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2010年11月 4日 (木)

ARE YOU READY?

前回、ここ最近調子がかなり悪いというようなことを書きましたが、おかげさまでようやく少しずつ調子が上向いてきて、とりあえず今は波の一番底からは抜け出せたみたいです。

毎度のことながら、ご心配をおかけしました。

でも、とりあえずよかった、よかった。

ほんと、今回が最後の調子の波だったらいいんですけどね。

 

でですね、調子が上がってきたこのグッドタイミングで、

実は、今日は僕の誕生日なんです!

実は、今日は僕の誕生日なんです!

(↑大事な事なので2回言ってみました。)

!すでんな日生誕の僕は日今、は実

(↑逆からも言ってみました。)

In fact , today is my birthday !

(↑英語でも言ってみました。)

  

わーい!わーい!

!いーわ!いーわ

YEAH!YEAH!

 

まあ、YEAH!YEAH!とは言っても、実際のところ、このぐらいの歳(34)になってくると色々な焦りやら何やらで、年齢が一つでも増えていくことは正直そんなに嬉しいしいことでもないんですが、

それでもやっぱり、「誕生日」という響きだけは、未だになぜか特別な魔力を持っているようで、毎年この日だけは意味も無くワクワクしてしまいます。

 

WAKU!WAKU!

 

そして実は、そのワクワクついでにさっきからずっと考えていたことがあるんですが、

今日はせっかくの誕生日記念ということで、もうそれをこのまま勢いに任せてみなさんに発表しちゃいたいと思います。

 

YES!高須クリニック!

 

 

えっとね、それは、世界一周の出発日についてのことなんですけど、

本当のこと言うとね、実は今年の夏ここで世界一周を発表した当初、僕は漠然と、34歳の誕生日を迎えるまでには出発しようって目論んでいたんです。

ハッキリとは言ってませんでしたけど。

そして、たとえそれが無理だったとしても、どれだけ遅くともせめて年内には必ず出発しようと心に決めていました。

 

でも実際は、こうして34歳になった僕は今、日本で鼻くそをほじくりながらのうのうとこのブログを書いているわけです。

あははは…。

しかも、じゃあ年内かと言われると、今の状況を考えて、それにこだわり過ぎて焦ってしまうのもどうかと思って…。

 

というわけで、今日は誕生日記念に、さっきからそういうことを色々と考えていたんですが、ようやく一つの結論に達しました。

「年内にだって、そこまでこだわらなくてもいいじゃないか。人間だもの。」みつを

って。

でも、代わりに、具体的な出発の日付を決めちゃったんです。

 

それは、来年の1月11日(火)。

つまり、2011年1月11日です。

ね?

なんか、見た目と響きがカッコいいでしょ。

ええ、そうです。

深い理由なんて特にありません。

ただ単に、見た目と響きがカッコよくて、将来思い出しやすそうだなあって理由のみです。

「出発日を、見た目と響きだけで決めたって別にいいじゃないか。人間だもの。」みつを

 

けど、真面目な話、こうやって勢いと響きだけで決めてしまうっていうのも僕らしくていいと思うし、

実際にこのぐらいの日にちなら、年末まで仕事を頑張って、それから年をまたいで余裕を持って最後の準備に専念できますもんね。

しかも、今調べたら、11日って、8,9,10と続く3連休の翌日だから、飛行機代も大分安いみたいだし。

キャー!

見た目だけじゃなくて、中身までカッコいいなんて、

1月11日様って、ステキー!!

