てっちゃんは、

サンドイッチマンの仕事が決まった。」

と言って、それから3日ほどこの場所に現れなくなった。

それに対し、残された僕達3人は、

少し寂しいながらも、てっちゃんの卒業を純粋に喜んだ。

 

ただ、そうはいっても、

4日後には結局、てっちゃんはまたいつものようにこの場所に戻って来てしまったんだけど…。

「あんなのは、まともな人間のする仕事じゃない。」

ということらしい…。(笑)

 

 

そんなある日のこと。

通りがかりに、よれよれのチャンチャンコを着ているよっちゃんを見かけて、

「カワイイ、カワイイ!」

と突然叫びだし、

そのよっちゃんと少し話した後、

「じゃあ明日からは、ワタシがよっちゃんの仕事の世話をしてあげる!」

と約束する外国人のママさんが現れた。

 

なんだか、狐につままれたような話だけど、

それでもよっちゃんは、その話をすぐに飲み、

とりあえず今日は食事へ、ということで、近くのラーメン屋に連れていかれた。

 

気になった僕とてっちゃんが、しばらくしてからそのラーメン屋を覗きに行くと、

ガラスの向こうでは、よっちゃんが、その外国人のママさんの膝の上に乗って、ユッサユッサと揺られていた。

よっちゃんは、ただニコニコ笑っていた…。

 

僕ら2人は、なんとも言えないやるせない気持ちで、そっとその場を離れたんだけど、

もちろん、よっちゃんが決めたことに何の文句も言える立場ではなかった。

 

世の中はきっと、

きれいごとだけで動いているわけじゃない…。

 

 

そして、

次の日から、ほんとに全くよっちゃんは姿を見せなくなった。

 

さらに、数日後には、

なぜだかしょうちゃんもこの場所に来なくなり、

いつのまにかここに残ったのは、僕とてっちゃん2人だけになってしまった。

 

 

 

2人になっても、

てっちゃんは相変わらずいつも本を読んでいて、

僕が到着すると、黙ってたまごパックをひいてくれた。

 

だけど、ひとつだけ決定的に変わってしまったことがある。

 

それは、

てっちゃんが僕に小銭を乞うようになってしまったこと…。

 

具体的に、いつから、どうやってその習慣が始まったのかは、正直覚えていない。

でも、実際に、

僕が仕事を終えると、てっちゃんは僕のそばにやって来て、

「たかゆきさん、すんませんけど…。」

と、毎回小銭を乞うようになっていた。

月から木なら、100円。

金曜日だけは、500円。

確か、この金額だけは、僕が決めたものだ。

 

そして、

あの貫禄のあるてっちゃんが、いつもお金を乞う時だけは、

まるで別人のような恐縮しきった顔になるのである…。

 

 

僕は、一日の終わりのこの時間がどうしても苦手だった。

金額なんてどうでもよくて、お金が惜しかったとかは全くないんだけど、

やっぱり、てっちゃんのああいう顔は見たくなかったし、

なにより、僕とてっちゃんがいつのまにかそういう関係になってしまったことが、悔しくて、哀しかったのである。

 

 

でも、僕は、

この行為を結局最後まで断ることはできなかった…。

僕の心のずっと奥の方で、

こうやってお金を渡し続けているうちは、きっとてっちゃんもずっとここにやって来てくれるはずだ、

という淡い期待を抱いていたからである。

 

正直、てっちゃんが、もうハンバーガーを目当てにここに来ているわけじゃないことは分かっていた。

それでも、僕はこれからもてっちゃんに会いたかった。

もっと色んな話をしたかった。

それが本音だった…。

 

 

けど、それから月日が過ぎ、冬も終わりに近づくと、

理由はハッキリとは分からないが、てっちゃんも現れる回数が減っていき、

春になると、ついに全く姿を見せなくなった…。

 

僕はまた、一人に戻ったのだ。

 

 

 

 

さて、

あれからもう何年も経つが、

僕は未だに、ホームレスの方を見かけると、必ずてっちゃんを思い出し、

どこかでバッタリ会えないものかと夢想している。

 

