「S」 3
「S」2からの続き…
さて、S助さんの50歳の誕生日が近づいた3月のある日、
S助さんから、今日から丸々1週間仕事を休んで石垣島に行ってくるというメールが来た。
なんでも、石垣島で1週間羽を伸ばした後、最終日に仲間内に誕生日のパーティーを開いてもらうらしいのだ。
それを読んだ時、正直僕もその仲間内にいつか入れて欲しいなあなんて思ってしまったけど、
それでも、S助さんは、それから数日おきに石垣島からもメールや写メールを送ってくれた。
ただ、誕生日前日の夜、
S助さんから届いた一通のメールで、事態が急変したことを知る。
そこにはなんと、
今さっき、S助さんの元相方、R介さんが危篤状態になられたので、翌朝一番の飛行機で大急ぎで大阪に戻る
という内容が書かれていたのである…。
僕は心底驚いて、しばらく言葉を失った。
そして、もちろんR介さんの容体も心配したが、
失礼ながらそれほど現在のR介さんを知っているわけでもなかったので、それ以上に、僕としては今のS助さんの気持ちの方が心配になった。
だって、わざわざ石垣島まで行った誕生日の前日の夜に、大事な大事な元相方さんが危篤になられたのである。
とても楽しい時間から、突如として深い悲しみへと、あまりにも気持ちの落差が激しすぎるではないか。
この後、僕は、なるべくS助さんの負担にならないようにと慎重に言葉を選んでメールを返信した。
でも、S助さんはこんな時でもすぐに、「心配ありがとう」とまたメールを返してくれ、
さらに、日付が変わって、少しだけ誕生日のことに触れたメールを送ると、
「来年は、俺の誕生会たかゆきくんが歌いに来てな。」
と、僕にまで気を使ってくださった。
僕はもう、色んな感情で胸がいっぱいになった。
なんで、こんなに辛い時に、ただの一般人の僕なんかに気を使ってくれるんだろう。
というか、そもそも、なんであんなに大事な事を、すぐに僕に知らせてくれたんだろう。
僕はもう、そこまでS助さんに信頼されているんだろうか。
神様、
どうか、R介さんの容体が奇跡的に回復しますように。
S助さんが、深い深い悲しみの底に沈みませんように。
そして、それから一週間が経った4月1日。
残念ながら、R介さんは天国に旅立たれた。
その日のS助さんのメール。
「いっぱい泣いたけど、今から頑張って『オールスター感謝祭』の収録に行ってきます。」
その生放送でも、S助さんは、悲しみを微塵も感じさせないいつも通りキレのある司会であの巨大番組を盛り上げていた。
やっぱり、島田S助さんは、とんでもないTVスターだった。
そして、あっというまに日々は過ぎ、夏が近づいてきた。
この頃の僕は、相変わらず時折起こるパニックの恐怖に耐えながらも、なんとか仕事に向かい、少しずつ世界一周のためのお金を貯めようとしていた。
でも、人通りの少ない新しい場所での弾き語りは、初めこそ気合で何とかカバーしていたが、(←「孤独とパニック」の冒頭部分参照)
今となっては、やっぱりパニックや度重なる小さなトラブルもあって、儲け自体は少しずつ減っていき、
その貯金額というのも当初予定していたものには程遠く、それはとてもじゃないけど年末までに世界一周の資金が貯まるようなペースではなかった。
あー、俺は、いつになったらお金が貯まって、この仕事から卒業&世界一周に出発できるんやろ…。
もしかして、このパニック障害がずっと治らずに、結局俺は一生世界一周にも旅立たれへんのかな…。
いや、それでもやっぱり諦めたくないなあ。
そうしたら、人生の大きな目標を失ってしまいそうやもん…。
そんなある日。
S助さんから来た
「俺は昔から、いつか客にフォークソングを聞かせるようなバーをやりたいと思ってるんやけど、たかゆきくんはどう思いますか?」
というメールから、
僕の物語は大きく動き出すことになる…。
「S」4につづく…。
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