2007年10月 4日 (木)

SUPER STAR

前回お話ししたトラブルというのは、あれから少しだけ進展があっただけでまだ実際は何も終息はしていませんが、今日は何だか少しだけ気持ちが落ち着いているので、こういうすき間を見計らって、ここぞとばかりにブログを更新していきたいと思います。

もうね、ぶっちゃけ今はね、内容が面白かろうが面白くなかろうが、暗かろうが明るかろうが、とにかくこのブログを少しでもに進めたいんです。

完全復活や、事態の終息なんて、やっぱり待ってられません。

だって、何度も言ってきたことかもしれないけど、今のままのこんなペースじゃ、新しい「旅立ち」のその時までに、書きたいことを全部書き切って、この青春の記録を最後まで完成させることが出来るかどうかが分からないんだもん。

だからオイラ、頑張れる時にちょっとだけ頑張る!

だからみなさんも、ちょっとだけでも応援してくれると嬉しいです。

 

 

さて、

最近気付いたんですけど、このブログいつのまにか知らぬうちに1周年とっくに過ぎちゃってるじゃないですか!

あちゃー…。

可愛い息子の記念すべき1歳の誕生日を、お父さんすっかり忘れてしまってたよ…。

すまん、レインボー君(1歳、オス)。

こうなったら、もうお父さんを踏み台にして、わんぱくでもいい、たくましく育ってくれ。

(まあけど、実際は、途中やたら長いお休みとかをはさみつつだったから、実質は1年もやっていないに等しいんですけどね…。)

とにかく、

今日はせかっくの(二ヶ月以上遅れの)「ノーレイン ノーレンボー」1周年記念ということで、今までまだ話していなかった、「どういういきさつで僕はこの仕事を始めることになったのか」という話を、「始まりの物語」と題して、今回から不定期に連載していきたいと思います。

別にはっきりとした形の続きものでもありませんし、完全なる不定期連載ということで、途中で全く別の話にすり替わったり、もしくはすり替わらなかったり、オレがお前でお前がオレでみたいなことになっちゃうかもしれませんが、まあみなさんもどうか軽い気持ちでお付き合いください。

ちなみに、最初にも言ったように、内容については全くもって保障しません…。

ほぼ、自己満足です。

ほら、よく、ごく平凡なおじいちゃんが、自分の半生を書き綴って、それを自費出版で本にしちゃうみたいな話を聞くじゃないですか。

完全にあんなノリです。(笑)

 

 

というわけで(どういうわけで?)、

そんな「始まりの物語」のはじまりです。

 

 


僕がそもそも音楽というものに出会い、初めて興味を持ったのは、さかのぼること20年、小学校4年生の夏のことである。

(え!?ホントにそんなところまでさかのぼって書くの?大丈夫か、たかゆき!)

ある土曜日の夜、僕は母と何気なくテレビを見ていた。

流れていたは、「親子ゲーム」という名のその夏から始まったTBSの新ドラマ。

内容は、東京の下町のラーメン屋を営む元ヤンキーカップルがひょんなことから、父親に捨てられた10歳くらいの男の子を預かることになり、その後様々な騒動が巻き起こるっていう、用はドタバタヒューマンドラマなんだけど、

僕はものの数分で、見事にこのドラマに魅了された…。

もちろん、出てくる男の子がその時の僕と同年代だったので、彼に感情移入していったというのもあるが、それ以上に、そのラーメン屋の若大将を演じる30歳ちかくのドラマの主人公の男性の存在が、僕には気になって気になって仕方なかったのだ。

セリフなんだか本気なんだか分からなくなるような独特な演技に、時折のぞかせる暗い影、そしてユーモア。

それに、キレた演技の時に見せる本物の危うさ。

当時10歳でいろんなものに好奇心旺盛の僕にとって、そんな彼が憧れの格好いい大人像に見えるのはやはり必然であったのかもしれない。

「お母さん、この人って誰?」

「ああ、この人、ナガブチツヨシとかいう歌手やんか。」

「歌手?」

「あんた知らんか?『お~、順子♪』とかゆって、歌ってた人やん。」

「知らん。
けど、何で歌手がドラマに出てるの?」

「そういえば、最近この人たまにドラマ出てはるなあ。」

「ふ~ん…。」

 


歌手かー…。

しかし当時、「歌手」というのが、松田聖子やマッチやチェッカーズなどのことでしかなかった僕にとっては、このナガブチツヨシが普段そんな歌を歌ってるような人には見えなかったし、どうしても想像すらできなかった。

とにかくそれでも、「ナガブチツヨシは歌手」という重大情報を得れた僕は、それからより注意深くドラマに見入った。

(しかしまあ、このドラマ、ほんとに面白かったんです。
当時のドラマって全般的にすごく面白いものが多いんだけど、その中でも僕にとってこのドラマだけはほんと特別。
ワクワクドキドキ、キュンキュン、もう止まりません。
けど残念なことに、長渕本人の意向からか、いまだビデオ化もDVD化もされておらず、今みなさんがもう一度見る手段は無いようです…。泣)

そうこうするうちに、その日の「親子ゲーム」はあっというまにエンディングを向かえてしまい、ドラマの主題歌が流れ出す。

 

裏街の片隅で くの字にぶったおれちまった
ドラム缶の油の臭い 目が覚めれば明日を夢見た

~~中略~~

I 'm a Super Star . I 'm a Super Star
誰もが みんな かみしめている
I 'm a Super Star . I 'm a Super Star
熱いくちびる かみしめている

 

 

そう。

この曲がテレビから流れてきた時こそが、僕が初めて音楽というものにまともに出会った瞬間なのである。

この時僕は、ほんとに稲妻で脳天を撃ち抜かれた気分だった…。

 

 

多分、まだ10歳そこいらだから、歌詞とかがどうこういう問題じゃないと思う。

音楽というものに対して全く無知な、いわばスポンジ状態の僕にとって、この初めて耳にする新しい音楽が、すべて「感覚」として体に入り込んできたのである。

わー、これが音楽っちゅうもんなんや!

カッコいい!!

カッコよすぎる!!!

マッチとか聖子ちゃんと全然違うやんか。

興奮を抑えきれない僕は、母に尋ねた。

「なあ、お母さん、お母さん!
じゃあ、この歌も、ナガブチツヨシが歌ってんの?」

「ああ、そうみたいやね。」

 


こうして、この長渕剛の「SUPER STAR」という曲が、今の僕につながるすべてのきっかけになり、この日から、長渕剛はほんとに僕のスーパースターになっていったのだ。(←別にうまいこと言ってるわけじゃない)

 

 

それからというもの、ドラマ自体ももちろん楽しみなんだけど、とにかく「SUPER STAR」が聞きたくて聞きたくて、毎週、1週間という期間がやたらと長く感じられたのを覚えている。

そして待望の土曜日になると、あまりにも嬉しくなった僕は、ドラマのオープニングとエンディングに2回流れる「SUPER STAR」に合わせて、テレビの前で一人馬鹿みたいに踊り狂うのだった…。

 


「親子ゲーム」が最終回を迎えた後、完全に音楽に飢え始めたスポンジたかゆきは、今思えばここで他のいろんな音楽にも目を向ければよかったのに、ひとつのことに凝る性格も手伝って、もう長渕剛しか目に入らなくなってしまっていた。

スカスカだったスポンジは、みるみるうちに長渕剛のみによって膨らんでいき、やがてカチンコチンになり、いつしか僕は長渕モンスターに成長してしまったのである。(笑)

こうなってしまうと、もう誰も僕を止められない。

結局僕は、この頃から19歳くらいになるまでずっと、みなさんがドン引きするほどの勢いで長渕剛だけを敬愛し続けた。

今までリリースしたすべての曲を歌詞を含め全部丸暗記したり、自分の部屋には天井を含め壁紙が見えなくなるぐらいまでにビッシリと何枚もの長渕ポスターを貼りめぐらしていたり、ライブは大阪公演が2回あれば必ず2日連続で行ったり、日本全国自分以外の人間も口に出さないだけで全員ほんとは長渕好きだと勘違いしていたり、他のアーティストの曲で少しでも長渕に似ている曲があると絶対長渕の曲からパクったと信じ込んだり、当時どうしてもいいコンポが欲しかったんだけどそれは長渕の曲を少しでもいい音で聴きたかったからという理由だけだったり、将来息子ができたら絶対「剛」って名付けようと決めていたり、などなど他にもまだまだ。

 

はい、そこ!
気持ちはよく分かるけど、ほんとにドン引きしない!(笑)
(あぁ、やっぱりぶっちゃけすぎたかなあ…泣)

 

肝心のギターは中学3年生の時に始めたんだけど、その時のことはまた次回に書くとして、とにかく、見てもらったら分かるように、10代の僕はかなり痛い(笑)ほどの長渕教信者だったわけである。

 

 

しかし、さすがに18,9歳にもなると、否が応でも長渕以外の音楽も洋楽邦楽問わず頻繁に耳に入ってくるようになる。

その時僕は初めて困惑した。

あれ?

なんかおかしい…。

この音楽も素敵やし、あの音楽もカッコいいぞ…。

・・・・・・・・・・。

ていうか、世の中にはこんなに素晴らしい音楽がまだまだたくさん存在するんやなあ…。

あれ?

ていうことは、もしかして今まで俺はそんなことも知らずにずっと過ごしてきたんか!?

・・・・・・・・・・。

ああ、

なんてもったいない!!

 


どうやら、僕はあまりにも一人の人間にのめり込みすぎて、今までずっと無意識的に周りのすべての音楽から耳をふさいでいたようだ…。

そういうことに気付いた時、僕はさすがに強いカルチャーショックを受けたが、もう今さらどうしようもない。

だからというかなんというか、この頃僕は、異常なまでに無作為にありとあらゆる音楽を聴き漁った。

もう、楽しむというよりは半分以上意地である。(笑)

今まで10年近くの分を取り戻すんや、っていう感じで。

それに、だからといって長渕剛が嫌いになったとかいうわけじゃないんだが、どうしても、僕が勝手に作り勝手にかかっていた「長渕教のマインドコントロール」というものからも抜け出したかったのである。
(長渕ファンの方、変な表現ですみません…。苦笑)

 


そうして月日は流れ、マインドコントロールから完全に抜け出した僕は、意地や義務感で音楽を聴くなんてこともいつのまにかなくなり、ようやく一般的なごく普通の音楽リスナーになっていった。

もちろん、今でも昔を懐かしんで当時の長渕のCDを聞いたりライブビデオを観ることがたまーにあるにはあるが、最近の長渕についてはもうみなさんとまったく同じようなレベルの知識しかなく、ほとんど詳しくは知らない。

つまり、これまたみなさんと同じく、僕も今となっては、体を鍛えすぎた長渕と清原の区別がつかないほどなのである。

今たとえ清原が5万人の前でライブをしても多分気付かずに「つよしコール」を送るし、京セラドームのバッターボックスに長渕が立ってても「番長、かっとばせー」と応援してしまうくらいに…。
(長渕ファンの方、何度も猛烈に申し訳ございません。笑)

 


後、交友関係が広がり女性にもムンムンに興味を持ちはじめた18,9歳の僕が当時気付いたのは、「長渕ファン」というレッテルがあまり周り(特に女性)に対しての得点アップにはつながらないということ。

むしろ、得点大幅ダウンで、ちょっと残念な感じで受け取られることすら…。

「ああ、あなたは長渕ファンかあ、なるほどー、そっち系ね…。(失笑)」みたいな。

この感覚は、分からない人もたくさんいると思うが、分かる人には分かってもらえると思う。

さらに、なんか、当時長渕はいろんな激しい言動があったり、大麻で捕まったりと、世間にあまりいいイメージがなかったから、「長渕ファン」=「むさくるしくて、ちょっと恐い」なんていう嫌な風潮もできていて、なんていうのかなあ、とにかく僕らの世代には、「尾崎ファン」くらいならまだぎりぎりセーフなんだけど、「長渕ファン」っていうのはちょっと…、っていう人が多かったのである。

そんなわけで、当時自分が「長渕オタク」だったことがバレるのがどうしても嫌だった僕は、ごく一部の友達を除いて新しく出会った人ほとんどに対しては、ずっとその事実をひたすら隠し続け、音楽の話になった時なんかも、まだ聴き始めたばっかりの覚えたての知識でいつもなんとかお茶を濁していた。

まあそれでも、そんなのは昔の話で、今だったら笑い話にでもしてしまえばいいんだろうけども、何故か今でも僕は、昔からのトラウマからか、新しい友達にはなかなか長渕教祖の事を言い出せずにいる。

例えば、意中の女性が初めて僕の家に遊びに来ていい雰囲気になってきた時に、ふいに彼女が部屋に置いてあるマルシアちゃんらのギターを見たとしよう。

 

「そういえば、たかゆき君って、何がきっかけでギターを始めたの?」

「あ、ああ、その話ね…。
えーっと、いやあね、初期のトム・ウェイツみたいにさあ、ギター1本で弾き語りがしたいなあと思ってね。はは…。」

「え? 林 威助(リン・ウェイツ)?」

「いやいや、それは阪神の選手…。彼今年は活躍したよねえ…。
いや、そういう話じゃなくてさ…。
ああ、じゃあ、ボブ・マーリーは分かるよね。
レゲエの神様。
実はね、僕の血の中にも彼と同じジャマイカンビートが流れてるんじゃないかっていうぐらいレゲエが好きでね、それでギターを・・・」

「でもたかゆきくんって、典型的な日本人顔だよね、ハハハ。」

「・・・・・・・・。」

「ご、ごめん…。」

「・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・・・。
えっと、やっぱりギターっていったら、ブルースだよね。
マディ・ウォーターズとか、バディ・ガイとか、ロバート・ジョ…」

「ねえ、たかゆきくん…。」

「ん?…」

「遅くなったらいけないから、私やっぱり帰るね…。」

「・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・。」

「あ、うん…。」

 

 

 

嫌やーーー!!!