いつかもし会えたなら、僕はちゃんと伝えたいのだ。

てっちゃんがいなくなってからの冬は、

どれだけ花壇が冷たく感じるかってことを。

 

 

元気かなあ、てっちゃん…。

 

 

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2010年11月28日 (日)

恥ずかし日記

今日は、随分昔にも一度触れた、僕が日本一周の旅をしている時につけていた古い「旅日記」の中から、少し気になった話を抜粋したいと思います。

 

この旅日記は、いつか周りの色んな人に読んでもらう前提で書いていたので、

個人日記というよりは、どちらかというと、このブログと同じく万人に向けた文章の書き方になっていて、

おそらく、みなさんにも今とあまり変わらず、違和感なく読んでいただけると思います。

 

そして今回は、

一人旅バージョン、2002年1月19日(火)~31日(木)の日記の一部を抜粋します。

僕はこの時、広島にいて、次に福岡に向かおうっていう日の夜の場面からです。

では、

別に全く大した話ではないので、お気軽にどうぞ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2002年1月19日(火) 広島

     ・
     ・
     ・
     ・

さあ、広島おわり、おわり!

福岡に向けて出発!!

 

…お気づきになったかもしれませんが、わたくし、かなり広島をはしょっています。まったくもってハショリズムでございます。

わけがあります。

まだ言ってませんでしたが、実はわたくし、福岡で木曜日のお昼に約束があるんです。それを思い出したんです。

白状します。

 

わたくし、旅前まで、友達の家で、人生初のパソコンなるものにはまっておりまして、はまってるって言っても、それはYahooのとあるチャットでして、そのチャットは何と、声でチャットが出来るという優れものでして、全国の見知らぬ人どうしが何人も集まって、まるで電話のようにおしゃべりができるというもので、それはもう楽しいひとときなんでございます。

そこで知り合った女性がございまして、その人は福岡在住の22歳の学生さんでして、一カ月ぐらい前から意気投合しておりまして、わたくしも、この旅の事を話したんでございます。

そうすることによりまして、話の流れで、わたくしが、ジョーダンっぽく

「じゃあ、1月31日の木曜日の昼の1時に、大濠公園(福岡の有名な公園)の前のミスタードーナツの中に、俺がおるから、暇やったら来てや。」

と申しますと、初めはホントにジョーダン話だったんでございますが、10分ほどお互いこのジョーダン話を続けていますと、相手方もだんだんその気になってこられて、

「私もかなり本気になってきちゃったじゃないの。完全に日時も覚えちゃったよ。」

などと申すようになり、さらに、

「けど、私が気合を入れてほんとに行ったとしても、実は、タカユキ君の方がいなかった、なんてことになるんでしょ。」

と申しますので、

「じゃあ、どっちにしろ、福岡は必ず通るから、俺は絶対におるようにするわ。1時間くらい本でも読んどくわ。だから、来ても来んでもどっちでもいいで。」

と返しますと、

「そんな風に言われたら、私も絶対行くしかないじゃなーい。もーう、じゃあ、私もその日は空けておくね。木曜の1時ね。」

なんて、答えるのでございます。

それはもう…。

ねー。

けど、ひとつ、声を大にして言いたいのは、

会ったからといって、決して、変な下心があるわけではございません。ほんとに、ほんとに。

ただ、その待ち合わせの行為自体を楽しんでるだけなのです。ほんとか、ほんとか?

 

まー、どっちだっていーじゃーん。

地球が滅びるわけでもないしさー。

あはははは。

 

そんな訳で、わたくし、福岡に急いでおります。前回も来た広島なんぞに、長居している場合ではございません。

まだ2日もあるのにと思われるかもしれませんが、わたくし、ここ2日、風呂に入っておりませんので、明日は、福岡のカプセルホテルに泊まって、ゆっくりしたいのです。

会う時には、せめて小ぎれいでいたいのです。

ダメ?