抱いてーheart

 

 

というわけで、

今回こうやってあっさりと出発日を決めてしまいましたが、

日付をハッキリ宣言してしまうことで、結局それもプレッシャーになって後々また苦しむ要因になったりするんじゃないか、っていう心配は御無用です。

だって、別に僕はまだ実際にチケットを買ってしまったわけでもありませんし、

今までを見てきてもらったら分かるように、僕はいつも予定をコロコロ変えるのが得意技なので(笑)、あくまでもこれは仮決定ということにすぎません。

ただ、僕としては、日にちを決めることで準備を進めやすくなることが多々ありますし、

何より、さすがにそろそろ少しはハッキリとしたビジョンが欲しかっただけなんです。

しかも、みなさんにも日付を知ってもらうことで、今後僕の状況をある程度把握してもらいやすくなりますしね。

だから、無問題☆

 

えっと、

じゃあとりあえず、確認のために、もう一度だけみなさんにちゃんと宣言しておきますね。

 

えーっと、

私たかゆきは、

来年2011年1月11日に

世界一周の旅に出発します!

 

 

 

たぶん!!

 

 

P.S.

今回、出発日を決めたこことに加えて、実はみなさんに一つお願いがあるんです。

でも、それを書きだすとまた長くなってしまうかもしれないので、それについては次回書かせてもらいますね。

 

それにしても、今まで4年間、こんなに更新が遅いブログなのに、自分の誕生日だけはキッチリと更新をするという恥ずかしさ満点の行為を何とかずっと続けてくることができました。

そして、それも今回で最後かと思うと、少し感慨深いものがあります。

みなさん、世界一周に旅立っても、どうか僕のこと忘れないでね。

そして、もう少しの間、お付き合いのほどよろしくお願いします。

 

あと最後に、お母さん。

月並みかもしれんけど、お父さんと出会ってくれて、そして俺を生んでくれてありがとう。

僕は本当に生まれてきて良かったです。

 

みつを

 

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2010年11月 9日 (火)

あの高い場所へ

いつも言ってることですが、

僕はこのブログが大好きです。

多分、みなさんが思っている3,1415926535897932…倍大好きです。

具体的にどれくらい好きかというと、

チャーハンの次ぐらいに好きです。

 

そんなチャーハンの次に好きなこのブログも、

前回書いたようにおそらく後2カ月ちょっとで終了なわけです。

そこで、今日はみなさんに単刀直入にお願いがあります。

 

このブログを宣伝していただけないでしょうか?

 

 

えっとね、今までも何度か言ってきましたが、僕が今このブログを書いている一番の目的は、一人でも多くの人に読んでもらうことです。

多分、これは他のブログを書いている方も大半がそうじゃないでしょうか。

そして僕の場合、今まで人と違った生き方をしてきたこともあって、その中には、

「知ってほしい・褒めてほしい・許してほしい・認めてほしい」

などというどうしようもなく強力な欲求が含まれています。

さらに最近では、その感情は、初めのころに比べてますます大きなものになってきました。

 

確かに、この4年間、このブログはたくさんの方々に読んできていただきました。

でもそれは、あくまでも、4年間の合計ではという話で、

ぶっちゃけた話、このブログの日々のアクセス数というのは、胸を張って「人気ブログ」といえるようなレベルでは到底ありません。

こういうことを言ってしまうと、中には、

生意気言うな!今でも十分じゃないか!

とか、

それは、お前のブログの内容がそれだけのレベルだということだ!

とか、

更新スピードが遅すぎる!

とか、

メールの返事をちゃんと返せ!

とか、

ヒゲを剃れ!

とか、

口が臭い!

とか、

最近抜け毛が多すぎるんちゃうか!

とか、

ところで、「カントリーマアム」は「バニラ」味もいいけど、やっぱり「ココア」味だよね!

とか、

最近って、都心に行くと「ガールズバー」の数が異常に多いね!

とか、

ロッテおめでとう!

 

などど言われる方もいるかもしれません。

確かに僕も、すべてその通りだと思います。

でも、このブログも残り2カ月。

おそらくブログというものの特性上、完全に終了してしまったブログというのは、

その後は読む人は一気にいなくなってしまい、新しく読んでくれる人が現れる可能性なんていうのはほぼ無くなるでしょう。

そして、このブログも例にもれず、いずれ忘れ去られてしまいます。

僕は怖い!

僕は正直焦ってるんです!

あと、2カ月!

まだ、世の中には、このブログを知らない人だらけなのに!