やっぱりそんなん嫌やーーーーー!!!

こんなことになるぐらいやったら、俺、ルーツが長渕やっていうこと、これからはもう誰にも隠さへん!!

嘘もつけへん!

ちゃんと全部話します!

だから、許してください!

去年の誕生日に、友達から長渕の桜島ライブのDVDをもらって、なんやかんやで大喜びしたこともちゃんと話します!

ちなみにそのDVD、4枚組で、9時間ぐらいもありました!

実は、初めに言ってた「親子ゲーム」も、最近海賊版のDVDを全話闇のルートから手に入れてて、暇さえあればもう何度も繰り返し見ていることも白状します!

やっぱり、このドラマめちゃくちゃ面白いです!

だからこれからは、女性を口説く時は、「親子ゲーム」をネタに口説きます!

誰か、僕と一緒に夜明けの「親子ゲーム」見ないかい!

結構本気です!

お茶くらいなら出します!

なんだったら、手品でもしましょうか!

ピザでも頼みますか!

肩こってませんか!

とりあえず、そばへ来いよ!

 

 


あれ?

ちょっと脱線してしまいましたが(笑)、とにかく今日は、僕の音楽のルーツは長渕剛だというお話がしたかっただけなんで、これくらいで終わりにします。

いやーしかし、1周年記念とはいえ、いつものことながら今回も思った以上に長い文章なっちゃいましたね。(苦笑)

それに、みなさんにとっては、ほんとにどうでもいい話だったでしょ。

(本気でうなずかない!)

次回は、ちょっと話は戻って、ギターと歌を始めた頃のお話をしようと思っています。

(もう飽きたとかも言わない!)

では、また次回。

 


というわけで、「始まりの物語」はこのままな~んとなく続いていく…。

 

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「部屋とサイババと私」

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2007年10月12日 (金)

部屋とサイババと私

最近ここで何度かお話しさせてもらっていた仕事場でのトラブルというのは、おかげさまでどうやらなんとか解決できた模様です。

実際100%満足できるような結果ではないんですが、一応事態だけは終息したみたいなので、もう少しだけ様子をみてから、自分の気持ちに余裕が出てきたらまたこのブログでお話しさせてもらうかもしれません。

ただ、今回のトラブルっていうのは、みなさんが読んでてハラハラドキドキするようなそんなたぐいの内容ではないと思うので、何事もなかったかのようにサラッと流してしまう可能性もあります。

それは分かっておいてください。

とにかく、今日は一応の報告だけさせてもらいました。

 

 

さてさて、どうでもいい内容(笑)の前回の話からの続きです。

そして今回も、もちろんどうでもいい話です。

分かってます。

いいんです。

けど、今はどうしても過去を振り返りたい気分なんです。

僕にとっては全部大事な話なんです。

ほら、かの虎舞竜も言ってたじゃないですか、

「どうでもいいようなことが、幸せだったと思う」って。

あれ?なんか違う?

まあとにかく、

こうなったらもう、僕はひとりよがり道を極めるんです!

ひとりよがりロード第2章です。

NO YOGARI NO LIFE です。

じゃあ、今日もヨガっちゃうよ、メーン。です。

では。

(何が?)

 

 

小学校4年生で長渕と衝撃的な出会いを果たした僕は、その後数年間、そうはいっても自分で長渕の曲を演奏するといった所までは発想が及ばず、とにかく「聴く」専門だった。

そんな僕に転機が訪れたのが中学3年のある日。

学校の休み時間に、ある生徒がたまたま長渕のギタースコア(教則本)を持ってきて自慢していたのだ。

僕は、さして仲良くもなかった彼に、「そのギタースコアを2,3日でいいから貸してくれ」と嘆願した。

もう、土下座するほどの勢いで。

靴をなめるかのごとく上目遣いで。

理由は簡単だ。

決して、ギターが弾きたかったからとかそういうわけではない。

ただ、そこに載っている数々の長渕の写真を家でじっくり見たかったのだ…。

 


はい、引いたー。

これ以上取り返しがつかないほど、みんな引いたー。

もう月の引力とかそういうもん完全に無視して、みんな引いたー。

ドン、引いたー。

けどね、そんなんじゃないんです。

家に持って帰って、その写真でどうこうしようなんて断じて思ってないんですよ。

僕、そういう気(け)は全くないですからね!(笑)

ただね、ほらよく宗教にはまっている人達とかが、その宗教の教祖の写真を肌身離さず持ち歩いていたり、飽きもせずずっと眺めてたりするじゃないですか。

たぶん、あんな感覚です。

ほら、僕は当時自称長渕教の信者なわけですから、まだ見たことのない教祖の写真があれば、それはじっくり見てみたいと興奮するわけです。

いったら、サイババとか美輪さん(笑)の写真みたいなもんですよ。

ご利益、ご利益。

さあ、とにかく話を戻しましょう。

 


ギターも弾かないはずの僕に不思議顔をする友達から、なんとかそのギタースコアを借り出すことができた僕はその夜、さっそくそのギタースコアの中に潜む何枚もの初対面の長渕の写真に感激していた。

うおー!剛やっぱりカッコええー!!(←やっぱり変態)

とはいっても、やはりそんなご対面も、相手が物言わぬ以上、せいぜい30分もあれば飽きてくるのが現実で、僕も例にもれず、2時間くらいで少し物足りなくなってきた。

んー、退屈や。

しゃあないから、このオマケでついてあるギターの楽譜で、ちょっとだけ遊んでみよか。

僕は、押入れの中にずっと眠ったままでたっぷりとホコリまみれだった父親の形見の古いガットギター(クラシックギター)を無理やり取り出してきて、丹念にホコリを落とした。

この夜、ギタースコアを開いてから約2時間後、僕はようやく、ギタースコアというものが持つ最大の、というか普通それしか役割がない、「ギターを練習する」という行為を始めることとなる。

そう、これが僕とギターの始めての出会いである。

まさか、この時の、僕にとっては単なるオマケ程度の暇つぶしの行為が、回り回って今の人生につながっていくことになろうとは、もちろんその時の僕には知るよしもない…。

 

つづく…。

 

P.S.

もうちょっと長く書くつもりでしたが、更新スピードを上げていくためにも、あえて小分けにします。

 

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「女よ、GOMEN」

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2007年10月14日 (日)

女よ、GOMEN

前回からの続き…

 

さて、いくら安物のガットギターとはいえ、生まれて初めてギターというものをひざの上に構えた僕。

うん、改めてギターをこういう風に持ってみると、今までは全く他人事だった「ギターを弾く」という行為が何だか急にすごく身近に感じられるから不思議だ。

お、もしかして、俺も「あちら側」の世界に仲間入り、ってか。

あかん、そんなこと考えたらなんかちょっと緊張してきた…。

初めてお前抱いた夜ほら 俺のほうが震えてたね (BYつんく♂)


とにかく、

ギタースコアに書いてあるまま、見よう見まねで弦のチューニングなるものをし終えた僕が、最初の練習曲に選んだのが、「女よ、GOMEN」という曲。

この曲を選んだ理由はいたって単純。

ただ単に、この本の曲の中では、使われているコードが一番少なくて簡単そうだったからだ。

しかしまあ、「女よ、GOMEN」とは、何というネーミングセンス。

さすが剛。

日本語とアルファベットの融合である。

和洋折衷である。

言葉のチョイスも素晴らしい。

だってこれが、

「ぶりの、TERIYAKI」

とかだったら、決まらないもんなあー。

・・・・・・・・・・・。

剛よ、GOMEN。

 

 

2時間後、どうにかこうにか僕は、もちろんなんとなくではあるがこの「女よ、GOMEN」を最後まで通して弾けるようになっていた。

いやあ、しかし、ギターを弾くのって、思ってた以上に楽しい!

正直、やってみるまでは、こんなに楽しいものだとは思ってもみなかった。

普通なら音楽的なものもあるのかもしれないが、この時の僕にはとにかく、長渕の曲をこの僕が演奏しているんだという実感がハンパじゃなかったのだ。

ひとつのコードを覚える度に、

おー!さっきよりまた剛っぽくなった!

っていう具合に。

もう、とにかく興奮するのだ。

この日僕はまったく寝付けなかったくらいに…。

「そっか、聴くだけじゃなくて、自分で演奏するっていう方法があってんなー。」

これは僕にとって、とても大きな発見だった。

 


次の日からの僕は、まさに猿のオ○ニー状態。

明けても暮れてもギターの練習。

もうそれが楽しくてしょうがなかった。

平日なら4,5時間、休みの日なら10時間以上、というように、僕はまるで何かにとりつかれたかのようにギターを弾き続けた。

もちろん、100%長渕の曲オンリー。(笑)

リアルな話、母親一人の手で育ててもらった僕が、この思春期真っ只中の時期に全くグレたりせずにすんだのは、この「ギター」というものとの出会いがあったからだと思う。

当時の僕にとって、こういう風に何かひとつのものに真剣に打ち込めるという経験は、すごく意味のあることだったのだ。

さて、ある日から突然こんなにもギターの練習のと化した僕は、必然的にそれなりのスピードでギターが上達していく。

そうなってくると、さすがにネックが太く弦もナイロン弦のガットギターじゃ、長渕を弾くには色々と不都合が出てきて、これまた必然的に、「自分のギター」というものが欲しくなってくる。

そこで僕は、中学3年生のお正月、奈良に住むおばあちゃんから中学最後の「お年玉」と称して無理やり小遣いをせびり、ついに初めての自分のギターを手に入れた。

そのギターは、モーリスというメーカーの3万円の真っ黒のエレアコで、

このギターを選んだ決め手は、もちろん、

剛のギターに、なんか似てたから…。(失笑)

自分のギターを手に入れてからというもの、僕は練習の鬼度合いにますます拍車がかかり、1年ほどたった頃には、もう長渕の曲ならほぼすべて弾きこなせるまでに成長していた。

さらに僕の場合、剛に少しでも近づきたいという思いがなお強く、楽譜通りに弾くだけでは物足りず、いわゆる完コピ(完全コピー)を目指し、ライブCDなどを綿密に聴いては、長渕が少しだけ間違ったミストーンまでをも真似して練習していたのである。

いやはや、16歳にして、やっぱり恐ろしい長渕モンスターである…。(笑)

そして僕は今、全身で感じることができる。

みんながまたまたどんどん遠いところへ引いて行ってしまっていることを…。

・・・・・・・・・・・。

さあ、怖くないよ。

こっちへ戻っておいで。

ルールルルル、ルールルルル…。

 

 

とにかく、そういう風にギターが上達した僕が、次に考えることはもう、一つ。

そう、

人前で弾いてみたい。

つまるところ、ストリートで演奏してみようということ。

「ギターが上手くなった⇒ストリートにでる」っていう考えは、何故だかは分からないが、この時僕にとってものすごく自然な流れだった。

ほんと、なんでかは全く分からないんだけど、それ以外は考えつかなかったのだ。

多分、その時すでに、そうなるように運命みたいなもので決まっていたんだろう。

ほら、世界的に有名な古内東子理論にもあるでしょ。

「優しくされると⇒切なくなる」

「冷たくされると⇒泣きたくなる」

これと一緒。

「ギターが上手くなる⇒ストリートにでる」っていうのは、僕にとってはそういうこと(どういうこと?)だったのだ。

さあ、そして、高校1年生になった僕はついに、この古内東子理論に導かれるかのように、ストリートという新しい世界に足を踏み入れていくことになる…。

 

つづく…。

 

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「SAY YES」

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2007年10月19日 (金)

SAY YES

前回からの続き…

 

というわけで、高校1年生(16歳)の時から僕は路上ライブなるものを始めたんだけど、この頃はさすがにまだ一人で人前で演奏するなんてことが恥ずかしかったので、僕はいつもコウヘイ君という相方と一緒に活動をしていた。

彼とは同じ学校の同級生で、正直普段それほど仲の良い友達ではなかったんだけど、たまたま彼も僕と同じように長渕を溺愛していて、偶然にも同じようにギターを始めて1年くらいという共通点があったので、そこの部分のみ(笑)で意気投合していたのである。

 


僕らがいつも演奏していたのは、「京橋」という大阪ではちょっと大きめの駅。

ここは僕の実家から最寄の駅だったというのもあるが、なにより、

220pxjrwkyobashistationnorthgate


写真ではちょっと分かりにくいかもしれないが、駅前にかなり広めのスペースがあり、なんだかストリートがしやすそうな場所だったのだ。

僕らが演奏するのは、もちろん(?)長渕剛の曲オンリーだったのだが、肝心の「歌」の方はどうだったかというと、今までギターの練習ばっかりに力を注ぎすぎて「歌」のことなんて「なんとかなるやろ」程度にしか考えていなかったこともあって、実際に路上で歌ってみると、そりゃあもうヒドイもん。

せっかく2人もいるのに、ハモるなんてことを考えもつかないような未熟な僕らは、ただただ2人して精一杯大きな声で同じメロディーをガナって歌ってるだけ…。

しかも、ギターの方だって、一所懸命に練習していたとはいっても、2人とも各々長渕のマネをして同じような練習をしていただけなので、これまた歌といっしょで全く同じフレーズを2人して同時に弾いているだけという惨劇…。

つまりこの頃の僕達は、同じ動きをするコピーロボットがただ2人並んでるだけという、ある意味斬新で、ある意味残念感たっぷりのストリートミュージシャンだったのだ。

うん、

若いって素敵やね。(笑)

そして同時に、

なんか泣けてくるね…。

(あれ、俺だけ?)