 

なんや、こいつ、本気やん。と思われた方。

その言葉、口に出さずに、そっと心にしまっておいてやってください。

彼も、根はいい奴なんです。

あんまり、いい青春時代をおくってないみたいなんです。

 

   (中略)

     ・
     ・
     ・
     ・

2002年1月30日(水) 福岡

 

午後4時には西新という場所のカプセルホテルのチェックインして、1日、ほんとにダラダラと過ごす。

夜、折りたたみ自転車で、「天神」という福岡の中心地に出て、本屋で小説を何冊か買った。

村上春樹 「ノルウェイの森 上・下」
太宰治 「斜陽」
花村萬月 「ゲルマニウムの夜」

旅中、暇な時に読もう。

  ↑↑
お、なんか日記らしい。

 

2002年1月31日(木) 福岡

 

いよいよ約束の日である。

朝10時にカプセルホテルをチェックアウトする。もちろん、なるべく小ぎれいな姿で。

さあ、1時まで何しよう。

 

こういう時、3時間というのはベミョーに長い時間である。

とりあえず、旅に出る前に大量にもらったリンゴを朝めしがわりにバクつき、車の中の掃除なんぞをしてみた。

 

それでも、まだ12時前。

あっ、もしかして待ち合わせって12時やったかも…。

うん、もしそうやったらあかんから、さっそくミスドに向かってしまおう!

   ↑↑
あー、なんて小心者で、かわいそうなおっさん(25)なんでしょう。
よしよし、お前の人生、いつかいい事があればいいね。

 

 

12時ちょうどに大濠公園前のミスタードーナツに着く。

さっきのリンゴで、まったくおなかはすいてなかったが、一応コーラとドーナツ1個を注文する。

中はそれほど混んでないので、なるべく入口が見えやすい席を選ぶ。

 

さあ、これで準備万端、シルビーバルタンや。

あとは、その子が入ってくるのを待つだけだ。

顔はだいたい覚えているし、俺の顔も分かってるはずだから。(前に一度メールで写真交換をした。)

とりあえず、昨日買った本でも読むことにする。

どれにしようかなっと。

村上春樹の「ノルウェイの森(上)」を選ぶ。

本をひらく。

 

「   第一章
 僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。その巨大な飛行機はぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、ハンブルク空港に着陸しようとしているところだった。十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め、・・・・・・・・・ 」

 

うんうん、なるほどねっと。

あっれー、おかしいなあ。

全然、本の内容が頭に入ってこないやー。

何か他の事に気がいって、集中できないみたい。

 

なっ、ほんっまに小さい男やろっ。

 

 

12時30分。

やっぱり、待ち合わせ時間が12時かもっていうのは、俺のカンちがいだったみたい。

そりゃ、そうだよねー。確かに1時って言ってたもんねー。(言ってたんかい!)

こらっ、フライングだぞっ、たかゆき。ぺロッ。(舌を横に出す音)

 

 

1時ジャスト。

さあ、そろそろ来るぞー。

 

…あれっ。

 

 

1時30分。

ちょっと遅れたのかな。

 

…することなくなってきたや。

 

 

2時。

泣いていい?

 

 

ハイッ、みなさんの予想通り、舞い上がってたのは、僕だけでした。

はいはい、分かってましたよーだ。

1週間も前のパソコン内での不確かな約束をしっかりと覚えて、実行しようとしてんのなんて、宇宙で、俺たった一人だけですよ、どーせ。

1日前から、福岡入りなんてしちゃってさ。必死じゃん。妙に想像ふくらましたりなんかしちゃってさ。くるってるじゃん。ダサイよねー。

 

もう1回だけ…、

泣いていい?