4年間、更新は遅くとも、僕なりに、誰にも負けないものすごい強い想いで書いてきたブログなのに!

面白い、面白くないなんかは、ほんの少しでも読んでから決めてくれたらいいんです。

あとは自由!

とにかく、一人でも、一人でも多くの人に、せめてこのブログの存在だけでも知ってもらうきっかけを作りたいんです。

そこで、初めに書いたお願い。

 

みなさん、

このブログを宣伝していただけないでしょうか?

 

 

今や、母親にもバレ、行きつけの美容師にもバレ、ほとんどの友達にもバレ、僕にとって、もうこれ以上このブログの存在がバレて困る人なんて「ほぼ」居ません。

だから、

もちろん僕も残された時間、ブログの完結に向けて出来る限りのことはするつもりですので、

みなさんも、僕への誕生日プレゼントや旅へのせんべつだと思って、少しだけ協力していただけないでしょうか。

具体的に言うと、

周りのお友達やお知り合いにこのブログを紹介していただいたり、

もしブログやツイッターやミクシィをやられている方であれば、その内容や方針の中で許される範囲内で結構ですので、その文章内でこのブログを紹介していただければ飛び上るほど嬉しいです。

「わたしのブログは読んでる人が少ないからなあ」などと言われる方もいらっしゃるかもしれませんが、僕の目的は、一人でもいいから多くの人に知ってもらうことなので、書いてくださるだけで、もうほんとに嬉しいです。

 

僕の友達や知り合いだって一緒。

まだ知らない人に教えたり、ブログで書いてくれたりするとほんと助かります。

かなりマジです。

今度カントリーマアム上げます。

 

 

とにかく、僕はみなさんの口コミの力を信じています。

というか、最終的には口コミの力が一番強いとさえ思っています。

 

 

そういう意味では、もう一つだけ、

僕は今後「ブログランキング」の順位にもこだわりたいです。

 

たまに、「あのランキングって、順位が上がったら何の意味があるの?」なんていう質問を受けることがあるんですが、

要はあれも人の口コミと似たところがあって、

面白いと思ってランキングボタンをクリックする人が多ければ多いほど順位が上がって、あのランキングサイトを見た人は、そこでの順位が高いブログほど、「ああ、このブログはたくさんの人が面白いと思っているブログなんだな」と思ってそのブログを見に来てくれる可能性が高くなるという仕組みなんです。

そして、上位に行けば行くほど、サイト内の目立つ位置にブログ名が表示され、その効果は絶大になっていきます。

つまり、読者の方の口コミのようなものによって、全くそのブログを知らなかった人が数多く見に来てくれるという、今の僕にとってはまさに願ったり叶ったりのツールなんです。

実際、1年ちょっと前に、「きっこのブログ」のきっこさんが、ご自身のブログ内でこのブログを紹介してくださった時には、

もちろん、直接「きっこのブログ」からもものすごい数の方がこのブログに来てくださいましたが、

それによって順位が飛躍的に上がったことで(最終的には3位)、ブログランキングの方からもほんとにたくさんの方に来ていただきました。

 

そこで、

今現在は20何位のランキングが、もう一度だけ、3位とは言いませんので、具体的な目標を決めて、2カ月以内に何とか「10位」以内に入れるように頑張りたいです。

大変なことはもちろん分かっていますが、なんとかそこまで上がるとハッキリ言って効果はすごくありますし、

これなら、宣伝は厳しいという方でも少しは気軽に協力してもらえるんじゃないでしょうか。

それには、このブログを訪問する度に、右上なり記事の最後のランキングボタンをクリックしてくださればそれだけで最高です。
(クリックは、パソコン1台につき1日1クリックだけが有効)

今まで、あまりランキングクリックはしてこなかったという方も、残りの期間だけは少し協力してもらえると嬉しいです。

 

みなさん、お願いばかりで何度もしつこいようですが、

なんとか僕をもう一度だけあの高い場所へ連れて行ってください!