 

ちなみに、この頃はもちろんまだギターケースを開けたりしてお金を儲けようなどとは一切していませんよ。

念のため。

 

 


しかし、そんな中でも、時代は少しだけ僕達に味方してくれていたようだ。

というのも、当時ストリートミュージシャンというのは今みたいにそこらじゅうにいたわけではなく、まだ珍しい部類の人種だったということもあり、お客さんだけはいつも自然と集まってくれていたのだ。

毎回僕達の周りには黒山の人だかりができてしまって、押し合いへし合い、人をかきわけないと僕達の姿がみえないほどに…。

さらに、僕らは大体週1回くらいのペースで歌ってたんだけど、そのストリートの日には僕ら目当てのお客さんが京橋駅に押し寄せすぎて、交通整備のガードマンが数十人雇われるなんてことも…。

・・・・・・・・・・。

うん、

妄想って素敵やね。(笑)

それと同時に、

なんか泣けてくるね…。

(あれ、みんなも?)

 


けどね、実際ね、僕達みたいなもんにも毎回ある程度のお客さんが集まってくれてたことはホントの話で、やっぱり当時はそれだけストリートミュージシャンというのがまだ物珍しかったっていう証拠だと思う。
(長渕人気が今よりだいぶ高かったのもある。)

だって、今思い返しても、1人もお客さんが聞いてくれていないような状況っていうのは、ほんとなかったもん。

それどころか、続けていくうちに、僕ら目当てにわざわざ電車に乗ってまで見に来てくれる人もチラホラ現れたりしたくらい。

これ、ホントなんです!

いやー、当時の世の中って狂っとるねー。(笑)

彼らにとったら、動物園の珍獣を見に来てる感じのイメージだったのかなあ…。

 

 

とにかく、

そんな週1回の路上ライブを続けること約1年。

なんやかんやである程度いろんな面で上達してきた僕らに、ある日、とある夏祭りの舞台での演奏の依頼が舞い込む。

とはいっても当時17歳やそこらの僕達にもちろんギャラなどは一銭も出ないのだが、それでもそこは、今まで頑張ってきたご褒美代わりともいえる晴れ舞台。

僕らがそれをむげに断るわけもなく、こちらからも喜んで快諾させてもらった。

そして夏祭り約1ヶ月前、僕達は打ち合わせのために、その夏祭りの運営事務所に連れて行かれた。

まあ事務所とはいってもそこはただのプレハブ小屋で、中は、おそらく夏祭りを手伝うんであろう町内会のおっさんおばちゃんたちの完全なる溜まり場と化していた。

この後、パイプ椅子に座らされた僕達が、暇を持て余しすぎて飢えたライオンのようになっている彼らの格好の標的になるのは、いくら人生経験の浅い僕らとはいえどもすぐに分かったし、現実もまた、その通りになっていった…。(苦笑)

とりあえず初めは、僕が彼らに素朴な疑問をぶつけたことから始まった。

 


「あのー、けどほんとに僕らみたいなのでいいんですかね?
僕ら、長渕剛の歌しか歌えないんですけど…。」


おばちゃんA
「なんでーな、ええやないの。
長渕剛やろ。
私知ってるわ。
とんぼやろ、とんぼ。
カッコエエやないの。」


おばちゃんB
「若い子たちもいっぱい来るからな。
その子らに聞かせたり。
喜びよるわ。
なあ。」


全員
「ほんまや、ほんま。」



「そうなんですか。
じゃあ、ほんとに長渕剛だけでいいんですね。
分かりました。」


おっさんC
「ところで自分ら、コンビ名はなんていうねん?」

 

コンビ名?

そういえば、そんなこと考えたこともなかった…。

 


「ああ、そういえばまだ決まってないですねえ。
どうしたらいいですかね。」


おっさんC
「そら、困るわ。
こっちもな、チラシやらポスターに君らのこと書かなあかんさかいにな。
困ったなあ。」


おっさんD
「そんなら、わしらが今考えたったらええねん。」


おばちゃんE
「ほんまや、そうしてあげたらええやないの。」

 

いやいや、なんでそういう流れになるの…?(苦笑)

しかしもちろん、サカりのついたこのライオン達を止められるものはもうここにはいなかった…。

 

おっさんF
「よし!じゃあオレが考えたる!」


全員
「よっ!池田さん!」


おっさんF(池田さん)
「そうやなあー…。
うーん…。
自分らの見た目で、
『タレ目とツリ目』っていうのはどうや?」


全員
「ギャハハハ!ワハハハ!
池田さん、ふざけんと考えたらな、彼らかわいそうでっせ!
ぐわはははははは!!」

 

・・・・・・・・・・・・。

帰りたい…。

もしくは、今履いてるスリッパで、全員の頭ハタキたい…。

ああ、俺ら、何でこんな依頼受けたんやろう…。(泣)

 

おっさんC
「そんなら、わしがちゃんとしたん考えたるわ。」


おっさんF(アホの池田)
「頼むわ、西やん。」


おっさんC(西やん)
「おう、任しとき。
そやなあ。
自分ら京橋駅で歌っとったんやろ。
京橋、京橋っと…。
あ!分かった!
『チャゲ&京橋』っていうのはどうや!」

 

・・・・・・・・・・・。

チャ、「チャゲ&京橋」って…。

プッ…。

あきれを通り越して、これにはさすがに思わず僕らも吹き出してしまうほどの、おバカ解答だった。(笑)

・・・・・・・・・・・。

あ、あれ?

しかし、なんだかみんなの様子がおかしい。

さっきみたいな笑いが起きず、なんか、みんな各々しきりにうなづいたり、「それ、かっこええやないの。」などと口にしたりしているのだ…。

しまいには、何故か全員拍手をしはじめる始末…。

パチパチパチパチパチパチ!!

う、うそやろ…。(汗)

当の西やんもこの反応になんだか誇らしげ…。

 

おーい!!

みんな、目を覚ませー!!

しっかりしろ!!

よー考えや。

「チャゲ&京橋」やで?

 

 

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  &

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やで…。

・・・・・・・・。

・・・・・・・・。

・・・・・・・・。

もう一回言うで、

 

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    &

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やで…。

・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・。

な!

意味分からんやろ?

「人」&「場所」やで?

これの何がかっこいいの?

さっぱり意味分からんやん!

とにかく、みんな気を確かに!!

 

まあ百歩譲って、もし俺達がチャゲアスのカバーばっかり歌っているのなら、まだ何とかヨシとしようか。
(それでもやっぱり嫌やけど…。)

けど実際は、ご存知の通り、俺達ただの長渕オタクやで…。

どっからそんな突拍子もないコンビ名が出てくるん?

それに、

じゃあ根本的なこと聞くけど、俺とコウヘイ君、どっちが「チャゲ」で、どっちが「京橋」なん?

悪いけど、俺、「チャゲ」だけはなんとなく嫌やで。
     
(↑チャゲに謝れ!笑)

俺の地元が京橋なんやから、俺が「京橋」な。

コウヘイ君ゴメンな、それだけは譲られへんで。

 


って、

いつのまにか、この名前受け入れ始めてるやん、俺!

アホ!!

よし、ここはちゃんと、絶対的な否定の意志を示さなければ。

 


「ダメです!!
『チャゲ&京橋』だけは絶対に嫌です!!
だって、僕ら長渕歌うコンビですよ。
意味分かりませんやん!
ほんま勘弁してください!
近いうちに僕らで急いでちゃんと名前考えますんで。
ほんま頼みます!」

 

僕らのあまりにも切実なお願いを聞いて、場の空気もやっと静まりだした頃、それを察してか、やっとさっきのおっさんが答えた。

 

おっさんC(アホの西やん)
「まあまあ、冗談やがな。
そんなムキにならんでもええがな。アハハハ。
けど、ほんなら、自分らで決めるんなら、はよ決めてや。
こっちもいろいろ手配しなあかんからな。」

 

冗談って…。(苦笑)

たとえ冗談であったとしても、真思春期っ只中の僕らに、そんな恥ずかしい名前付けんといて!

ヘタしたら、一生の汚点になるところやったやんか。

もう、これやから大人は嫌いやねん。

プンプン!

 


とにかく、この後この日の打ち合わせはなんとか無事に終わり、2、3日後僕達は、自分達で必死に考えた新しいコンビ名を事務所に電話で伝えたのである。

(ちなみに、この時に考えた新しい名前っていうのは、リアルに今は忘れてしまいました。
おそらく、当たり障りのない、どこにでもあるような名前だったと思います。)

まあ、なんにしろ、あれが冗談で終わって良かった…。(笑)

 

 


さて、

そんなこんなで夏祭り当日。

僕とコウヘイ君は、朝から相当な気合をみなぎらせていた。

なんといっても、この日のために僕らは、あれからものすごい練習を重ね、ようやくちょっとしたハモりやリードギターまでこなせるようになっていたのだから。

ああ、午後4時からの本番が楽しみである。

とりあえず、なんだかソワソワして落ち着かない僕達は、昼前になって、とにかく本番会場の下見に出かけることにした。

会場までの道のり、僕達は地元の商店街の中を通った。

商店街の壁や柱には、いたるところに今日の夏祭りのポスターがデカデカと貼ってある。

わあ!ほんまにこんなポスターまで作ってるねんなあ。

興味本位で2人が近づく。

・・・・・・・。

見なければよかった…。

2人の顔が一斉に青ざめる。

きっとこの世に神様なんていない。

「お祭り広場の本日のスケジュール」の欄に書いてあったある言葉…。

 


 16:00~

 

「チャゲ&京橋」ライブショー! 

 

 

 

 

 

 

さあ、

何度も言うよ 残さず言うよ

・・・・・・・・・・

迷わずに~

 

 


SAY  NO!!!!

 

 


この日以降、僕が大人というものを全く信用しなくなったのは、言うまでもない…。

 

おわり。

(始まりの物語自体はまだ続きます…。)

 

P.S.

ちなみに、結局ジャンケンで負けて、僕が「チャゲ」でした。
イエイ!

 

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2007年11月28日 (水)

T山恒一がやって来た ヤァ!ヤァ!ヤァ!

みなさんは、「T山 恒一」という人間をご存知でしょうか。

えっとこの人は、今年春の東京都知事選挙に立候補して、約1万5千票を集めて見事に(笑)落選された37歳の男性なんですけど、この人、その選挙の政見放送(テレビ用の立候補者の演説)で、なんだか過激なパフォーマンスをして、それが一時期ネット上ですごく話題になったんです。

その政見放送が投稿された「You Tube」なんかでは、東京都の選挙管理委員会がその騒ぎに気付き削除要請するまでの間、数日間は1日の動画再生回数が世界1位になってたくらいです。

まあけど、いくら話題になっていたとはいっても、それは2ちゃんねるをはじめネット上での一部の世界の話で、普通に暮らしているぶんには、全く知らない人のほうが圧倒的に多いとは思います。

そこで、「T山 恒一」を知らない人のために、その、当時話題になった政見放送をYou Tubeから載せておくので、とにかくまず見てみてください。
(注;音が出ますので、職場等で見る方は要注意。)
(注2;あ、あと、あんまり真剣に見ずに、半分お笑いビデオとして見ちゃって大丈夫ですからね。)
(注3;携帯からは見れません。)

 

 

 

いやー、怖いですねー、恐ろしいですねー。(笑)

こんな人がもし本当に東京都知事に当選したら、日本はどうなっちゃうんでしょう。

 

えーっと、

ただね、みなさん、

残念なことに(?)、実はこの人、僕の10年来の知り合いなんです…。

あはは…。(苦笑)

・・・・・・・・・・。

 

 


キャー!!

みんな、引いちゃイヤーー!!!

僕をそんな目で見ないでーーー!!!!