 

 

あー、もうこの話はおわり、おわりっ。

とにかく、俺は今、福岡におるんや。

お金もないし、金、土だけでも中州で弾き語りやっていこうかな。

そうしよーっと。

ランランラン。

 

  (中略)
    ・
    ・
    ・
    ・

 

なんにしろ、今日は、こんな所では寝れないわ。

脱出しましょ。

どっか、大きい24時間営業の店の無料駐車場にとめて寝ようっと。

 

とりあえず国道3号線まで車を出し、国道沿いを走ってみる。

何分か走ってると、24時間営業のインターネットカフェを見つけた。

ここの駐車場なら大丈夫そうだ。

車をとめる。

せっかくやから、ちょっとパソコンでもするか。

ということで、インターネットカフェを本当に利用することに。

あ、そうや、今日、待ち合わせに来んかった子のホームページ見てみよう。

そのホームページには、日記というコンテンツがあった。

もう夜中なので、今日の出来事が更新されていた。

きっと今日は、何か特別な事情があったんだろう。

とにかく読んでみる。

 

「 1月31日(木)

今日も何にもない日。1日ボーッとすごす。

あーあ、なにか刺激的なことないかなー。 」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・しつこいようやけど、これで最後にするから、寝る前にもう1回だけ、

泣いていい?

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

今回、僕がなぜこの話をわざわざチョイスしたのかは、

はっきり言って自分でも謎です。

 

ただ、ひとつだけ言えるのは、

色んな意味で、僕は何にも変わってないなあ

ってこと。(笑)

 

 

おわり。

 

 

P.S.

えっとね、

みなさんの温かい応援のおかげで、新しくこのブログを読んでくださる人が増えた影響か、

はたまた、ここ数日、ちょっとミーハーな自慢話のようなものを連続で更新していたからか、

最近また、

実際に僕の歌を聴きに行ってみたいので、歌っている場所を教えてほしい

という内容のメールをちらほら頂くようになってしまいました。

 

生意気なようで恐縮ですが、そういう方には、是非一度、僕が4年前にここで書いた

「繊細なお願い」

という文章を読んでいただけると助かります。

 

もちろん、お気持ちは十分に分かりますし、それは実際は本当にありがたいお申し出です。

だって、このブログを読んで僕に強く興味を持ってくれたからこそ、そうやってわざわざ現実に足を運んでくださろうとしているわけですもんね。

 

でも、実情はあの記事に書いた内容通りということもありまして、

どうか、その「歌を聴きたい」というありがたいお気持ちだけ受け取らせて頂くということでご勘弁ください。

 

加えて、これは少し前に書かせてもらっていたことですが、

実は、僕は未だに声があまり出ていない状態で仕事を続けています。

でも、このブログと同じで、丸13年続けてきた仕事をちゃんと完結させようと、自分なりに試行錯誤しながらなんとか頑張っているという状況なんです。

ですので、上の理由に加え、今はますますブログを読んでいるみなさんに自信を持って歌をお聞かせできる声の状態ではありませんので、

そこの部分も、どうかご理解いただきたいです。

 

現役のストリートミュージシャンが、それを題材にしたブログを書いていているくせに、歌は聴きに来てほしくない、

というのは、かなり自分勝手な事だと思われる人もいるかもしれませんが、

僕の場合、一口にストリートミュージシャンとはいっても、あくまでもそれはれっきとした仕事ですので、

いくらこれが仕事の事を中心に描いたブログだとしても、実際の「仕事」と「ブログ」はどうか切り分けて考えさせてください。

 

というわけで、元々ここで出会った方々には、

これからも、いちブロガーとしての「たかゆき」を応援して頂ければ幸いです。

 

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…えっと、なんか、こんな話の後に何ですが(笑)、
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2010年11月30日 (火)

「S」 3

「S」2からの続き…

 

さて、S助さんの50歳の誕生日が近づいた3月のある日、

S助さんから、今日から丸々1週間仕事を休んで石垣島に行ってくるというメールが来た。

なんでも、石垣島で1週間羽を伸ばした後、最終日に仲間内に誕生日のパーティーを開いてもらうらしいのだ。

 

それを読んだ時、正直僕もその仲間内にいつか入れて欲しいなあなんて思ってしまったけど、

それでも、S助さんは、それから数日おきに石垣島からもメールや写メールを送ってくれた。

 

 

ただ、誕生日前日の夜、

S助さんから届いた一通のメールで、事態が急変したことを知る。

そこにはなんと、

今さっき、S助さんの元相方、R介さんが危篤状態になられたので、翌朝一番の飛行機で大急ぎで大阪に戻る

という内容が書かれていたのである…。

 

