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2011年1月 5日 (水)

「S」 4

みなさん、新年あけましておめでとうございます。

僕にとって、2010年というのは、前半に長くて暗いトンネルからようやく抜け出すことができて、そこからは正しく「再生」の年でした。

そして、それから丸一年も経たないうちに、僕の最大の夢であり、真っ暗なトンネルからは対極の位置にあるはずの、「世界一周」というものに出発できるまでの状況にやってこられたというのは、本当に奇跡のような事だと思います。

ただ、これからの一年というのは、これまで以上に今までとはとんでもなく落差のある日々が待ち構えているはずなので、正直かなり不安はあるんですが、

それでもせっかくここまできたら、2011年は、僕の人生にとってその名のごとく「飛躍」の年になればいいなと強く願っています。

 

さて、いつになく真面目な新年の挨拶を終えたところで、時間も無いのでさっそくブログの続きを書き始めます。

今日は久しぶりの「S」シリーズです。

 

 

「S」3からの続き…

 

それは、ある日のS助さんからのメールから始まった。

 

「俺は昔から、いつか客にフォークソングを聞かせるようなバーをやりたいと思ってるんやけど、たかゆきくんはどう思いますか?」

 

…ん?

突然何だろう。

でも、そっか、S助さんにはそんな夢があったのか。

 

急な話で何を答えればいいのかよく分からなかったけど、とりあえず僕はその時に思ったことを正直に返信した。

 

「僕の仕事は、40代から60代ぐらいまでの方を対象にした仕事です。そしてずっと肌身で感じてきたことは、「やっぱりフォークソングっていうのはその年代の方には絶大な人気があるなあ」ということ。だからこそ、こんな変わった仕事でも10年近くそれだけで生活してこられたんだと思うんです。
そういうことから考えると、フォークソングバーというのは今はあまり聞き慣れませんが、需要自体はすごくあると思います。
僕が言うのも生意気かもしれませんが、とってもいいんじゃないでしょうか。」

 

「やっぱりそうやんね。俺は、熱い仲間が集まって、歌い手の歌をちゃんと聞いてもらえるようなバーをやりたいんです。せっかく歌ってもちゃんと聞いてもらわれへんのは辛いもんね。
もし実現したら、たかゆきくんそこで歌ってね!」

 

「はい!僕なんかでよかったら、もちろん喜んで!」

 

 

僕は思わず即答していた。

今まで何度かあったお店からのスカウトは頑なに断ってきた僕にとって、別に、S助さんのお店で歌えるということが嬉しかったわけではない。

むしろ、自分の歌そのものには全然自信の無い僕だから、もし本当にそれが実現してしまったら少しややこしいことになってしまうわけで、

それでも僕がS助さんのお願いに対して即答したのは、

S助さんが、自身の夢を実現させるための相棒に僕を選んでくれたということ。

その事実が、一瞬にして僕を高ぶらせ、興奮させたからである。

 

もちろん、それがあくまでもメールの中での雑談であることや、

たとえもし実現したとしても、それがいつの話になるかなんてことは分からないということぐらいは、僕もある程度承知していた。

それでも、妄想癖の激しい僕にとっては、そのメールの一文からだけでも十分に甘美な匂いを感じることができたのだ。

 

 

このメールをきっかけに、その日から完全に浮足立った僕は、しばらくの間自分にとって都合のいい妄想ばかりを始めるようになってしまった。

 

 

「S」5につづく…。

 

 

P.S.

今回かなり短いですが、「S」シリーズはどうしても書くのに時間がかかってしまうのと、今は少しでも更新グセをつけたいということもあって、これからもこんな風に小刻みに書いていくかもしれません。

そして、この「S」シリーズは、特に起承転結を考えて書いているわけではなくて、ただただ自分の中の記憶を順番に文章として記録しているだけという部分もありますので、これからもみなさんどうか軽い気持ちでお付き合いください。

 

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2011年1月 6日 (木)

「S」 5

「S」4からの続き…

 