 


違うんです。

まあ、T山さんはほんとに知り合いというか、友人というか、先輩というか、とにかくそういう関係なんですけど、この人実際にこんなキャラクターなわけじゃないんですよ。

あくまでも、普段はすごく穏やかで、ユーモアと茶目っ気たっぷりの人なんです。

じゃあ、なんでT山さんがこういうことをしたのかとか、普段はどういう活動をしているのかとかは、長くなるので掲示板のポスターを見てくれ。

あ、違う。(笑)

えっと、とにかく、T山さんに興味のある方は、ネットで色々検索してみてください。

いたるところにかなり過激な内容が出てくると思うので、僕は責任を持てませんが…。(苦笑)

 


そしてね、

今回は別にそういう話をしたかったわけじゃなくて、そもそも、僕とT山さんはそういう政治的な活動や思想の面においての知り合いでは全くないんです。

じゃあ、どういう話をしたかったのかというと、実はT山さんは、政治活動家以外にも、「ストリートミュージシャン」という顔を持っておられて、何を隠そう、このT山恒一さんが僕が今の仕事を始めるきっかけになったまさにその人物なんです。

それでね、僕、今書いている「始まりの物語」シリーズの中で、次回くらいからこのT山さんとの出会いについて書こうと思っていたんですよ。

そしたら、なんとビックリ!

このタイミングで、ついこの間 T山さんが僕の仕事場をわざわざ訪ねて来られたんです!

 

ん?

そんなの、知り合いなら別に普通の事じゃないのかって?

いや、それが違うんですよ。

T山さんはもともと九州の方で、今も熊本に住まれてるんですけど、実は僕、T山さんと10年来の知り合いって言っても、ここ5,6年は一度も連絡すら取り合ってなかったんです。

(もちろん、T山さんがこのブログの存在を知っているわけでもなく。)

だから、今回の都知事選の一件にしたって、僕がたまたま自分でネットで見つけて、腰を抜かすほど驚いたくらいなんです。

「T山さん、あんたまた何ちゅうことしてんねん!」って。(笑)

つまり今回、そんな何年も会っていないうちに有名人になってしまったT山さんの事を、これからこのブログに書こうと思っていた矢先に、その張本人が突然僕の歌ってる場所に現れたっていうわけなんです。

ね、そりゃビックリするでしょ。

言ったら、美川憲一のモノマネをしていたコロッケの後ろから、突然ご本人登場みたいなもんですよ。

あれ?

なんか違う?

まあ、いいんです。

とにかく僕は、コロッケ並みにビックリしたんです。

ビックリコロッケです。

 


しかもね、T山さんがこの仕事を始めたきっかけだとはいっても、僕がT山さんに出会ったのは実は大阪ではなくて九州なんです。

そして大阪でこの仕事を始めてから、今までT山さんには、大まかな地域名以外、ちゃんとした僕の仕事場所を詳しく教えたことはありません。

つまり、この日T山さんは、知らない土地なのに、わざわざ自力で僕を探してくれたみたいなんです。

(何をそこまで…。苦笑)

なんでも、聞くところによると、今回東京で何やらイベント出演の依頼があったらしくて、熊本から車で東京に向かう途中、大阪にも少しだけ用事があったので、ついでにここに立ち寄って僕を探してみたらしいです。

歌ってる僕を見つけたT山さんは、

「やっぱり、まだこの仕事を続けてたんだ。」

と言って、何だか喜んでました。

 

 

さて、そんなT山さん、今回はもう1人女性スタッフが同伴していて、結局その東京への行き道2泊と帰り道2泊、合計4泊、僕の家に2人で泊まっていかれました。

と、いうことで、

僕とT山さんとの出会いや、その他もろもろは、さっきも言ったように次回から書き始めるとして、今日はせっかくなんで、大阪にいる間に撮ったT山さんの写真をみなさんに何枚かお見せしたいと思います。

これを見れば、本編を読む前に、少しはみなさんのT山さんへの怖いイメージが取り去れるんじゃないかと思うので。

じゃあ、まあ、とにかくどうぞ。

 

 

 

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まず、T山さん、僕の家に到着。
(着ているTシャツについては、どうかノーコメントで…。笑)



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なんだか僕の本棚から本を物色。
(このTシャツの背中の文字も、どうかノーコメントで…。苦笑)



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選んだ本を真剣に読みふけるT山さん。

何をそんなに真剣に読んでるかと思いきや、



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「エスパー魔美」でした…。

ね。

かわいいでしょ。



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ルパンのおもちゃで必死に峰不二子を捕まえようとするT山恒一(37歳)。

ほらね。

全然怖くないでしょ。

・・・・・・・・・・。

い、いや、やっぱり、違う意味でちょっと怖いでしょ。(笑)



176


寝るT山恒一。

 

 

せっかくなんで、ちょっくら大阪観光にも出かけました。

 

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アメリカ村を散策する、僕とT山さん。



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「北極星」で、嬉しそうにオムライスを食べるT山さん。



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十三(じゅうそう)で、嬉しそうにみたらし団子を食べるT山さん。



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「太陽の塔」も見に行きました。

これは裏の顔。



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T山さんが、やらたと「20世紀少年」のマネをしていたので、その隙を見計らって、本人に気付かれないように、



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「太陽の塔」とチューもさせちゃいました。(笑)



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そして、手乗り太陽の塔。

これは、T山さんにも協力してもらった、僕の努力の結晶です。

こんな事に必死になってる31歳と37歳。

ね、

素敵でしょ。(苦笑)

 

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通天閣(新世界)にも行って来ました。



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さて、色々と写真を見てもらいましたが、

とにかく、T山さんは、こういう人なんです。(どういう人?)

だから、みなさん、安心してください。

決して、突然噛み付いたりしませんので。(笑)

 

 

さあ、とにかくそういうわけで、次回からは、10年ちょっと前僕が今の仕事を始めるきっかけになったこのT山さんとの出会いについて話していきたいと思います。

今回は、T山さんが突然現れたので、緊急番外編でお送りしました。

ではみなさん、また次回。

 

 

 

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2008年1月25日 (金)

もんもんもん

はーい!

良い子のみんな、集まってー!

今からお兄さんが大事なお話をするから、よーく聞いてねー!

えーっと、

良い子のみんなは、昨晩みたいにハチャメチャに寒い夜は、絶対お外にギターなんて弾きにいっちゃダメだよー!

お兄さん、久しぶりに死ぬかと思ったもんねー!

だって、久しぶりに、マイクに飛んだツバがしばらくしたら凍ってたもんねー!

アハハー!

ギターを弾く指だってそりゃ動くわけないよねー!

足早に通り過ぎる人たちの大半が、お兄さんの事、変人扱いで見てたもんねー!

そりゃ、こんな日に、立ち止まって歌なんて聴いてられるかっていうのねー!

そんなの、聴くほうも罰ゲームだよねー!

アハハー!

お兄さん、やっぱり死にたくなるよねー!

もう、商売とかそんなの関係ないよねー!

オッパピーだよねー!

もちろん、すぐに仕事放棄して、泣きながら逃げるようにして帰ってきたよねー!

途中で、涙も凍ってたよねー!

まあ、それは嘘だけどねー!

それで、家に着いて、暖房全開にして、ココア飲みながら、このブログ書き始めたんだけど、

やっぱり、暖房とココアとブログって、人類史上一番の発明品だよねー!

まあ、それも嘘だけどねー!

 

 

と、

いうわけで(?)、とにかく、こんな日こそ頑張ってブログを更新していきたいと思います。

さてさて、以前から予告していたように、今回からは、僕がこの仕事を始める直接のきっかけになった外山恒一さんとの出会いについて書いていこうと思ってるんですが、またいつものように少しだけ長くなっちゃうかもしれないので、どうかみなさん、のんびりとお付き合いください。

 

 


20歳、夏。


僕はある私立大学の2回生で、柄にも合わず大学生活というものを送っていた。

まあ、とはいっても、やはり僕のことなので、それは健全な大学生活というものには程遠く、授業にもろくに出席せず、ただただ有り余る時間というものを浪費しているだけの日々だった。

ただ、そんな大学生特有の贅沢な時間を僕なりに楽しんでいたのも事実で、友達も決して少なくはなかった。

しかし、一番の問題は、僕が大学というものに在籍することに何の意義も感じていなかったこと。

当時、自分の進むべき道を未だに模索していたとはいえ、無難に就職する気だけはどうしても無かった僕は、かねてから、このように大学に進学することすら本望ではなかったのである。

じゃあ、そもそも何故大学受験をしたのかというと、それは母親のたっての願いからだった。

 


今までも何度か言っているが、うちの家庭には父親がおらず、僕は母親一人の手によって育てられてきた。

一般的に普通、母子家庭というのは、生活していくだけで大変で、子供の教育までには力を注ぐまでの余裕がないようなイメージがあるかもしれないが、うちの母親は違った。

プライドが人一倍高かったのか、反骨精神が強かったのか、うちの母親は、「父親が居ないから子供がああなった」と世間に思われるのを極端に嫌い、僕と兄(特に僕)の教育には一時期ヒステリックなまでに力を注いだのである。

もちろん、父親が居ないので、お金がたくさんあるわけじゃないのに、母は自ら身を粉にして働き、幼い頃から僕を「受験戦争」というレールに乗せた。

しかもそれは、(母自身が)大声を上げ、言う事を聞かない時には、容赦無く平手を喰らわせ、時には髪の毛を引っつかんだまま勉強させるほどの、いわゆる「スパルタ教育」というものだった。

そんな中、幼い頃は言われるがままただがむしゃらに勉強していたのだが、進学校に入学し、年齢が進むにつれて、僕にも自我というものが芽生えてくる。

「何で僕はこんなに必死に勉強をしなければいけないんだろう」

と。

まあこの場合、自我というよりはむしろ、母親譲りの反骨精神が露呈してきたというほうが正しいのかもしれない。

とにかく、

僕は、この「学校の勉強」というものの先にある

< 大学進学 → 良い会社に就職 >

という暗黙の構図に対して、どうしても自分自身の満足や幸せを見い出すことが出来なかったのである。

ただ、そうはいっても、じゃあ他に何か将来に対する明確なプランはあったのかと言われると、10代の僕には残念ながらまだそこまでの思慮深さは無く、この頃は、決められたレールの上をなんとなく流れていくことをただただ忌み嫌っていただけかもしれないが…。

 


しかし、そんな僕の想いをよそに、母は大学進学に強くこだわった。

とにかく先の事はいいから、どうしても大学だけは出てくれと。

今となっては、母の言わんとする事が分からないでもないが、この時の僕は、やはりそれなりに反発した。

浪人したのに予備校には3日と通わなかったり、家出をして東京で住み込みで働いてみたり…。

まあけど、そんな迷走も、確固たる信念が伴わないかぎり、やはり所詮はその名の通りただの「迷走」。

結局最後には、母の強い押しに負ける形で、僕は大学に進学することになる。

 


さて、冒頭に戻って、20歳、大学2回生。

僕は、そういうわけで、この2年間ずっと悶々(もんもん)としていた。

もちろん、初めにも言ったように、初めての大学生活というものを少なからず楽しんでいた部分があることも事実なのだが、やはりどうしても普通に就職するつもりのない僕にとって、自分がやみくもに大学に在籍している事に未だに何かしらの違和感を感じずにはおれなかったのである。

これからどうしよう。

どうしていけばいいんだろうか。

僕は、いつも頭の片隅でそんなことを考えていた。

 


そして、実はまだもう1つ、僕を深く悩ませていた事がある。

それは、「お金」について。

 

僕が通っていたのは私立の大学で、やはり国立大学などに比べると学費が数段に高い。

しかし、これも先ほど言ったように、うちの家庭は裕福なわけではないので、これは母親にとってはかなりの負担になるわけだ。

かといって僕は、自分の本望ではない大学というものの学費を、自分で稼いでまかなうほどの出来た人間ではない。

つまりこれからも、将来にもつながらない、僕が時間を浪費していくだけの大学生活のために、母親は高いお金を費やしていくのだろうか。

親不孝者。

これは、まさしく僕の為にあるような言葉だ。

これからどうしよう。

どうすればいいんだろうか。

周りの友達がそろそろ就職活動を始め出す頃、

とにかく僕は悶々としていたのである。

 

 

しかし、この年の夏休み、ようやく僕の運命は動き始める…。

 


つづく…。

 


P.S.

しかし、なんて出だしとそれからの文章のテンションが全然違うブログなんでしょう…。

しかも、外山さんとの出会いとか言っておいて、結局まだ外山さんの「と」の字も出てきてないし…。(笑)

えっと、次には出てきますので。(たぶん)

あ、後ね、

今回書いたこの話は、僕個人のひん曲がったものの考え方が書いてありますが、もちろんこれが絶対正しいなんて思ってるわけじゃないですからね。

自分の人生に対しては、人それぞれ色んな考え方があって、ただ僕の場合はこうだったっていうだけです。

きっと僕は少数派ですから。(笑)

だから、

これからは大学受験をはじめ、いろいろな受験の時期だと思いますが、もし何かを受験をされる方がいらっしゃったら、どうか自分を信じて今までの努力を十分に発揮して頑張ってくださいね。

特に、かえるくん

俺は、かえるくんをほんまに応援してるんやで。

大丈夫。

Everything's gonna be all right !