僕は心底驚いて、しばらく言葉を失った。

そして、もちろんR介さんの容体も心配したが、

失礼ながらそれほど現在のR介さんを知っているわけでもなかったので、それ以上に、僕としては今のS助さんの気持ちの方が心配になった。

だって、わざわざ石垣島まで行った誕生日の前日の夜に、大事な大事な元相方さんが危篤になられたのである。

とても楽しい時間から、突如として深い悲しみへと、あまりにも気持ちの落差が激しすぎるではないか。

 

この後、僕は、なるべくS助さんの負担にならないようにと慎重に言葉を選んでメールを返信した。

でも、S助さんはこんな時でもすぐに、「心配ありがとう」とまたメールを返してくれ、

さらに、日付が変わって、少しだけ誕生日のことに触れたメールを送ると、

「来年は、俺の誕生会たかゆきくんが歌いに来てな。」

と、僕にまで気を使ってくださった。

僕はもう、色んな感情で胸がいっぱいになった。

 

なんで、こんなに辛い時に、ただの一般人の僕なんかに気を使ってくれるんだろう。

というか、そもそも、なんであんなに大事な事を、すぐに僕に知らせてくれたんだろう。

僕はもう、そこまでS助さんに信頼されているんだろうか。

神様、

どうか、R介さんの容体が奇跡的に回復しますように。

S助さんが、深い深い悲しみの底に沈みませんように。

 

 

 

そして、それから一週間が経った4月1日。

残念ながら、R介さんは天国に旅立たれた。

その日のS助さんのメール。

「いっぱい泣いたけど、今から頑張って『オールスター感謝祭』の収録に行ってきます。」

その生放送でも、S助さんは、悲しみを微塵も感じさせないいつも通りキレのある司会であの巨大番組を盛り上げていた。

やっぱり、島田S助さんは、とんでもないTVスターだった。

 

 

 

 

そして、あっというまに日々は過ぎ、夏が近づいてきた。

この頃の僕は、相変わらず時折起こるパニックの恐怖に耐えながらも、なんとか仕事に向かい、少しずつ世界一周のためのお金を貯めようとしていた。

でも、人通りの少ない新しい場所での弾き語りは、初めこそ気合で何とかカバーしていたが、(←「孤独とパニック」の冒頭部分参照)

今となっては、やっぱりパニックや度重なる小さなトラブルもあって、儲け自体は少しずつ減っていき、

その貯金額というのも当初予定していたものには程遠く、それはとてもじゃないけど年末までに世界一周の資金が貯まるようなペースではなかった。

 

あー、俺は、いつになったらお金が貯まって、この仕事から卒業&世界一周に出発できるんやろ…。

もしかして、このパニック障害がずっと治らずに、結局俺は一生世界一周にも旅立たれへんのかな…。

いや、それでもやっぱり諦めたくないなあ。

そうしたら、人生の大きな目標を失ってしまいそうやもん…。

 

 

そんなある日。

S助さんから来た

「俺は昔から、いつか客にフォークソングを聞かせるようなバーをやりたいと思ってるんやけど、たかゆきくんはどう思いますか?」

というメールから、

僕の物語は大きく動き出すことになる…。

 

 

「S」4につづく…。

 

 

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2010年12月 1日 (水)

太陽にほえ続けろ!

今日も、とても昔のお話。

 

ある晩、僕の前で、えらくニコニコしたスーツ姿のおじさんが立ち止った。

僕は、歌っていた歌を中断させて、すぐに営業モードに入る。

 

「えっと、何かお好きな歌があったら言ってくださいね。

もしよかったら、『リクエスト表』っていうのもありますんで。」

 

「あっ、そうやったな。

じゃあ、何聞かせてもらおうかな。」

 

おじさんは、ニコニコしたまま僕の横に座り、嬉しそうに「リクエスト表」を眺め、そして一つの曲を僕にリクエストした。

そして、

僕はその曲を歌い、おじさんは拍手し、お金をギターケースに入れてくれる。

ここまでは、僕の仕事のいつもの光景だ。

でも、ここからがいつもと少し違った。

 

おじさんが帰らないのである。

いまだに黙ってニコニコ僕を見つめたまま。

いや、もはや「ニヤニヤ」という表現の方が近いかもしれない。

 

ん?