S助さんのフォークソングバーかぁ。

S助さんはもう十分にお金を持ってはるから、きっとお金儲け主義のお店ではないんやろうな。

カウンター席だけの小さなバーで、奥のスペースでは俺がフォークソングを歌っている。

そこには、夜な夜な、S助さんの仲間達や、40代から60代ぐらいの世代のお客さんがやって来て、俺の歌を酒のあてに昔を懐かしむ。

わー、なんかいいなあ。

しかも、歌に自信の無い俺でも、フォークソング限定で、昔を懐かしむという意味の演奏ならば、なんとかやっていけそうな気がする。

だって、今までだって正しくそういう仕事をしてきたわけやもん。

うん、むしろ適任や。

でも、待てよ。

このバーをオープンさせる夢っていうのは、具体的にいつぐらいの話なんやろう。

俺にはまず世界一周っていう大きな夢があるから、それまでに実現してしまっても困るしなあ。

いや、まさかそんなすぐって話でもないやろうし、覚えてはるかどうかは分からんけど一応S助さんにも前に世界一周の夢は語ったわけやから、一番いいのは、1年以内ぐらいに俺が世界一周に旅立って、そこから帰ってきてからのオープンっていうパターンやな。

しかも、世界一周から帰ってきた後の人生のプランはまだ何にも決まってないから、もしそれが実現したら新しい人生の始まりにもなるかもしれんわけやし。

うわー、なんかすごいなあー。

S助さんと出会ったことで、俺の人生ガラッと変わっていきそうや。

そんでやっぱり、そのバーでは俺だけが専属で歌って、ギャラもS助さんのことやから、他の仕事をしなくてもそれだけで生活していけるぐらいの額を頂けるんやろか。

もしそうやったら、いくら俺が将来歌手を目指す予定や自信が全く無くても、その仕事を続けていくうちにきっとS助さんとの信頼も深まって、そこからS助さんがらみの他の新しい道が生まれる可能性もあるかもしれんしな。

わー、この先の人生、やっぱりなんかワクワクする!

でもまあ、それにはまず、このパニック障害を治して、少しでも早く世界一周を実現させんとな。

よし、頑張ろう!

 

 

 

今考えると、あんなメールのたった一文で、

ギャラがどうこうだとか、人生が変わりそうな気がするだとか、

ほんとに僕は気が狂っていると思う。

どこまで自分に都合のいい、勝手な妄想なんだろう。

まだ何にも始まってすらいないのに…。

 

でも、恥ずかしいかな、これがあの時の僕の現実だったのである。

僕はしばらくの間、本当に妄想の世界を泳いでいた。

僕にとって、それほどS助さんという存在は大きかったのだ。

 

 

 

ただ、実際のS助さんはというと、

やっぱり一般人の僕の妄想なんて軽く超えて、しかもそれが何の意味もなさないほどに、もっともっととんでもない行動力を持っていた。

これが、何事にも一流たる所以なのだろうか。

だって、あのメールからたった2週間ほどしか経たないうちに、さっそく次のこんなメールが届いたんだから…。

 

「今、フォークソングバー実現のために、心斎橋で俺が寿司屋をやっている隣のビルを買いに来てます。安藤忠雄が設計したかっこいいビルです。でも、なかなか交渉が大変ですわ。」

 

 

…ビ、ビル。(汗)

 

 

「S」6につづく…。

 

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2011年1月 9日 (日)

パジャマストーリー 1

4年前にここで、「仁義なき戦い」(全4話)という日本一周中の思い出話を書きましたが、

実はああいった怖い方々とのトラブルっていうのは、この十数年、他にも何度かありました。

そりゃやっぱり、飲み屋街での仕事ですもんね。

ただ、あの「仁義なき戦い」の話は、僕の人生の中でも大きな武勇伝というかなんというか、とにかく一応は結果的にハッピーエンドになった話だからこそここで書かせてもらったんですが、

実際はというと、もちろん他のトラブル全てがあんな風にハッピーエンドで終わるというわけではありません。

中にはグダグダなまま終わってしまう話もいくつかあるわけです。

そこで今日は、そんな中でも、

結末は少し中途半端なんだけど、それでも忘れることは出来ないという思い出話をさせてもらいたいと思います。

久しぶりにかなり長くなってしまうかもしれませんが、なんとか最後までお付き合い頂ければ嬉しいです。

ただ、最後まで読み終わった時に、「中途半端や!」とは怒らないでくださいね。(笑)