 

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2008年5月15日 (木)

運命の出会い

春だ。(もう終わるよ。)

ゴールデンウィークだ。(とっくに終わったよ。)

ブログを再開しよう。

大事な大事な僕の記録だもの。

もう、いつものような言い訳はいらない。

とにかく書こう。

きっと面白いことは書けないけど…。(それが言い訳だよ。)

えっと、何を書くんだっけか。

ああ、そうか、この仕事を始めるきっかけになった話か。

みんなももう忘れちゃったと思うけど、外山恒一さんとの出会いとかなんとか、とにかくそんな話だ。(そこ適当?)

 

 

というわけで、3ヶ月近くも前の「もんもんもん」という話からの続きです。

 

 

続き…

 

さて、その頃、僕には3つ年下の親友がいた。

彼の名は、ノリヒサ(仮名)。

ノリヒサは、僕の大学の女友達ので、当時福岡に住んでいたんだけど、お姉ちゃんを訪ねてよく大阪に遊びに来ていて、

1年前の初対面の時から、僕たちは歳は違えど何故だか妙に気が合い、すぐに意気投合したのだった。

 

そして、この年の夏休み。

そのノリヒサが僕に、福岡に遊びに来ないかと誘ってきた。

実は彼は、あと2週間ほどでしばらくイギリスに留学することが決まっていて、日本を発つ前に、せっかくなので今彼の住む福岡に旅行がてら遊びにおいでよと言うのである。

そもそも、大学生の夏休みというのは、丸々2ヶ月と異様に長い。

普通2回生といえば、そろそろ就職活動に動き出す時期なのかもしれないが、そんな考えなど毛頭無い僕は、この長い夏休みをどう過ごそうかちょうど悩んでいたこともあり、二つ返事でその誘いを快諾した。

それに、僕は今まで福岡には一度も行ったことがなく、以前から「博多」という街にはすごく興味があったのだ。

じゃあとにかく、

夏休み、初めの2週間は福岡で羽を伸ばし、残りの1ヵ月半はお金もないだろうから大阪に戻ってバイトにでも明け暮れよう。

と、

それが、この時僕が思い描いた1997年の夏休み計画だった。

しかし、この初めての福岡旅行こそが、後の僕の人生をまるで思わぬ方向に導いていく大きな大きなターニングポイントになろうとは、もちろんこの時の僕には知るよしもない…。

 

 

 

さてさて、夜行バスに乗ってたどり着いた西の都大福岡。

ノリヒサの住むマンションは博多から少し離れた「姪浜(めいのはま)」という所にあった。

このマンション、3LDKもあるれっきとしたファミリータイプのマンションですごく広く、以前はノリヒサと父親の2人で住んでいたらしいが、現在父親は仕事の関係で違う場所に住んでいて、今はノリヒサ一人で暮らしているらしい。

当時17歳の若者が、こんなに広い家にたった一人きりで住んでいるというのは、今となっては少し違和感を感じざるを得ないが、彼もなかなか複雑な人生の持ち主。

人それぞれ色んな事情があるんだろう。

とにかく、朝早く福岡に到着した僕は、マンションに荷物を置かせてもらい、ノリヒサの案内のもとさっそく福岡観光に出かけた。

まあしかし、福岡観光とはいってもそんな大げさなものではなく、まだ初日ということもあり、大濠公園(おおほりこうえん)という大きな公園や、博多の中心地を歩いてまわるといった程度のもの。

それでも、初めての土地、大好きな夏の匂い、博多独特の人々の活気、そんなものたちの空気に包まれて、自然と僕の気分は高揚していった。

 

うわー、福岡めっちゃ楽しそう!

 

そんな中でも、僕が一番興味をもった場所が、「中洲(なかす)」と呼ばれる西日本最大の歓楽街(飲み屋街)。

ここは、その名の通り川に浮かぶ中州状の地形になっていて、橋を渡ってあちら側に向かう。

 

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僕らが到着したのが昼過ぎだったこともあり、そこにはまだ歓楽街特有のきらびやかさや人の賑わいはほとんど無かったんだけど、

その時ノリヒサが何気なく口にした一言。

 

「ここも夜になったら、ストリートミュージシャンがたくさん演奏してるんやで。」

 

この言葉に、僕は激しく食いついたのである。

 

 

もちろん、単に「ストリートミュージシャン」という言葉に反応したのもあるが、それだけではない。

にも書いたが、高校1年生から始めた路上演奏。

あれから5年近くたって大学生になったこの頃でも、確かに僕はまだ趣味程度で月に1,2回くらいは駅前などで歌っていた。

(何が目的だとかそういう確固たるものは無かったんだけども、見知らぬ人達との出会いなども含め、なんとなく外で歌う行為がいまだに楽しかったのである。)

ただ、今まで僕にとって弾き語りっていうのは、そういう駅前や公園など、基本的にお酒の入っていないいわゆるシラフの人々相手にするものだという勝手な思い込みがあった。

だからノリヒサの言葉を聞いて、

この純然たる飲み屋街で、夜に酔っ払いを相手に弾き語りをする人達がいるんだという事にビックリし、そしてすごく興味を持ったわけである。

 

さらには実は僕、まだ言ってなかったが、今回の福岡旅行にもギターや楽譜などのちょっとした弾き語り道具は持ってきていて、あわよくば暇な時間にでもどこかで歌ってやろうともくろんでいた。

もちろん、それは大阪と同じくどこかの駅前か公園などを想像していたんだけど、こうなってくると話は別である。

 

せっかくなら、俺もここ(中洲)で歌ってみたい!!

 

なんだか、夜の世界ということで少し危険な香りがしないでもないが、それよりなにより新しい世界へ足を踏み入れるという興奮のほうが僕を魅了するのだ。

 

「なあ、ノリヒサ。
そしたらさあ、福岡におる間1回でいいからさあ、時間のある夜に俺もここで歌ってみていい?」

 

「うん、全然構へんよ。
そしてら、さっそく今日の夜にでもまず様子見に来てみる?」

 

「え?今日?
いいの?
えらい話が早いけど…。」

 

「そうかな。
だって俺、たかゆき氏(当時のあだ名)が福岡来るって言った時から、なんとなくこうなる気がしとってんもん。」

 

 

 

 

 

それから数時間、

分かりやすい性格の僕は、観光中も食事中も頭の中はずっと弾き語りのことで一杯だった。

 

 

初めての大阪以外での弾き語り。

しかも夜の巨大飲み屋街。

一体他にはどんなストリートミュージシャン達が演奏してるんだろう。

そして、僕の前にはどんな人達が足を止めてくれるんだろう。

やはり飲み屋街っていうのはトラブルが多いんだろうか。

怖い目に遭ったりもするんだろうか。

けどその分、新しい出会いもあるかもしれない。

うん、そうだ。

何が起こるかなんて、やってみなくちゃ分からない。

何かあったとしても、そんなの、旅の恥はかき捨てだ。

ああ、やっぱりワクワクする。

もちろん、すごく緊張もするけど、

とにかくワクワクする。

 

 

 

 

そんなこんなで夜9時。

僕達はほんとにここ中洲に戻ってきた。

今日はまだ様子見だと言いつつも、僕の手にはしっかりとギターケースと楽譜の入ったカバンを握りしめて…。

 

 

 

しかしまあ、夜の中洲はほんとに昼間とは全く違う世界だ。

あれだけ穏やかだった街が、この数時間でこんなにネオンきらめく大人の街に変貌するなんて。

 

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川沿いにも昼間には無かった屋台の群れがずらりと並び、ほんとにたくさんの人が行き交っている。

 

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家族連れや観光客もたくさんいることを考えれば、

どうやらここ中洲は、飲み屋街であると同時に、一大観光スポットにもなっているようだ。 

 

緊張と同時に、僕のテンションもますます上がってくる。

 

 

そんな中、様子見のため僕達はさっそく他のストリートミュージシャン探しを開始。

すると、

確かにノリヒサの言った通り、中州にはいたるところにストリートミュージシャンが点在していた。

川沿い、道路沿い、閉まった店のシャッターの前、曲がり角、などなど。

 

しかし、残念ながら、どうも彼らの中に特に僕の興味を引くようなミュージシャンはいない。

なんというか、夜の飲み屋街とはいっても、結局は僕が大阪で見てきた大半のストリートミュージシャンと同じで、

好きなアーティストの歌を声を張り上げてただひたすら歌っているだけといった感じの人ばっかりなのである。

もちろん僕も、今までずっと彼らと同じような事をやってきたわけだけども…。

それでもやっぱり、飲み屋街っていう未知なる場所にはきっとすごい弾き語りや変わった弾き語りが多いんだろうと勝手に期待していた僕にとっては、なんだか少し残念な気持ちなのだ。

うーん…。

 

ただ、

1つだけ、決定的に大阪と違うポイントがあった。

それは、彼らのうち何人かがギターケースのふたを開けて演奏していたこと。

これにはちょっと驚いた。

 

ギターケースを開けて演奏するということは、歌を聴いた人に対して、

「よければお金を入れてください。」

と宣言する行為である。

そのくらいのことは僕も分かっている。

実際、彼らのケースには小銭がいくらかばらまかれていたし。

 

ただ、今まで僕が大阪で演奏してきた小さい世界では、それは暗黙のルールとして、素人がやってはいけない行為、

つまり、「タブー」だという認識だったのである。

 

なんでタブーだったのかと言われると、実際のところ理由はよく分からないのだが、とにかく僕の周りではそういう暗黙のルールがあって、僕も無意識にそれに従ってきた。

ごくごく稀に好意でお金をくれる人もいたにはいたが、それはあくまでも直接お金を渡してくれる場合。

とにかくいつもふたは閉めていたのである。

 

 

そういうわけで今回僕は(ギターケースを開ける)彼らを見て驚いたんだけど、

その時、驚きと同時に実はもうひとつ別の感情も芽生えていた。

それは、「いけないことをしやがって」とかそういう気持ちじゃなくて、ただ単純に、 

「あ、うらやましいな」 

っていう気持ち。(笑)

 

 

そっか、こういう飲み屋街だったら、酔っ払いとか観光客が小銭を入れてくれることもあるんだろうなあ。

好きな歌歌って、それが小銭稼ぎになれば、こんなに素晴らしいことはないじゃないか。

なんで俺は今まであんな変なルールに縛られてたんだろう。

ああ、俺も早く中洲で弾き語りしてみたいなあ。 

 

そんなふうに思ったのである。 

 

「よし、ノリヒサ。
俺、やっぱり今日さっそくどっかで歌ってみるわ。
その間ノリヒサは暇やろうけど、それでもいいか?」

 

「うん、構へんよ。
俺は横でたかゆき氏の歌聴いとくし。」

 

こんな会話の後、いてもたってもいられなくなった僕は、ノリヒサを連れてもう一度中洲の中や周辺をくまなく歩き回り、(人がたくさん通るであろう)少しでも弾き語りがしやすそうな場所を探し始めた。

 

そんな時である。

僕があの運命の人に出会ったのは…。

 

 

それは、(さっきは通らなかった)ある狭い橋の上でのこと。

その橋のちょっとしたスペースで、ある一人の男性が歌っていた。 

彼は、髪の毛はチリチリの金髪なのに、真面目そうなメガネをかけていて、ちょっと年齢不詳な感じ。

コンクリートの段差に腰掛けて、浜田省吾の歌を歌っている。

 

 

僕らが興味本位で近づいてみると、彼のギターケースは開けられていて、中にはなんと大量の小銭と数枚の千円札が入っているではないか。

ええ!?

千円札が数枚も入っていることだけで僕らは十分に驚いたのだが、

さらに、ギターケースの内ぶたには段ボール紙が貼ってあって、そこに何やらデカデカと書いてある。

 

 

「生活費」 

 

 

 

 

僕は腰がくだけそうになった…。(笑)

 

 

何を言ってるんだろうか、この人は?

こんなの嘘に決まってるじゃないか。

だって、こんな事で生活なんてしていけるわけがないもの。

 

じゃあギターケースのお金もカモフラージュってことか。

けど、なんでこの人はこんな突拍子もない嘘をつくんだろう…。

 

 

そんなことを考えてるうちに、僕の彼に対する興味は止まらなくなっていった。

 

 

そう

彼こそが、この10年後に東京都知事選に立候補して話題となる

外山恒一

その人である。

 

 

つづく…。

 

 

P.S.

