てっちゃん
忘れられない人がいる。
もう何年も前の冬の話。
僕が歌っていた場所の数十メートル先に、「ファーストキッチン」というハンバーガー屋さんがあった。
そこの営業時間は、午前4時までで、
毎日営業が終わりに近づくと、売れ残ったハンバーガーやポテトなどが、大量に店の前に生ゴミとして出されていた。
そしてその冬、僕が歌う場所の周りには、
その売れ残りの食糧を求めて、いつも決まって3人のホームレスのおっちゃん達が座っていた。
ゴミ収集車が回収してしまう前に食料を確保するために、
お店が見える場所でずっと待機していたのである。
10代のころからずっと野外で歌っている僕にとっては、ホームレスの方に対する壁は低く、
僕が、毎日顔を合わすこのおっちゃん達と仲良くなるのにも大して時間はかからなかった。
しばらくすると、
僕は、おっちゃん達から下の名前を聞き出し、3人それぞれに勝手にあだ名を付けた。
3人のリーダー格で、
豊かな黒ヒゲをたくわえた男前、「てっちゃん」。
背が小さくて、なんともいえない愛嬌がある、「よっちゃん」。
小太りで、一番おとなしい、「しょうちゃん」。
みんな、50代前半らしかったが、
日々の生活から来る、その哀愁というか、面持ちで、一様にもっと上の年齢に見えた。
でも、そんな中でも、
「てっちゃん」だけは、どこかに貫禄のようなものも併せ持っていて、
その男前さも相まってか、
もしビシッとしたスーツなんかを着て、髪の毛やヒゲを整えたなら、
どこかの一流企業の社長さんと見間違えてしまうんじゃないかというほど、不思議な風格をいつも漂わせていた。
本人いわく、昔は世界中の港を周る船乗りだったらしい。
なんで、この人は、ホームレスになってしまったんだろう…。
てっちゃんは、いつも何かしらの本を読んでいた。
そして、僕が仕事場に到着すると、黙って立ち上がり、
決まって、僕のお尻が冷えないように、僕が座る花壇の隅に、紙製のたまごパックをひいてくれた。
そして、その後また座って本を読むのだ。
僕は、このてっちゃんが大好きだった。
いや、
大好きというよりは、小さい頃から父親のいない僕にとって、こういう優しくて貫禄のある大人の男性というものに、少なからず憧れみたいなものがあったのかもしれない。
もちろん、ホームレスであるということは抜きにして。
でも、
たとえそうだとしても、こういう人に憧れがあったというのはやっぱり気持ち悪い
っていう人がいれば、どうぞ勝手に軽蔑なり笑ってくれたらいい。
僕は、常識で固められた、世の中の表の部分しか見れない人間にはなりたくない。
そして、
てっちゃんには、ちょっと頑固で変わったところもあった。
ある日の夜中、
ファーストキッチンの前に売れ残りの商品が捨てられると、いつものようによっちゃんとしょうちゃんは急いでそれを物色しに向かった。
しかし、2人をしり目に、
今日のてっちゃんはピクリとも動こうとしない。
「あれ、どうしたん?てっちゃん、行けへんの?」
「あんなパンやらイモやらばっかり毎日毎日食べてられるか。アメリカ人やあるまいし。あいつら2人はアホじゃ。」
僕は、その答えがすごく可笑しかった。
じゃあ、なんであんたは今日もここに来てるんや!