 

 

あ、そういえば昔、応援クリックの仕方がよく分からないという方もいらっしゃったので、念のために、そのやり方も改めて一度説明しておきますね。(←俺、ほんと必死すぎ。笑)

まず、ここにランキングのボタンがあります。

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応援してくださる方は、一度このボタンをクリックしてみてください。
(注;パソコンのみでの話です。)

そしたら、「人気ブログランキング」のサイトが開いたでしょ?

はい、これだけでもう応援クリックは完了です。

一度「人気ブログランキング」のサイトが開いたらもうそれだけで投票は終わっているので、後は何もしなくてもそのページは閉じちゃって大丈夫です。

ね、すごく簡単でしょ?

これが応援クリックというものです。

 

でも、ここで気を付けてほしいのは、フェイクボタンの存在。

例えばこのボタン。

469_1_1_2

これは、闇のスイーツ組織が、全世界に美味しいスイーツを広めるために、ランキングボタンをいつのまにか勝手にこんな形にすり替えてしまったものなので、クリックしたところで、美味しいお菓子を作り続ける悪の巣窟のページに飛ばされてしまうだけです。

みなさん、これは応援クリックにはならないので、

たとえこういうボタンがあっても、決して騙されないようにどうか気をつけて!

 

 

 

さて、

今回こんな自分勝手なことばかりを延々と書いてきましたが、

もちろん僕は、今自分がどれだけ恥ずかしくて格好悪いことをしているのかは重々承知しています。

一方的に、ブログを宣伝しろだとか、ランキングをクリックしろだとか…。

おそらく、こういうことを僕自身がお願いしているという行為を疎ましく思う方もたくさんいらっしゃるんでしょうね。

でも、僕は真剣なんです。

必死なんです。

多分、今僕は、4年間の、いや僕の20歳からの人生全ての想いがどうしようもなく溢れ出してきてるんだと思います。

恥と外聞をかなぐり捨ててでも、残りの期間一人でも多くの人にこのブログを知ってもらえるよう、みなさんにお願いしたいんです。

どうか、ご理解のほどを。

  

ただもちろん、たとえ宣伝やクリックが出来なくても、今まで通りこのブログを読んでくださっているだけでもそれは十分に嬉しいことですからね!

いつもありがとうございます。

そして、これからもよろしくお願いします!

どうか、嫌いにならないでね(;ω;)

 

 

さあ、残りの期間、俺自身も精一杯頑張るぞ!

あの高い場所へ向けて!

 

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2010年11月13日 (土)

改造詳細 前編

さあさあ、書ける時にどんどん書いていきましょう。

で、

今日は、前に約束していたレーシック手術についての詳しい話をしたいと思います。

とはいっても、これはただの体験レポートですし、いつも通り無意味に長ったらしくなっちゃう可能性が大なので、レーシックに興味の無い方は今回は完全にスルーしちゃって大丈夫ですよ☆

(そもそも「レーシック」って何?っていう方は、どうぞこちらを参照してください→

 

 

さて、

まず一口に「レーシック」とは言っても、今現在、レーシックの術式には色々な種類や呼び方があります。

イントラレーシック、ケラトームレーシック、エピレーシック、ラセック、PRK、などなど…。

まあ、大半の方はこれを見たところでなんのこっちゃ訳が分からないと思いますが、正直僕もほとんどなんのこっちゃ分かってないのでそこはご心配なく。

なんやねん、PRKって。

あ、でも、TRFのメンバーなら今でも言えますよ。

YU-KI、ETU、SAM、DJ KOO、などなど…。

あ、あと、AKB48には姉妹ユニットがあるっていうことも知ってます。

SDN48、NMB48、SKE48、などなど…。

あ、あと、ALFEEのメンバーもほとんどフルネームで言えます。

坂崎なんちゃら、髪長い人、グラサン、などなど…。

あ、あと、こんなことばっかりやってるから、このブログはいつもなかなか前に進まないんだということもよく知ってます。

ごめんなさい、もうしません、などなど…。

 

 