みなさん、大変ご無沙汰しておりました。

アホのたかゆきです。

僕はアホなので、今はまだみなさんに何もうまく言えませんが、

とにかく、ご心配をおかけしてすみませんでした。

あれからも毎日のようにここに訪問してランキングの応援だけをしてくださっていた方もおられるようで、そんなみなさんにはほんと感謝の気持ちで一杯です。

今はまたブログを少しずつ再開していこうと思っているので、今後とも仲良くしていただければ嬉しいです。

 

 

さて今回、読み返して思ったんですが、ものすごい久しぶりの更新なのに、相変わらずめちゃくちゃ長くて回りくどい文章ですよね。(苦笑)

ただ、今ずっと書いている「始まりの物語」の流れっていうのは、半分は未来の自分の為に書いている文章(記録)でもあるので、みなさん、もうすこしだけ辛抱してくださいね。

 

ではまた、なるべく近いうちに。

 

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「一万円とでっぱりと下心」

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2008年6月 3日 (火)

一万円とでっぱりと下心

運命の出会いからの続き…

 

とにかくそういうわけで、中洲で弾き語りをする場所を探している最中、ついに外山恒一さんと運命の出会いを果たした僕。

けどもちろん、この時の僕にはこれが運命の出会いだとか、この人が外山さんであるだとかは分かっているはずもない。

興味が止まらなくなっていた僕は、一曲歌い終えるのを見計らって恐る恐るその金髪の男性に話しかけた。

 

「あのー、すみません。
ちょっとお話させてもらっていいですか?」

 

「え?
あー、うん。いいですよ。」

 

彼は、手に持ったギターケースを見て、僕がストリートミュージシャンであることを認識したようだ。

 

「えっと、僕、今日大阪から来たばっかりなんですけどね、
お兄さんはいつもここで歌ってはるんですか?」

 

「あー、うんうん。
だいだいいつもこの辺で歌ってるね。」

 

思ったより気さくそうな人だ。

少し安心した僕は続ける。

 

「それでね、突然ちょっと失礼な質問かもしれないですけど、
この『生活費』っていうのは本当なんですか?」

 

「あー、これね、
本当だよ。」

 

「え!?
じゃ、じゃあ、このギターケースの中のお金もほんまに今日稼いだお金なんですか!?」

 

「そうだよ。
ほんとはもうちょっとあるけど、あんまり多いとあれだから、千円札は何枚か回収してるけどね。」

 

「え、え、え、あ、あの、い、いくらぐらい稼ぎはったんですか?」
   ↑
(明らかに興奮してきてる。笑)

 

「そうだなあ。
今日は今の時点で、1万円以上にはなってるんじゃないかな。」

 

「い、いちまんえん!!!???」

 

 

僕とノリヒサはお互いの顔を見合わせる。

もうわけがわからない…。

一万円といえば、大学生の僕が朝から晩まで必死にバイトして、それでもギリギリ稼げるか稼げないかの金額じゃないか。

そんな大金をこの金髪っつぁんは、今夜の「弾き語り」だけで稼いだというのか?

冗談じゃない!

さすがにそれは嘘にきまってる。

嘘にきまってる、さすがにそれは。(倒置法)

だって彼は、見たところそんな特別な弾き語りをしているわけでもなく、生ギターと生声で座って普通に歌っているだけだもん。

それがどうして1万円もの大金につながるのだ。

意味が全く分からない。

それにこの橋だって、狭い割にはある程度の人通りがあるけど、そんなにべらぼうな数の人が通ってるわけでもないし…。

それを証拠に、さっきから僕らが見ている範囲内では、誰一人として彼のギターケースにお金を入れた人はいないではないか。

そう思うと、彼の、金髪なのに真面目そうなメガネという独特のイデタチさえもなんだかうさん臭く見えてくる。(笑)

うーん、やっぱり嘘だよなあ…。

もうこのまま立ち去ってしまおうかなあ…。

 

 

とはいいつつ、

初対面の僕らにあまりにもあっさりとこんな事を話してくれる彼に対して、僕の興味心はとどまるどころか、もうメーターが振り切れてしまうほどの勢いだったことも事実で、この時、 

嘘だろが何だろうがもっとこの人の話を聞きたい!

と思う僕も一方で確かに存在していた。 

 

それは、若さゆえの(未知なるものへの)探究心からだけではなくて、もしかして初めから決まっていた「運命」のようなものだったのかもしれない。

だって、

これがほんとにすべての出発点になってしまったんだから…。

 

 

そしてこの後、結局僕達はしばらく彼との会話を続けた。

それによると、

彼の名前は外山さん。

27歳(当時)。学年でいうと僕の6つ上。

本人曰く、18歳の時に本を出版して、それが福岡で一時ベストセラーになったらしく、それ以来作家として活動するも、それだけでは到底食べていけないということで、今はこのストリートミュージシャンとしての儲けでほとんど生活しているらしい。

そして、そんな仕事としてのストリートミュージシャン生活をなんともう7年ほど続けているらしく、今やこういうストリート活動には心底アキアキしていると言っていた。

 

へえー、ほんとに変わった人だなあ。

こんな生活をしている人がいるなんて、世の中には僕の知らない世界がまだまだたくさんあるんだろうな。

すごいもんだなあ。

 

とにかく僕は、半信半疑ながらも、彼の言葉一つ一つにいちいち驚きや関心を隠せなかった。

(それでもまだ1万円のことだけは頑なに信じてなかったけど…。)

 

そんな中、ふと時計を見ると、いつのまにかもう10時すぎ。

話をもう少し聞いていたい気もするが、これ以上彼の言う「商売」の邪魔をしてもいけないし、このままじゃ僕もせっかく持ってきたギターの意味がなくなってしまう。
(今日は電車で来たから、終電で帰らないといけないのだ。)

かといって、これ以上場所を探している時間もなさそうだし…。

前回も言ったように、他のストリートミュージシャンや、なにより今この外山さんを見て、とにかく早くここ中洲でギターケースを開けて弾き語りをしてみたいと強く思い始めていた僕は、ここで外山さんにある提案をしてみた。

 

「えっとね、僕もどこかで弾き語りをしようと思ってるんですけど、もし迷惑じゃなかったら、僕もそこのスペースで歌ってみていいですかね。」

 

そして、僕はあるスペースを指差す。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

はい!

突然、ここでその「スペース」についての詳しい解説をします!

ちなみにこれ、完全に今思いついただけです!(笑)

 

えっと、

とりあえず地図で説明しますね。

 

まずこれが、西日本最大の歓楽街、「中洲」。

Photo_2

 

分かります?

ほら、ほんとに川に浮かぶ「中州状」になってるでしょ。

これね。

2

 

この中洲の右下らへんにね、ちょっと見えにくいけど「春吉橋(はるよしばし)」っていう橋があるのが分かりますか。
(分かりにくい人は地図をクリックしてみてください。)

ここね。

3

 

ああ、やっぱりまだちょっと分かりにくいから拡大しますね。

ドン。

Photo_3

 

え?

まだ分かりにくいって?

じゃあ、もっと拡大。

ドンドン。

Photo_4

 

これで分かりました?

このオレンジ色の大きい橋が「春吉橋」です。

それでね、その春吉橋の上にもうひとつ白くて狭い橋があるでしょ。

そう、

この橋で外山さんは歌ってたんです。

そしてこの橋って、2つほどなんか「でっぱり」みたいなのがあるの分かりません?

これです、これ。

Photo_5

 

あのね、この時外山さんはこの右側のほうの「でっぱり」で歌ってたんです。

そして、僕が指差したスペースっていうのが、その左側のほうの「でっぱり」だったわけです。

 

さあ、これで大体イメージつかめましたか。

え?

地図だけじゃまだいまいちイメージつかめてないって?

もう!世話が焼けるなー。

じゃあ最後にこれならどうだ!

ドドドーン!!

 

 

 

 

 

 

 

 

2_2

 

ね、

分かったでしょ?(笑)

 

はい!

これにて、「場所&スペース」の解説終わり!!

本編に戻ります♡

(なお、「ほんとにどうでもいい解説だった…。」とかいう苦情は一切受け付けません。
僕が楽しかったからいいんです。笑)

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

というわけで、よく見てもらったら分かると思うけど、僕が指差したスペースっていうのは外山さんが歌ってる場所からせいぜい2,30メートルぐらいしか離れていない場所だった。

このぐらいの距離だと、お互いの演奏がある程度聞こえてしまって「商売」に影響がでるだろうから、多分嫌がられるだろうなと思い半分ダメモトで提案したんだけど、

外山さんの答えは意外にあっけないものだった。

 

「うん、全然いいよ。」

 

「…え?いいんですか?
ありがとうございます!!
じゃああのー、
僕も外山さんに習って、初めてギターケースを開けて歌おうと思うんですけど、それでも大丈夫ですかね?」

 

「うん、うん。やってみれば。
それで後でどのくらい儲かったか教えてね。」

 

うわー!

なんて気さくでいい人や!!

ある意味この人はほんとに大物なのかもしれないなあ、

・・・・・・・・・・・・・・、

1万円は嘘だろうけど。(←しつこい!)

(ちなみに、もし今の僕が逆の立場なら、初対面の旅人ミュージシャンに対してこんなにフランクに接することなんて到底出来っこない。
すごくめんどくさいし、「商売のジャマだ」と迷惑がっているはずだ。)

 

 

さて、実は僕がその場所で歌おうと思ったのにはある理由があった。

それは、

お金をたくさん儲けているというそのノウハウを盗み見てやろうという単純な下心。(笑)

 

いかにも分かりやすい理由かもしれないけど、この当時いつも「お金」の事でもんもんとしていた僕にとっては、どうしてもその

[ 道で歌を歌う = お金になる ]

という図式が頭の中でうまく理解できなかったのである。

それを、本人のこんなに近くで歌えれば、その様子もうかがい見ることができるだろうし、それと同時に、自分だってもしかして少しはお金を儲けることができるかもしれないと思ったわけだ。

もちろん何度も言うように、まだ信じきれてない部分もたくさんあったんだけど…。

とにかく、1つだけ言えるのは、

 

僕はもう「お金」の事だけで頭の中がいっぱいだったんだ!

 

わー!言っちゃったー!(笑)

 

 

 

さあ、そんなわけで、

20歳、ある夏の夜。

ただ観光に来ただけのはずだったここ福岡で、

僕の今後の人生を大きく左右することになる、初のお金儲け弾き語りが静かに幕を開ける…。

 

 

つづく…。

 

 

P.S.

いやー、また無駄に長くなってしまいましたね。

ここまで頑張って読んでくださった方、どうもありがとうございました。

まだ書いてみないと分からないんですが、この調子でいけば続きもまだまだ長くなる予感がプンプンします。(苦笑)

けどね、もうこれは僕のブログの宿命みたいなものなので、みなさんどうかあきらめてしまってください。(笑)

  

というわけで、

(また無駄に長ーい予定の)次回お会いしましょう。

 

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「見るまえに跳べ」

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2008年9月 9日 (火)

見るまえに跳べ

一万円とでっぱりと下心からの続き…

(久しぶりだけど、今回もやっぱりすごく長いです…。)

 

2

 

僕とノリヒサは、さっそくもう片方の「でっぱり」に移動して、すぐに弾き語りの準備を始めた。

初めて訪れた土地での弾き語り。

中洲の喧騒。

2,30メートル先の外山さんの存在。

お金の事。

この時、そういうものすべてが、この狭い橋の上で川の水気を含んだ夏の夜風と一緒になって僕にまとわり付いていたんだけど、それを決して心地の悪いものだとは思わなかった。

大学2回生の夏休み旅行、

僕には今、何かとても面白い事が始まるんじゃないかという根拠の無い予感が湧き始めていたのだ。

時間はすでに10時半。

準備が終わるとノリヒサは少しだけ離れた場所に腰を下ろし、僕は大きな深呼吸をひとつだけした。

もちろん、目の前のギターケースのふたはキチンと開いてある…。

さあ、始めよう。

 

 

さて、

この当時僕が歌っていた歌というのは、その時々の流行りの曲や新旧問わず個人的にお気に入りの曲など、

とにかく自分が知っている範囲で適当になんでもごちゃ混ぜに歌っていた。

要は、歌の種類なんてどうでもよかったのである。

この頃の僕はあくまで「外で歌う」という行為そのものに楽しみを覚えていたわけであって、何を歌うのかということに関してはほとんど無関心だったわけである。

 

ただ、今回に関していえば、少し事情が違う気がする。

僕は初めて、「お金を儲けよう」としているわけで、今までのようにやみくもに歌っていくのがいいとは思えない。

ふと外山さんの方を見ると、どうやら彼はサザンオールスターズの「いとしのエリー」をモノマネ気味に歌っている。

えーっと…。

これは何かのヒントなんだろうか?(笑)

 

実は彼、さっき僕が準備をしている時には、かぐや姫の「神田川」を歌っていた。

初めに聞いた浜田省吾、そしてかぐや姫、サザン…。

統一感が無いので、彼が好き好んでそれらを歌っているのかどうかまでは分からないが、

どうやら、あえて懐かしい曲を選んでいることだけは確かなようである。

うーん…、そっか。

ここ中洲は飲み屋街であると同時に一大観光地でもあるから、さっきからこの橋を行き交う人もさまざまな世代の人々なんだけど、確かにお金を儲けるという観点からいえば、そういう曲を好みそうな古い世代の人にターゲットをしぼって歌うのが最善の方法なのかもしれない。

 

ただ、そうは言っても、流行りの曲などに比べると、年齢的にいって僕の「そういう曲」のレパートリーというのはやはり圧倒的に少ない。

しかたがないので、とりあえず今日は、古くはなくても少しでも多くの人が知っていそうな有名な曲を意識的に選んで歌うことにした。

 

 

そして、とにかく僕は1曲目を歌い始めたんだけど、

最初の「それ」は思っていたよりも随分早くに起きた…。

 

 

そう、それは僕が1曲目を歌い始めてほんの何十秒後かの話。

歌がまだ1番のサビにもさしかかってない時点で、右前方から歩いて来た1組の中年夫婦が、

「お、頑張ってるね。」

と言って、僕のギターケースにポケットの小銭をバラ撒いていったのである。

 

わ、わ、わ!