って。(笑)
けどまあ、その気持ちも少しは分かる気がしたけど…。
次の日、
僕は、仕事終わりに近くの吉野家で牛丼弁当を4つ買ってきて、
寒空の下、僕達は道ばたで4人並んでそれを食べた。
3人とも、
「こんなに美味しいご飯を食べたんは、何十年ぶりや!」
って言って、涙ながらに牛丼をかき込んでくれた。
そりゃ、
その光景に、通行人の好奇の目はたくさん注がれてたけど、
僕にとって、その日はすごく嬉しくて満足な夜だった。
また別の日。
仕事終わりに、僕がてっちゃんと喋ってると、
近くに座っていた酔っぱらったサラリーマンが、僕らの会話を聞いていたみたいで、
「ほう!あなた、てっちゃんっていうんですかー。」
と話しかけてきた。
すると、突然、てっちゃんが、
「お前が、わしを『てっちゃん』って呼ぶなああああ!!!」
と、そのサラリーマンに殴りかかる勢いで激昂したのである。
そっか、俺が気軽に「てっちゃん」って名付けて、その名前を呼んでいるのは、特別なことやったんやなあ…。
僕はその出来事が、少し嬉しくもあった。
でも、この3人は一応、
「いつかホームレスから抜け出すんや」
という気持ちだけは持っている3人だった。
例えば、ある時、てっちゃんは、
「サンドイッチマンの仕事が決まった。」
と言って、それから3日ほどこの場所に現れなくなった。
それに対し、残された僕達3人は、
少し寂しいながらも、てっちゃんの卒業を純粋に喜んだ。
ただ、そうはいっても、
4日後には結局、てっちゃんはまたいつものようにこの場所に戻って来てしまったんだけど…。
「あんなのは、まともな人間のする仕事じゃない。」
ということらしい…。(笑)
そんなある日のこと。
通りがかりに、よれよれのチャンチャンコを着ているよっちゃんを見かけて、
「カワイイ、カワイイ!」
と突然叫びだし、
そのよっちゃんと少し話した後、
「じゃあ明日からは、ワタシがよっちゃんの仕事の世話をしてあげる!」
と約束する外国人のママさんが現れた。
なんだか、狐につままれたような話だけど、
それでもよっちゃんは、その話をすぐに飲み、
とりあえず今日は食事へ、ということで、近くのラーメン屋に連れていかれた。
気になった僕とてっちゃんが、しばらくしてからそのラーメン屋を覗きに行くと、
ガラスの向こうでは、よっちゃんが、その外国人のママさんの膝の上に乗って、ユッサユッサと揺られていた。
よっちゃんは、ただニコニコ笑っていた…。
僕ら2人は、なんとも言えないやるせない気持ちで、そっとその場を離れたんだけど、
もちろん、よっちゃんが決めたことに何の文句も言える立場ではなかった。
世の中はきっと、
きれいごとだけで動いているわけじゃない…。
そして、
次の日から、ほんとに全くよっちゃんは姿を見せなくなった。
さらに、数日後には、
なぜだかしょうちゃんもこの場所に来なくなり、
いつのまにかここに残ったのは、僕とてっちゃん2人だけになってしまった。
2人になっても、
てっちゃんは相変わらずいつも本を読んでいて、
僕が到着すると、黙ってたまごパックをひいてくれた。
だけど、ひとつだけ決定的に変わってしまったことがある。
それは、
てっちゃんが僕に小銭を乞うようになってしまったこと…。
具体的に、いつから、どうやってその習慣が始まったのかは、正直覚えていない。
でも、実際に、
僕が仕事を終えると、てっちゃんは僕のそばにやって来て、
「たかゆきさん、すんませんけど…。」
と、毎回小銭を乞うようになっていた。
月から木なら、100円。
金曜日だけは、500円。
確か、この金額だけは、僕が決めたものだ。
そして、
あの貫禄のあるてっちゃんが、いつもお金を乞う時だけは、
まるで別人のような恐縮しきった顔になるのである…。
僕は、一日の終わりのこの時間がどうしても苦手だった。
金額なんてどうでもよくて、お金が惜しかったとかは全くないんだけど、
やっぱり、てっちゃんのああいう顔は見たくなかったし、
なにより、僕とてっちゃんがいつのまにかそういう関係になってしまったことが、悔しくて、哀しかったのである。
でも、僕は、
この行為を結局最後まで断ることはできなかった…。
僕の心のずっと奥の方で、
こうやってお金を渡し続けているうちは、きっとてっちゃんもずっとここにやって来てくれるはずだ、
という淡い期待を抱いていたからである。
正直、てっちゃんが、もうハンバーガーを目当てにここに来ているわけじゃないことは分かっていた。
それでも、僕はこれからもてっちゃんに会いたかった。
もっと色んな話をしたかった。
それが本音だった…。
けど、それから月日が過ぎ、冬も終わりに近づくと、
理由はハッキリとは分からないが、てっちゃんも現れる回数が減っていき、
春になると、ついに全く姿を見せなくなった…。
僕はまた、一人に戻ったのだ。
さて、
あれからもう何年も経つが、
僕は未だに、ホームレスの方を見かけると、必ずてっちゃんを思い出し、
どこかでバッタリ会えないものかと夢想している。
いつかもし会えたなら、僕はちゃんと伝えたいのだ。
てっちゃんがいなくなってからの冬は、
どれだけ花壇が冷たく感じるかってことを。
元気かなあ、てっちゃん…。
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