 

 

 

それは、3年ほど前の話。

ある晩、40歳近くの一人の男が仕事中の僕の横に腰かけた。

 

わあ、また来たで…。

 

 

実はこの人、その何年か前から知ってるチンピラさんだ。

いや、チンピラというかなんというか、とにかく僕が歌っている飲み屋街を取り仕切る大きな暴力団の一員だ。

 

 

で、なんで僕が彼の事を知っているのかというと、

何年か前のある日、彼が僕の前をたまたま通りかかった時に、彼の方から話しかけてきたのだ。

なんだかよく分からないけど、初対面なのに突然、

「今日はもう親父はここを通ったか?」

などと訳の分からないことを聞いてきた彼は、その時、

ノーネクタイで少しダラっとしたスーツを着ていて、スキンヘッド。

もちろん見た目はサラリーマンとかではなさそうなんだけど、かといってスキンヘッドのわりに少しとぼけた顔をしているので威圧感などは無く、今の訳の分からない質問も相まって、

僕は、色んな意味での「危ない人」がやって来たと、ただ単純に思った。

 

でもよく話を聞くと、なんと彼はヤ○ザさんらしく、

なんでも、僕に「組長はここを通ったのか」ということを聞きたかったらしい。

 

ヤ○ザ?この人が?

その雰囲気から正直初めはそう思ったけど、本人が言うんだからしかたがない。

 

ただそれにしても、いくら僕が何年もここで歌ってるからといって、そんな暴力団組長さんの顔なんて全く知らないし、ここを通ったかどうかなんて事ももちろん分からない。

正直に僕がそう伝えると、

「そうか。」

と言って彼は僕の横に腰かけた。

 

 

…え?何?

もしかして、ここでその組長を待つつもり?

うそー、嫌やで、そんなん。

俺、超仕事やりにくいやん!

 

 

というか、

この人、近くで見ると、益々すっとぼけた顔をしている。(笑)

同じヤ○ザでも、あの時の岩手県のヤ○ザとはえらい違いだ。

 

しかし、いくらすっとぼけた顔をしてるとはいっても、やはりヤ○ザが横に座ってるというのは決していい気分なものではない。

しかも、もしかしたらこの後、この弾き語りに「いちゃもん」がつけられる可能性もあるわけで、

僕も変に緊張して身構えざるを得なかった。

 

 

でも実際はというと、この後とくに怖い事が起きるわけでもなく、

彼は何故だか組の内部事情のような話を、こちらから質問したわけでもないのに自慢げに延々と話し続けるだけで、

僕は仕事を中断したまま、ただ黙ってそれを聞いてるしかなかった。

あの派閥とこの派閥がどうだとか、この前こんなトラブルがあったとか、親父がどうだとかこうだとか。

 

知らんがな…。

猛烈に興味がない…。

 

しかも、彼はひとしきり一人で喋り終えると、おもむろに立ち上がり、そのままどこかへ立ち去って行ってしまった。

 

え?組長は?

結局待ってたわけじゃないの?

じゃあ、一体何やったんや今の時間は…。(苦笑)

 

とにかく、それが僕と彼との初対面だった。

 

 

それからというもの、彼は数ヶ月おきぐらいにふらりと僕の元に現れるようになった。

僕は気に入られてしまったんだろうか。

ただ、彼の格好がスーツ姿だったのは結局初めの1回目だけで、

それからは、彼はヤ○ザだというのに何故かいつも普段着で現れ、しかもその普段着というのが大抵だらしなく、時にはどう見ても部屋着にしか見えないことさえあったから(実際には部屋着では無いと思うが)、

それ以来僕は、勝手に心の中で彼の事を「パジャマ」と呼ぶようになった。(笑)

 

 