なんだ、このおじさんは?

まだ、聞きたい曲があるんかな?

 

「えっと、もし他にもリクエストがあったら・・・」

 

「お前、ほんまに俺が分からんのか?」

 

…え!?

なに?

どういうこと?

もしかして、常連さん?

 

 

正直、ありがたいことに僕には昔から数え切れないほどの常連さんがいるので、こういうことが度々起こる。

向こうが何度も歌を聞いて自分は常連だと思ってくださっていても、僕がその人を全く覚えていないというパターン…。

 

そして、このおじさんも、失礼ながら例にもれず、

いくら思い出そうとしても、僕の記憶には残っていなかった。

 

しかし、このままじゃ、相手に不愉快な思いをさせてしまう。

よし、こういう時には、いつもの決まり文句だ。

僕はこういう場面ではいつも、とりあえずこのセリフで相手の反応をうかがい、そこからまた、なんとか話をそらしていくのだ。(笑)

 

「いや、えーっと、

お顔だけはなんとなく覚えているんですけど…。」

 

でも、このニコニコおじさんはなかなかの強者で、

なぜだかすぐに僕の嘘を見破った。

 

「そっか、お前、俺の顔ほんまに忘れてもうたんやな…。」

 

「え、いや、あの、そんなことはないいんですけど…。えっとー。」

 

そんな僕の反応に、

少し切ない顔をみせる、ニコニコおじさん…。
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(書き方がなんかややこしい!)

 

「まあでも、そうかもなあ。

あの頃とは、格好が全然ちゃうもんな。」

 

…ん?格好?

 

「俺や、俺。

2年前のお巡りさんや。」

 

 

…!!!!!!

 

忘れるわけがなかった。

僕はもう一度、ニコニコおじさんの顔をじっと見て、

そして、全てを思い出した。

 

 

 

さかのぼること2年ほど前。

僕がこの仕事を始めてまだそんなに経っていない頃。

一人のとても優しいお巡りさんがいた。

 

その人は、

なぜそこまで僕に気をかけてくれるのかは分からなかったけど、

パトロール中、とにかく、僕の前を通るたびに、

「大丈夫か?トラブル起きてないか?」

とか、

「どや、今日は儲かったか?」

とか、

「今日は寒いから、カゼひくなよ。」

などと声をかけてくれたのである。

 

僕は、今までの経験上、ストリートミュージシャンにとって、警察というのは天敵だという強い思い込みがあったので、

このお巡りさんだけが起こす独特な行動が、もちろん嬉しくもあったんだけど、同時に、すごく不思議な感じもしていた。

ハッキリ言ってしまうと、

他のお巡りさんとの兼ね合いもあって、僕は、彼にどう対応していいのかが分からなかったのである。

 

「なんか大きなトラブルが無い限りはな、俺はお前を絶対に止めたりせんからな。」

いつもそう言ってくれる彼は、

時にはなんと、僕がトイレに行っている間、弾き語り道具を見守ってさえいてくれるようなほんとに変わったお巡りさんで、

「たまにはお前の歌ゆっくりと聴きたいねんけどな、俺も仕事中やからな。」

などと笑っていることもあった。

 

 

ただ、このお巡りさんが僕の恩人であることに間違いはなく、

彼がいたからこそ、僕はこの場所でずっと歌っていってもいいんだという自信がついたんだし、

実際に、1年ほどで彼がいなくなってしまった後も、その後ずっと、この場所で警察との大きなもめごとは起きなかった。
(結局、「ノーレイン ノーレインボーな話」のあのおっさんが現れるまでずっと)

もしかしたら、彼が、他のお巡りさんに、伝達のようなものをしていてくれたのかもしれない。

 

 

 

そしてあれから2年。

今僕の目の前にいる、このスーツ姿のおじさんは、

当時は制服姿のイメージしかなかったので、初めこそ全く気付かなかったが、

確かに、あの時のお巡りさんなのだ!