もうお金入った!!

 

あまりにも早い展開に驚く僕。

しかも当の2人はお金を入れるやいなや、そのまま何事も無かったかのように立ち去っていく…。

 

え?え!?あれ?

歌は…?

歌は聴いていかなくていいの?

 

予想外の出来事に2人の背中をぼう然と見送った僕は、それでも歌うことは止めずにとりあえず目の前のギターケースを覗き込んだ。

そこには、乱雑に散らばった100円玉が3枚と10円玉が2枚。

つまり、ついさっきまで全く空っぽだったギターケースに、今確かに320円のお金が存在しているのだ。

ひやぁ。

320円といえばあれだ。

大学の帰りに、ミスタードーナツで僕の大好きなエンゼルクリームとコーラを頼んで午後の優雅な時間を堪能できる金額ではないか。(それはどうでもいい)

 

僕はなんだか混乱した。

もちろん今まではお金儲けが目的じゃなかったわけだけど、それでも今まで長らく続けてきた弾き語りの経験の中で、誰かからお金をもらった記憶なんてせいぜい2,3回ぐらいしかない。

それを、生まれて初めてギターケースを開けた途端、まさかホントにこんなにすぐにお金を入れてもらえるなんて思ってもみなかったからだ。

しかも彼らは、歌なんてほとんど聴いてなかったわけだし…。

「頑張ってるね。」て言ったって、実際僕はまだ何にも頑張ってないわけだし…。

なんだろう、この感覚は。

確かに自分が望んだことなので嬉しいのは嬉しいのだが、同時に、(いくら小銭とはいえ)お金を儲けるのがこんなに簡単な事でいいのだろうかというちょっとした罪悪感みたいなものも感じてしまうのである。

 

その時、僕は反射的にノリヒサを見た。

(なぜなら、その罪悪感というのが、他ならぬノリヒサのような第三者に対する罪悪感でもあったからだ。)

 

ノリヒサは僕の視線に気付き、「やったね」といった感じでニヤリと笑う。

それを見た僕は、結局それにつられてニヤリと笑ってしまった。

 

そっか、

やっぱり罪悪感なんて感じる必要はないんやよな。

だって、どう言い訳しようが俺は今実際にほとんどそれ(お金)が目的なんやし、ノリヒサもそれを重々分かってるわけやもん。

だから、これはただ単に幸先が良くてラッキーやったって考えたらいいだけやで。

うん、そうやそうや。

 

なんだか、そう考えると僕は急にテンションが上がってきた。

「よし、こうなったら、どんな形でもいいからこの調子でもっともっと儲けてやるぞ!」と。 

(つまり、僕が小さな罪悪感にさいなまれたのはほんの数秒だけだったっていうことになる。いやはや、何という変わり身の早さ…。苦笑)

 

 

 

まあ、そうはいっても結局この後、2曲目、3曲目と全くお金は入らなくて、僕は(分かりやすく)さっそくガッカリした気持ちになったんだけど、

そんな気持ちになったのもつかの間、

今度はついに最初の「あれ」が起こった…。

 

それは、ちょうど僕が次の4曲目を何の曲にするか悩んでいた時、

1人の水商売風のお姉さん(40歳くらい)が僕の前で立ち止まり、僕にこう告げたのだ。

「何か歌ってよ。」

 

 

おお!

僕の中に緊張感が走った。  

そりゃもちろん、今までも弾き語りの中で誰かから「何か歌ってくれ」なんて言われたことは山ほどある。

ただ、こういう風にギターケースを開けた状態で歌を頼まれるというのは、今までとはまた違う意味を持っているような気がしたからだ。

 

だって考えてみてほしい。

お姉さんにしてみたって、今目の前でハッキリと開いた(320円入りの)ギターケースの前に立って、

そのうえで

僕に歌を頼んでいるのである。

それは、彼女にも少なからず何らかの心づもりがあると考えるのが自然ではなかろうか。 

例えるなら、

一人暮らしの男の家に、初めて女の子が(一人で)遊びに来たようなものである。

この後何が起こるかなんて、誰の目からも自明の理なわけだ。

ぐへへへ。

君も子供じゃないんだから、そのぐらいのことは分かって遊びに来たんだろ?

ぐへへへ。

 

あ、ごめん。

例えが全然違うわ。 

 

とにかく僕は、ここは絶好の(本日2回目の)お金儲けチャンスだと考え、

できるだけお姉さんの年齢に合わせた選曲を心がけ、結局イルカの「なごり雪」を歌うことにした。

この曲なら僕も知っている。

 

ただ、「知っている」と「歌う」は全く別の問題であり、知っているからといってそれだけで上手く歌えるのかというと、それはもちろん違う。

この時、完全にお金に目のくらんでいる弱冠20歳の若造は、とりあえず感情さえ込めておけばいいなどと勘違いし、

今は真夏だというのに頭の中では律儀に春の訪れを想像し、今日初めて会ったばかりで去年の事なんて知るわけもないのに、「うんうん、去年よりもずっと綺麗になったよ。」などと目を細めてお姉さんを見つめたりしながら(笑)、

とにかく大いに泥臭く、この「なごり雪」を歌った。

 

…それでも、

結果は予想以上のものだった。

 

というのも、

(案外この若さゆえのガムシャラさが功を奏したんだろうか)お姉さん、歌の間はとにかく終始笑顔で、

曲が終わり僕が頭をペコリと下げると、

「ありがとう。すごく楽しかったわ。」

などと、なんと財布から千円札を取り出し、それをギターケースに入れたのである。

 

わ、わ、わお!

 

お金をもらうにしてもまさか1000円までの金額は想像していなかった僕たちは、目をパチクリさせて顔を見合わせる。

 

するとお姉さんは、

「応援してるから、これからも頑張ってね。」

という言葉を残して、満足気に腰をクネクネさせて立ち去っていってしまった。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

1曲目同様、僕は一応すぐにギターケースを覗き込む。

そこには、確かに初めの小銭のほかに、目新しい千円札が…。

ひやぁ。

ほ、ほんまに、せんえん…。

1000円といえばあれだ。

大学の帰りに、ミスタードーナツで僕の大好きなエンゼルクリームとコーラを頼んで、それでもだいぶ余るから、たまたまその店に居合わせた同級生のユミちゃんを呼んで、彼女にもエンゼルフレンチと氷コーヒーをご馳走してあげつつ2人で午後の優雅な時間を堪能できる金額ではないか。(ほんとどうでもいい)

 

 

僕は自分の鼓動が高鳴るのを感じた。

 

僕の歌が1000円…。

たった一曲で1000円…。

ああ…、

死ぬほど嬉しい…。

 

だって最初の行きずりの小銭とは違い、今回お姉さんはハッキリと、僕が歌った「なごり雪」に対して1000円というお金を入れてくれたわけである。

僕は全くの素人だけど、それでも、歌を歌う者にとってこんなに分かりやすくて自信になるご褒美はないではないか。 

今までずっと外で歌うという事だけで満足していた僕にとっては、はっきり言って、こんなのは生まれて初めて味わう感覚である。

ああ、この感覚を味わえただけでも、ギターケースを開けてみてよかった。

中洲に来てよかった。

そして、

地球に生まれてよかったー!

 

 

ただ、ここにきて学んだこともある。

それは、今の歌でも分かるように、

これが全部僕の歌の良し悪しだけから来てるわけじゃないということ。

だって思い返すと、

初めの中年夫婦といい、今のお姉さんといい、

「頑張ってるね」

だとか

「応援してるから頑張ってね」

だとか、両組とも「頑張る」という類いの言葉を口にしていた。

つまり僕よりもっと年配の人達は、

とにかくまず、「若者ががんばっている」姿をとし、どうもそれに対して心を動かされてお金を出したくなるようなのである。

これは僕が自分の体感として学んだことである。

 

ただ、

その「頑張ってる」のは僕本人であり、それを含めて「僕の歌」なわけだから、やっぱり僕の自信やお金をもらった嬉しさにはなんら変わりはない。

チョー気持ちいい。

 

 

 

さて、

そんなこんなで、開始からわずか20分足らずで、こんなふうにすでに1,300円以上も儲けてしまった僕。

まさかギターケースを開けただけでこんな世界が広がってるとは思ってもみなかった。

もしかして、案外僕にもこういうお金儲けの才能があるのかもしれない。

そして、初めは隣の外山さんの様子を逐一覗き見ていっぱいお金儲けのノウハウを盗んでやろうなどともくろんでいた僕も、

今や、自分が弾き語りでお金を儲けているんだという初めての快感に浸りきりで、そんなもくろみすらどこかに吹き飛んでしまった。

はっきり言って、自分の事だけに夢中&精一杯で、人を見てるような余裕がないのである。

まあいい。

今日は(あまりにも突然の弾き語りだったから)もうあんまり時間もないし、後はこのまま終電時間まで、自分の思ったとおり好きなように歌ってしまおうじゃないか。

それに、ノウハウっていったって、

今や僕には、自分で見つけた、必殺「頑張る」というノウハウがあるんだから。(どんなノウハウや…。笑)

 

 

 

そうして僕は、この後、終電時間を気にしつつ、結局12時ぐらいまでこの弾き語りを続けた。

途中、その「頑張り」のおかげか、あれからも驚くほど順調で、何人もの人が歌を聴いてくれたり、お金を入れたりしてくれた。

結局、始める前に心配していた酔っ払いに絡まれるとかのトラブルも一切無く、

とにかく今夜のこの1時間半、僕はただただひたすらに楽しかっただけだった。

まるで夢の中にいるようで、こんな時間がずっと続けばいいのにと思ったくらいだ。

そして、そういうもろもろの結果が最終的に僕のギターケースの中のお金に表れていた。

そう、

そこには、

千円札が4枚と

小銭が2,800円ほど。

つまり僕は、生まれて初めてのお金儲け弾き語りで、計6,800円も稼いでしまったのである…。

ひゃぁ。

6,800円といえばあれだ。

大学の帰りに、ミスタードーナツで僕の大好きなエンゼルクリームとコーラを頼んで、それでもだいぶ余るから、たまたまその店に居合わせた同級生のユミちゃんを呼んで、彼女にもエンゼルフレンチと氷コーヒーをご馳走してあげて、まだまだ余ってるから、「ユミちゃん、この後ボーリングでも行けへん?」って誘って2人でボーリング行って、ついでにカラオケも行って、

「なんか疲れてもうたなあ。えっと、この後どうしよ。うちでも来る?」

「え!?たかゆき君ち?」

「うん、そやで。何心配してんねんな(笑)。疲れたからちょっとお茶飲むだけやんか。ユミちゃん、変なこと考えすぎ!(笑)」

「…うん、じゃあ、お茶飲むだけなら。」

そして2人は、すっかり日の暮れた大阪の街を歩き、ついに僕の家に到着する。

先にユミちゃんを家に上がらせ、後ろ手で鍵を閉めたたかゆきは、ここで突然豹変した。

「ぐへへへ。君も子供じゃないんだから、そのぐらいのことは分かって遊びに来たんだろ?ぐへへへ。」

 

…って、

あれ?

何の話やったっけ?(笑)

 

あ、そうそう、6,800円。

とにかくもう一度言うが、

僕は旅の初日にお試しでやってみた人生初のお金儲け弾き語りで、いきなり6,800円も儲けてしまったのである。

しかもたった1時間半で!!