パジャマはいつも一人でやって来た。

そして、僕の横に座ると、相変わらず組の中の話を自慢げに話したり、他愛も無い世間話などをしてそのまま立ち去っていくのだった。

さらに、パジャマは、例えヤ○ザといえども、その見た目も含め、やっぱりどこか抜けているところが多かったので、

僕はだんだん彼に対する免疫が付いてきて、いつしか、彼が来ても歌う事を止めないほどになっていった。

つまりは、歌の合間合間に彼の話を聞いてあげるだけというか。

そして、お客さんが来ても、もう当たり前のようにパジャマの目の前でお金を入れてもらっていた。

 

なんというか、

もちろん彼が横に居ると相変わらず少しは緊張するし、邪魔である事に変わりはないんだけど、

かといってパジャマは今のところ僕の商売に文句を付けてくるようなことも無いので、

もう彼の存在がどうでもよくなっていたのである。

そう、

この頃の僕にとって、パジャマはどうでもいい人だったのだ。

 

とにかく、2人のそんな関係は1年ぐらい続いた。

 

 

でも、1年を過ぎたあたりから、なんだか状況が少しずつ変わっていった。

それは、ある時何かの話の流れで、パジャマが実は組長の息子であるっていうことが判明してからである…。
(まあそれも、彼が自分で言いだしたことなんだけど)

 

 

つづく…。

 

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2011年1月11日 (火)

名古屋

名古屋のブラジル総領事館でVISAの申請をするために、名古屋なう。

そして、このブログを始めて4年半で初めて携帯から更新してるなう。

ちゃんと更新できてるのかが心配なう。

 

実は今まで言ってなかったけど、僕は名古屋で生まれて、5歳まで名古屋に住んでいたかこ。(←「なう」の過去形バージョン)

だから、名古屋は一応僕の故郷なんだがや。

まあ、あんまりにも昔の事なんで、知り合いとかは全然いないけどみゃぁ。

 

さあ、申請も無事終わったし、今日は大阪でもまだまだやることがあるだで、エビフりゃぁとか味噌カツぁでも食って、とっとと帰るにゃぁ。

僕はほんとは名古屋弁なんて全く喋れないから、何だかさっきからふざけてるみたいに思うかもしれないけど、実際のところ、ほんとにふざけてるだけなのであまり気にしないてほしいだがや。

さあ、またあのシャチホコ(高速バス)に乗って大阪に帰るらい!(←「なう」の未来形)

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みそ煮込みうどん

「名古屋」の続き…

 

ただいまです!

結局あれから、うどんをみそで煮込んだ料理を食べて帰ってきましたよ。

 

Img_6985s_2

 

この料理、実は「みそ煮込みうどん」という名前の料理で、その名前からは全く想像できないんですが、なんとビックリ、うどんがみそで煮込んであるんです!

めちゃくちゃ美味しかったです。

みそ味でした!

 

 

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こんなことを書いてる暇があったら、
早くブログの続きを書けって思うでしょ。
うん、僕もそう思います。(笑)

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2011年1月16日 (日)

パジャマストーリー 2

「パジャマストーリー 1」からの続き… 

 

パジャマが組長さんの息子。

いくら彼が自分で言い出したこととはいえ、

初めにそれを聞いた時、僕は驚くよりも先に、色んなことが妙に納得できた気がした。

なるほど、パジャマは組長の息子だからこそ、こんなだらしない格好やとぼけた感じでもなんとかヤ○ザをやっていけているのか、とか。

いつも組長のことを「親父」「親父」って呼んでたのは、てっきりヤ○ザが組長を呼ぶ時のあの特有の呼び方かと思ってたけど、パジャマの場合は本当の親父さんの意味でもあったんだな、とか。

組長さんも、きっとパジャマのことはダメ息子だと思っていて、その素行には手を焼いているんだろうな、とか。

パジャマがいつも一人でいるのは、他の組員も、彼と連れ立っても変に気を遣うだけで、あんまり得は無いって分かっているからなんだろうな、とか。

とにかくパジャマは、いつもやることが無くて暇だからここに来るんだろうな、とか。

 

まあ、これはもちろん全部僕が勝手に想像しただけのことなんだけど、

それでも僕は、とにかくパジャマが組長の息子だということを、特に疑うこともなく、自然と信じることができたのである。

 