 

「わー!わー!わー!お巡りさん!!

めっちゃお久しぶりです!!

あの頃は、ほんとにお世話になりました!!」

 

「ハハハ、やっと思い出してくれたか。

俺もあれから頑張って刑事になることができてなあ。

今日は休みで、○○に飲みに来たんや。

そんで、ここに来たら、まだお前が歌ってたから嬉しなってなあ。

あの頃は俺も、いつかお前の歌をお金払ってゆっくり聞きたいもんやと思ってたから、

今日はやっと夢が実現したわ。」

 

そう言って、

ニコニコ刑事は、大きな声で笑ったのである。

 

 

ね?

世の中捨てたもんじゃないでしょ。

 

 

 

 

そしてね、実は今回の話こそが、

4年前に「太陽にほえろ!」っていう記事で書いた、残りのもう1組のお巡りさんの話だったんです。

 

よっしゃ、

これでまたこのブログの義務をひとつ果たして、

なおかつ思い出もひとつ消化できた!

うれしー!

ニコニコ!

 

 

P.S.

えっと、2週間ほど前に、ここで、このブログを紹介してくれた方々にお礼を言わせてもらいましたが、

なんと、あれからもまた、何名かの方々が、ご自身のサイトでこのブログを紹介してくださったようです。

もう、そのご厚意にも、その内容にも、

僕、幸せすぎて泣けてきちゃいます。

 

ブログでは、

「追憶の花の上で」のKeyさん、

「eeeballoon的日記」のちゃまんさ★さん、

「★まじきん日記へめんそ~れ★」のまじきんさん、

「力を抜いて (ギター修行日記・育休編)」のtakuyaさん、

「子育て観察と晩御飯と日々の生活」のakira-turibakaさん。

写真家の天野裕氏さん→こちら

 

ミクシィ他では、

サン・ミケーレ宮さん。(数年前にも1度紹介してくださってるので、なんと2回目!)

みわいど。さん。(みわいど。さんも、ツイッターに続き、サイト内でも紹介してくださりました。)

 

他にも、まだ口コミなどで紹介してくださったという方々。

 

もう、みんな優しすぎます!

ほんと、世の中捨てたもんじゃない!

うれしー!

ニコニコ!

 

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2010年12月 4日 (土)

そこにブラジルがあるから

あー、体がだるいー!

頭がボーっとするよー!

 

あのね、

世界一周の旅をする人っていうのは、海外の独特な環境や、予期せぬ事態に備えて、大抵数種類の「予防接種(ワクチン接種)」を受けるわけです。

ワクワクチンチン。

そして僕もこの数カ月で、主要と思われる3種類、計5回の予防接種を受けてきました。

 

A型肝炎(1か月おきに計2回)。

<飲み水や食べ物から感染する病気で、アジア、アフリカ、中南米に広く存在する。発症すると倦怠感が強くなり、重症になると1か月以上の入院が必要となる場合がある。
ワクチン2回接種でも1年ほど効果は持続するが、半年後にもう一度接種することで、約5年効果が持続する。>

破傷風(1か月おきに計2回)。

破傷風菌は世界中どこの土壌にも(先進国、後進国をとわず)存在する。土の中に潜んでいる菌で、傷口から感染すると強烈な毒素を作り出し、この毒素が全身の筋肉を麻痺させ、致死率は90%以上。>

黄熱病。

<黄熱病はアフリカや南アメリカの一部に生息するある種の蚊によって伝染する急性のウイルス疾患で、感染した蚊に刺された後3日~6日経って軽度から重篤までさまざまな形の症状がでる。致死率は5%~50%。>

 

 

でもね、こういう予防接種って、思ってたよりも予約が一杯で日にちがかかったり(1か月待ちとか)、制限とか順番が色々あったり、接種できる場所が限られててバラバラやったりと、なんやかんやと結構大変でね、

僕3日前にこの3つ目の黄熱病のワクチン接種が出来て、ようやくこれで今回の僕の予防接種は全部終わったわけなんです。

 

ただ、この黄熱病は、唯一「生ワクチン」といわれるものを接種するタイプのやつで、要するに、病原性を弱めた生きた病原体を接種させることで、体内に弱い感染状態を作り免疫を作る方法なので、少しだけ副作用が出る場合があるんです。

例えば、体がだるいとか、頭がボーっとするとか…。

ってそれ、

今の俺やん!!