いくらビギナーズラックとはいえ、当時貧乏学生だった僕にとっては、これは今までの自分の価値観をすべてひっくり返してしまうような大事件だった。

だって、バイトの日給に近い金額を、趣味の弾き語りのたった1時間半で稼いでしまったわけだから…。

 

こりゃあ、外山さんの言う「一万円」っていうのもきっとホンマやな…。

ああ、世の中にはこんな世界があったなんて、俺は今までなんてもったいないことをしてきたんやろう…。

まあけど、これもここ「中洲」やから成り立つことなんかもしれんな。うん。

それにしても、弾き語りで一万円かあ…。

それってどんな気持ちなんやろ…。

俺も儲けてみたいなあ…。

けどそれには、今日みたいな運まかせじゃなくて、もっと色んなノウハウを身に付けなあかんねんやろな。

ああ、明日もこれ(お金儲け弾き語り)やりたいなあ…。

ノリヒサ怒るかなあ…。

 

「なあ、ノリヒサ~。
明日の予定ってもう決まってるの?」(←猫なで声)

 

「…分かってるよ、たかゆき氏。
明日もこれやりたいんやろ?
俺もついてくるから、明日は早めに来て、終電時間気にせんでいいように、次の日の始発で帰ろ。な。」

 

「きゃー、ノリヒサく~ん!!
大好き!!男前!!大統領!!」(←うるさい)

 

さあ、

そうと決まったら仕事は早い。

後は、明日僕も一万円を儲けるべく、終電時間ギリギリまで外山さんに詳しく教えを乞うことにしよう。

そして、急いで後片付けを済ませ、僕たちはまだ仕事(この時僕は、もうこれが仕事であることに何の疑いも持っていなかった)を続けている外山さんのもとへ駆け寄った。

外山さんはすぐに僕たちに気付く。

 

外山さん
「お、どうだった?儲かった?」

 

「はい、おかげさまで。
けど外山さん、これってすごいですねえ…。
僕みたいな初心者でも、なんかよく分からないけど6,000円以上も儲かっちゃいました。」

 

「おお、すごいじゃん。よかったね。」

 

「外山さんはあれからどうでした?」

 

「あ、僕は、まだ分からないけど、このままいったら1万7千円ぐらいにはなるんじゃないかな。」

 

い、いちまんななせんえん…。(汗)

 

「あ、1万7千円ね…。(苦笑)

えっと、ところでちょっと相談なんですけど、実は僕ら明日もこれをやってみようと思ってまして、もしよかったらノウハウみたいなものがあったら、僕らに少しでも教えてもらえないかなあと思って…。」

 

よく考えると、今日初対面の人に対して、これはどれだけずうずうしいお願いなんだろう…。

だってそんなの、外山さんには何のメリットもないんだから…。

しかし、彼はあまりにもあっさり答えた。

 

「あ、うん、うん。全然構わないよ。」

 

 

 

 

 

 

この後、僕たちは終電時間まで外山さんから色々な話を聞いた。

今思うと、この日僕がたまたま6,800円も儲かってなければ、

そして、こうして外山さんに出会って話を聞いていなければ、

僕の人生は今と全く違ったものになっていたに違いない。

いわば、この日が僕にとっての運命の1日だったのである。

 

だって、次の日、

僕はこの弾き語りで28,000円も儲けてしまうことになるんだから…。

 

ひゃぁ。

28,000円といえばあれだ。

大学の帰りに、ミスタードーナ…(以下略)

 

つづく…。

 

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2009年10月 2日 (金)

書を捨てよ、ギターを持って町へ出よう

みなさんは覚えているでしょうか。

このブログで、ちょうど2年ほど前に書き始めた「始まりの物語」

これは、僕がどういったいきさつでこの仕事を始めることになったのかを綴った、完全なる自己満足自叙伝だったんですが、

僕の性格上あまりにも事細かに書きすぎて、とんでもなく長い連載になってしまい、

結局、未だに完結させることができていなかったいわく付きのお話なんです。

 

そこで今日は、そのいわくを解消するためにも、約1年ぶりに「始まりの物語」の続きを書き始めたいと思っています。

ただ、相変わらずの自己満足っぷりな内容ですし、

1年も前からの続きの話ですので、さかのぼって読み始めないと流れがよく分からないという、読む側にとってはかなり拷問に近いシリーズとなっていますので、

あきらめて引き返すなら、今のうちです。(笑)

 

では、見事その拷問に耐え切った猛者だけ、続きをどうぞ。

 

 

「見るまえに跳べ」からの続き…

 

さて、

生まれて初めてギターケースを開けて、いきなり6,800円も儲けてしまった僕。

しかもそれが、たった1時間半の出来事だったのいうのだから、弱冠20歳の若者が有頂天になってしまうのも無理はない。

当初はただの観光&羽伸ばしだったはずの福岡旅行も、初日からさっそく趣旨が変わっていきそうな勢いである。

それを証拠に、次の日僕はお昼ごろ目を覚めると、夕方までの時間をすべてその日の弾き語りのための準備にあてた。

 

その準備というのは具体的に言うと、自作の「リクエスト表」、つまりは「レパートリー表」みたいなものを作るということ。

これは昨晩外山さんが教えてくれたノウハウから自分なりに考えたものなんだけど、

外山さんが言うには、やっぱり僕が昨日感じたように、この弾き語りはおじさん世代に向けてだけ歌を歌うのが最大の秘訣らしく、さらには、その人達のリクエストに応えられるのがベストらしいのだ。

やはり、自分の歌いたい歌や好きな歌を歌い続けても絶対にお金にはならない…

と、そういうことらしい。

けど、この頃の僕が、そういったおじさん向けの曲、つまりはフォークソングのようなものをそんなにたくさん知ってるわけもなく、昨晩のようにごく短い時間ならまだしも、本格的に長時間弾き語りをしようとすれば必然的にフォークソングのレパートリーが足らなさ過ぎる。

かといって、相手が知らない曲を歌って、結局あんまりお金にならないのも嫌だ。

(なぜなら今の僕は「お金」の事で頭が一杯だから!←2回目)

そこで僕は、

じゃあフォークソングは少なくても、とにかく今自分が歌える曲を全部書いたレパートリー表みたいなものを作って、歌を聴いてくれる人にはそこから知っている曲を選んでもらおうと考えたわけである。

相手が選んだ曲なわけだから、それならフォークソングではなくても少しはお客さんも関心をよせてくれるだろう。という魂胆。

ナイスアイデア、たかゆきくん☆

 

 

 

とにかく、そんなこんなで夜8時半。

今日の僕とノリヒサは、昨晩とは違い、「一万円」を儲けるという確固たる目的を持って、ここ中洲にやって来た。

昨日の場所は誰か違う人が歌っていたので、今夜は自分なりに人通りが多そうな場所を探して、そこで準備を始める。

まず、近くの酒屋からビール瓶の空ケースを拝借してきて、それを裏返しにしてイスの代わりにし、開けたギターケースの内ぶたには、お昼に書いた「大阪から来ました。どうぞお気軽にリクエストしてください。」という大きめの紙を貼り、その横に「リクエスト表」を立てかける。

そして最後に、ギターのチューニングをして、準備完了。

さあ、これでいよいよ、僕にとって人生で2回目の、そして昨日とは全く気合の違う本格的なお金儲け弾き語りのスタートである。

 

 

ただ、

スタートとはいっても、昨日のようにここでいきなり歌を歌い始めるわけではない。

実は、これも昨日外山さんから教わったノウハウのひとつなんだけど、

お金をよりたくさん儲けるには、ただやみくもに歌を歌い続けて人が立ち止まってくれるのを待つんじゃなくて、

初めは歌なんて歌わなくてもいいから、とにかくまず、道行く人を立ち止まらせることだけに専念して、

「おとうさん、一曲どうですか!」なんて掛け声と共に右手を前に突き出し、

それに反応して立ち止まってくれた人にだけ、リクエストを聞き、そこからようやく歌い始める。

そういったやり方のほうが、結果お金になりやすいというのだ。

 

なるほど、その方が相手にもちょっとした特別感を与えられるということだろうか。

ただ、そんな弾き語り、今まで見たこともないし、

なにより、歌も歌わず、そんなやり方でほんとにお客さんは立ち止まってくれるものなのだろうか…。(苦笑)

 

 

とにかく僕は、半信半疑ながらも、さっそくそれを実践してみることにした。

今日の中洲は、金曜日の夜ということで一段と活気に溢れ、目の前をひっきりなしに人が行き交う。

そんな中、道端のギターの兄ちゃんが、突然「一曲どうですか!」だなんてそこらの客引きみたいな声掛けをするのは、やっぱり思った以上にかなり恥ずかしい…。

モジモジしてなかなか踏ん切りのつかない僕は、横にいるノリヒサに助け船を求めた。

 

「どーしよー、ノリヒサ。やっぱり歌歌ってなかったら、恥ずかしくて声なんかよう掛けられへんわ。」

 

「けど、たかゆき氏、ここはどうせ大阪じゃないんやから、知ってる人もおらんし、そんな恥ずかしさなんて全く気にしなくてもいいんじゃないの?」

 

 

あ、そっか!ここは福岡やった。大阪じゃないんや!

しかも、ただの旅行中やし、なんも恥ずかしがることなんかないやんか。

そうや、旅の恥はかき捨てや!

インドの挨拶はナマステや!

サンキュー、ノリヒサ!

バイバイ、ガンジス!

 

 

そう吹っ切れた僕は、今度こそ大きな声で客引きを始めた。

 

「一曲どうですか!」

 

しかも、なるべく愛想良く見えるように、満面の笑顔で。

 

「そこのおとうさん、一曲どうですか!一曲聴いていきませんか!」

 

 

行き交う人々は、突然の声掛けに最初はビックリするものの、僕があまりにもの笑顔で呼びかけてくるので、立ち止まりはしなくてもみんな一様に笑顔で通りすぎて行く。

僕もそれに安心して、ますます愛想良く声を掛けていく。

さっきまでの恥ずかしさなんてどこへやらである。

ただ、ここで気を付けなければいけないのは、間違っても若者には声を掛けてはいけないということ。

外山さんが言うには、若者はお金にもならない上に、すぐにタムロしてしまうから、商売としては絶対に避けなければいけない人種らしいのだ。

僕はそれに気を付けながらも、さらに自分なりにお金を払ってくれそうな中高年を選別して(←やらしい!)、ピンポイントで声を掛けていった。

 

 

そうこうするうち、1,2分。

このピンポイント作戦が功を奏したのか、さっそくひとりのおじさんが立ち止まった。

 

「お、なんで俺に声を掛けてくれたと?

嬉しいけん、一曲歌ってもらおうかね。」

 

 

おお、もう来た!

なんでも恐れずに試してみるものである。

 

僕はさっそく「リクエスト表」をそのおじさんに見てもらい、その結果、井上陽水の「少年時代」を歌うことになり、

歌い始めると、間奏や2番なんかでは、ノリヒサが機転を利かせて、おじさんが退屈しないようにちょっとした世間話をしてくれてるなどして、

連携プレーで一曲歌い終えた。

 

すると、そのおじさんは、

「いいねえー、若者。頑張りんしゃいよ。」

などと、千円札をギターケースに入れて、笑顔で立ち去っていった。

 

 

…わお!さすがの外山理論!

いきなり、すげー!

 

ふむふむ。

確かに、歌を歌っていなくても、愛想さえ良くすれば人は立ち止まってくれるようだし、

その後にこういった形で歌を聴いてもらえれば、いくら当時の僕みたいなヘッポコな歌でも、その人だけのために歌ってるんだという付加価値が付いて、まとまったお金を入れてもらいやすいのかもしれない。

しかも今の僕には、飽きさせないためのノリヒサのサポートまで付いているんだから。

 

ふふふふ。

このやり方はほんとにいいかも知れん。

 

それに、この千円には、昨日の千円とはまた違った喜びがある。

自分から仕掛けていった千円というか、もらうべくしてもらった千円というか…。

とにかく、普段ぬるま湯の大学生活を送っている僕にとっては、すごく大きな意味を持つお金である。

 

 

 

 

この後、

気を良くした僕は、ますますコツをつかみ、次々とお客さんを立ち止まらせ、歌以外にも、時には僕が時にはノリヒサが、大阪から来たことなどのたわいも無い世間話を織り交ぜつつ、

結局何人もの方から千円札を入れてもらうことができた。

しかもそれだけではなく、お客さんに歌っている最中にも、通りすがりの人達が小銭を投げ入れていってくれるものだから、

僕のギターケースの中には、どんどんお金が増えていき、昨日外山さんもやっていたように、あんまり多いとやらしいのでいくらかお金を隠すという作業までしなくてはならないほどになっていった。

 

そして、午前3時。

ようやくこの日の弾き語りを終えた僕たちが、人目を避けて数えた今日の儲けの合計が、28,000円なんていう(当時の僕にとっては)とんでもない金額だったのである…。

 

 

 

ただ、

開始から数時間の時点でも、僕はもうすでに感づき始めていた。

今日の大目標である「一万円」という金額はあっというまに超えてしまうだろうということと、

僕にはこのお金儲け弾き語りの才能がかなりあるんだということに…。

 

 

もちろん、外山さんから聞いたノウハウや、ノリヒサのサポートのおかげもあるのは重々分かっているのだが、

それ以上に、

僕の、八方美人を演じきれる性格や、人に対する洞察力、それに今までつちかってきた弾き語りに対する慣れや工夫など、

とにかくそういうあらゆる面が、この弾き語りでのお金儲けというものに、がっつりハマっているということを感じたのである。

 

ただそれは、だからといって、すぐにこれを仕事にしようなんて大げさなものではなくて、

なんとなく心の奥でそういう事を感じたという程度のことなんだけども…。

 

 

とにかく、

今日一日の弾き語りを終えた僕は、今までのバイト終わりなどでは決して味わったこのとのない、とても心地よい疲労感と何ともいえない充実感に包まれていた。

 

つづく…。

 

P.S.

相変わらず、細かい話を詰め込みすぎで、全然前に進みませんね。(笑)

けど、今はせっかくの「本編じゃないよ編」なので、書くのがしんどくならない程度にほどほどに小分けにしてでもなんとか完結させたいと思っています。

 

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「芽生え」

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