 

ただ、そのことを僕に告げてからというもの、なんだかパジャマ自身の態度も少しずつ変化してきた。

なんというか、僕に対して高圧的になってきたというか、偉そうになってきたというか。

もちろん、ヤ○ザだからそんな態度は当たり前といえば当たり前かもしれないけど、

パジャマの場合、今までの行動や風貌が全くヤ○ザっぽくなかったから、その変化はやはり僕にはすごく心地悪いものに感じた。

具体的に言うと、

「お前のことはもう何年も前から知ってるんや。お前がここで無事に商売できてるのは、俺がいつも組に口をきいたってるからやぞ。」

などと突然言い出したりとか、

「もし俺に歯向かったりしたら、これからはショバ代払わすからな。」

と怖い顔でちょっぴり脅してきたりなどなど。

 

わー!

このままいくと、僕にとってどうでもいい存在だったはずのパジャマが、僕の仕事をおびやかす歴(れっき)とした一人のチンピラになってしまうー!

わー!

パジャマがジャマにー! (注;僕はダジャレが嫌いです)

 

 

それにしても、一体彼は何が目的なんだろう。

こちらから聞いてもいないのに自ら組長の息子であることを急に明かしてきたり、それ以来段々と高圧的な態度になってみたり…。

単なる気まぐれだったらまだいいんだけど、もしかしてこの変化には何か別の意味があるんだろうか。

なんだか少しだけ嫌な予感がする…。

 

 

しかし、それからしばらくすると、僕の予感は最悪な方向に的中してしまう。

ある日、パジャマが実際に僕にお金を要求しだしたのだ…。

 

 

つづく…。

 

 

P.S.

僕の世界一周の旅の最初の訪問地であるブラジル「リオデジャネイロ州」の山間部で、11日から12日にかけて豪雨による大洪水が発生し、今現在500人以上の方が亡くなり、1万人以上の方が避難、ブラジルでの過去最大規模の惨事となっています。

正直、なんでこんなタイミングでピンポイントで「リオ」なんだ、というやるせない気持ちはありますが、やはり今はただ1日も早い現地の復興をお祈りしています。
(リオの中心部からは数百キロ離れた山間部での洪水なので、旅に出発できないというわけではありません。)

ブラジルに少しでも笑顔が戻ればいいんだけど…。

 

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2011年1月28日 (金)

大切なお知らせ

いつも更新を楽しみにしてくださっている方、また、世界一周出発までにこのブログがほんとに完結できるのかヒヤヒヤしてくださっていた方、

大変申し訳ありません。

ご覧の通り、やっぱり出発までに完結というのは到底無理みたいです。

 

旅の大まかな準備は今まで時間をかけて少しずつ進めてきたつもりだったんですが、直前の細かな準備というものがまさかこれだけやることが多いものだとは思わず、

正直最近は、体にも心にも全く余裕が無い状態で、一つの記事を書くのに相変わらずものすごく時間がかかる僕としては、ちゃんとブログに向き合う時間をとることができませんでした。

加えて、まだ言っていませんでしたが、実は今回の旅はおそらく1年以上続く長い旅ということで、今まで長年住んできたマンションも完全に引き払って出発するので(つまり帰ってきても家がない状態)、それに関する作業も並行していまして、

もちろんこちらも大変で、もう自分の計画性の甘さにホトホト呆れ果てています。

 

 

ただそれでも、ここまで4年半も頑張って続けてきたこのブログに関しては、どうにか最後まで完結させたいという気持ちが相変わらず強いので、

自分で出発までには何とか終わらせるという大風呂敷を広げておいてすごく恥ずかしいんですが、ここで思い切って考え方を変えて、旅に出発してからも、全ての話を書き終えるまではこのブログをしばらく続けたいと思うんです。

具体的に言うと、この旅にはWi-Fi対応のモバイルパソコンも持っていくので、時間のある時(寝る前など)に宿屋などで文章だけは書いておいて、ネットにつながる機会があれば、その時にブログをアップしようと思います。
(完結までに書く話というのはもうすでにほぼ決まっているので、そこに添付する予定の写真やデータは先に日本で用意していきます。)