 

わーん、絶対副作用やんーー!!

 

でも、逆に考えると、今僕の体の中では、「たかゆきの中の人」が必死になって黄熱病と戦ってくれているっていうことでもあるわけです。

頑張れー、たかゆきの中の人ー!!

 

 

というわけで、今日はほんとに少ししんどくて実は仕事も休んじゃったんですが、せっかく中の人が頑張ってくれているというのもありますし、せっかく最近頑張って連続で更新していたというのもありますので、なるべく頭を使わないようにせめて形だけでもいいから更新しようということで今この文章を書いています。

だから、「今回は手抜き更新やんけ!」なんて怒らないでね。

その心意気だけでも買ってね(;ω;)

 

 

で、なんでしたっけ。

あ、そうそう、黄熱病。

実はね、僕がこの黄熱病の予防接種を受けたのには訳があるんです。

それは、ブラジルやアフリカのいくつかの国では、この黄熱病のワクチンを接種したという証明書(通称イエローカード)がないと入国させてもらえないからなんです。

これ↓

Img_6771s_2

(どっちも黄色いね☆)

 

 

そう、

実は僕、世界一周の1カ国目はブラジルって決めてるんです。

 

ブラジルの人、聞こえますかーー!!

 

 

ただ、なんでブラジルかって聞かれたら、

単に僕が南米に興味があるっていうのもありますし、僕が今考えているルート上の問題っていう理由もあります。

もちろん、周りの人たちからは、そんなに世界に旅慣れているわけでもないのに、いきなり南米(治安があまり良くないイメージ)になんて行っちゃって大丈夫なのかっていう声もありますが、

だからこそ逆に、僕は、まだ緊張感があってあんまり旅に疲れていないうちに先にそういう場所を周っておきたいという気持ちがあるんです。

まあでもね、一番の理由はやっぱり、

「そこにブラジルがあるから」

ってことかな。(遠い目で)

 

 

まあ、そんなわけで、僕みたいな奴は早く日本から出て行ってしまえばいいと本気で思うわけですが、

そんなことよりね、実はブラジルって、日本人が入国するには、このイエローカード以外にも、まだ観光ビザも必要なんです。

ややこしいね、ブラジル。

ややジル。

 

だから、そろそろビザ取得の手続きを始めなきゃと思って、さっき色々調べてたんですが、

頭がボーっとしてるせいか、これまたすっげーややこしくて、もう大変。

まず根本的に、在日のブラジル領事館っていうのが、東京と浜松と名古屋にしかなくて、しかも、今年の秋から郵送による申請も受け付けてないんですって…。(代行は高いし)

…イジメ?(笑)

ブラジルの人、いじめてますかーー!!

 

しかも、必ず預金残高証明書(25万円以上)とか往復の航空券が先に必要で、

つまりビザを取るには、僕はもう今すぐにでもチケットを買わなくちゃいけないってことなんです。

 

うーん、ついに買っちゃうのかー。

なんか、今はまだ忙しすぎて、心の準備が全然出来てないのになあ…。

よし、

でも買う。

おいら、買っちゃうよ。

そうしないと、いろいろ準備が進まないもの。

というわけで、みなさん、

チケット買ったらまたここで報告させてもらいますね。

 

 

あれ?

ていうか、さっきからなんかノドも痛くなってきたぞ。

…あー、こりゃ、確実にただの風邪だわ。

 

きゃー!

さっきの、副作用とか中の人とかあの辺のくだり全部取り消しー!

さっきのバナナ食って、はよ寝よー!

チャオ!

 

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