 

でも、ブログはなるべく旅に負担や悪影響が出ない程度に書いていきたいので、もしかしたら結局完結までにはすごい月日がかかってしまうかもしれません。

もうすぐ完結してしまうからという理由でこのブログを応援や宣伝をしてくださった方々には本当に申し訳ないですが、どうかそこの部分だけはご理解いただきたいです。

 

 

と、

なんだか真面目に説明してきましたが、

せっかくここまで来たら、後はもう暗いことは考えずに楽しく出発しなきゃ意味がないと思うので、

これからは、頭を完全に入れ替えて、全て前向きにシフトチェンジしていきたいと思います。

  

 

うひょー!

あと4日で、ついに夢の世界一周に出発ーー!!

この時点でやらなきゃいけないことがまだたくさん残ってるなんて、超ウケるー!

しかも、ブログも結局完結できなくて、旅の間もこのまま続けるだなんて、最高ー!

だって、またしばらくみんなと繋がってられるじゃないー!

・・・・・・・・・・・・。

もー!

そこは嘘でも「嬉しい」って言ってくれたらいいじゃなーい!

ただ、

このブログでは、もう残った過去の話ばっかりを書く予定だから、旅中の詳細などにはほとんど触れないかもー!

世界中を旅してるのに、何事もないかのように日本の過去の話ばっかりするって、超シュールでウケるー!

でも、旅の大まかな情報やその他もろもろは、気軽につぶやけるように噂のツイッターを開設したので、興味のある方はそちらをお気軽にフォローなりブックマークなりしてくれたら嬉しいですー!

たかゆきツイッター →こちら

わー、ブログもままならないのにツイッターを始めるなんて、こいつ超頭おかしいー!

 

 

とにかく今回、ブログを含め、色々と予定通りにはいきませんでしたが、

旅が始まればもっともっと予定外の出来事の連続だと思うので、「今回はその予行演習だ」ぐらいに思って、

これから先はあまり神経質になりすぎずに、臨機応変に、全てののトラブルをケセラセラと笑い飛ばせるぐらいの男になっていきたいと思います。
(多分無理でしょうけど…。笑)

 

そんなわけで、時間はすごく遅くなってしまったんですけど、今日は最後の金曜日ということで、ちゃんと自分にけじめをつけるためにも、今から数時間だけでも、この14年間の最後の仕事をしてきたいと思います。

行ってきます。

 

わー、でも今日外めっちゃ寒いー!

世界一周出発前に凍死とか、超ウケるー!!

 

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今まで温かい応援ほんとにありがとうございました。
結局予定通りにはいかず、もうしばらくこのブログは続くことになってしまいましたが、もしよければこれからも、この先の「たかゆき」を応援し続けてくだされば嬉しいです。

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2011年1月29日 (土)

祭りのあと

Pic00271s
(昔、長年歌っていた場所)

 

Img_7021s
(ここ数年歌っていた場所)

 

20歳から今まで14年間続けてきたこの弾き語りの仕事。

先のことはまだ何にも分からないが、とにかく昨晩無事にその幕を閉じた。

最後だから、有終の美というかなんというか、声がすごく出るんじゃないかと漠然と期待していたんだけど、昨晩は面白いほどに声が出なかった。

一番悪い時に近かったんじゃないかと思うほど。

なんでだろう。

去年の年末なんかはすごく出てたんだけどなあ。

でも、もしかしたら、僕はもう一生分の歌を歌い尽くしてしまって、体がこれ以上歌うことを拒否しているのかもしれない。

だって、この14年間で僕はそのぐらい膨大な量の歌を歌ってきたから。
(しかも同じジャンルばっかり、ほとんどが熱唱)

 

 

とにかく、

色々あったけど、長い間本当にお疲れさま。

 

君は頑張った。

 

それだけは、俺自身が一番よく知っている。

決して誰にも否定はさせない。

何より、自分のタイミングで、自分の意思で、この仕事を終えることができて良かったね。

さあ、自信を持って、次のステージへ歩き出そうか。

 

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