とにかく、数あるレーシックの種類の中から今回僕が選んだのは、「アイレーシック(i LASIK)」と呼ばれる次世代の術式。

これはどんな特徴があるのかというと、一人一人の眼に対して完全にカスタムメイドで治療するので、一般的に従来のレーシックよりも精度が高く、術後の見え方の質が高いと言われている術式なんです。

ちなみに、この「アイレーシック」は、アメリカ国防総省の戦闘機パイロットやNASAの宇宙飛行士が唯一受けることを許可されているレーシックなので、

これなら僕も、将来心おきなく宇宙飛行士を目指せます☆

まあとにかく、全体的にもう少し噛み砕いて言うと、この「アイレーシック」は、

他のんよりなんかええ感じ

ってわけなんです。

 

でも、他のんよりなんかええ感じってことは、つまり、他のんより値段もそれなりに高いっていうことでもあるわけです。

まあけど、これは各クリニックによっても術式の値段や種類はほんとにビックリするぐらいマチマチなので、一概には言えないんですが、

実際例に出してみると、今一番安いと思われるベーシックなレーシックが8万円ぐらいで、一般的に一番普及しているイントラレーシックと呼ばれるものが大体13万から18万くらい、そして僕が今回受診した「神戸クリニック」のアイレーシックが35万円でした。

ね?

アイレーシック、めっちゃ高いでしょ。

まあ、もともとレーシック自体が健康保険の効かないものですからね。

でも、実はこれも、クリニックによってはもっともっと安いアイレーシックをしている所もあったんですが、

保障制度、設備、管理、実績、評判などを自分なりにじっくり時間をかけて吟味した上で、結果、「神戸クリニック」のアイレーシックに決めたんです。

もちろん、35万円という値段は、僕にとってもとんでもない大金ですが、

いくらレーシックが世界一周のためだとはいっても、やっぱりそれ以降も一生続く大事な眼のことなんで、長い目で見ると、そこはケチったり妥協したりするわけにはいきませんでした。

実際に数年前には、ずさんな管理のクリニックで集団感染なんていう怖ろしい事件も起きてますしね。

 

 

さあ、そういうわけで、クリニックと術式が決まったら、次はさっそく手術!と言いたいところなんですが、

その前に、患者は「適応検査」を受けなければいけません。

なぜなら、レーシックっていうのは、実は誰もが受けることができる手術というわけではなくて、聞くところによると20人に1人くらいは、角膜の薄さやその他の理由で、手術を受けることができないらしいんです。

だから、手術前に、適応できる眼かどうか検査する必要があるわけです。

 

というわけで、もちろん僕もまずこの適応検査を受けたんですが、正直なことを言うと、僕、もうこの適応検査の時点で死ぬほど緊張していました。

というのも、僕がこの適応検査の予約を入れたのが、それからさかのぼること約2週間前。
(角膜の状態をフラットにするために、2週間コンタクトの装着が禁止されるため)

そして、検査に受かれば、その翌日がさっそく手術本番というスケジュールだったんですが、

これが、へたに予約から2週間も期間が空いたせいで、元々がネガディブシンキング&考えすぎな僕は、毎日いらぬことばっかりを妄想する羽目になってしまったんです。

 

あー、やっぱりレーシック怖いよー。

だって、眼の表面を削って、フタ作って、それをペロンってめくって、中にレーザー当てるねんで!

キャー!

怖いー!

しかも、そのフタを戻したら、ハイ完了☆

って、なんじゃいそれ!

マンガか!

そんなんで、ほんまに長年苦労してきた近視が治るんかいな!

それに、無痛とか言ってるけど、そんなん絶対ウソやわー。

いくら麻酔をしたからって、無痛はないやろー。

しかも、もし麻酔がうまく効かんかったらどうなんねんやろ。

「ちょっと、タンマ!」とか言えるんかなあ。

それって、とんでもない激痛やろなあー。

ひえー!

さらに、万が一手術が大失敗して、失明とかしたらどーしよー。

いや、失明はせんかったとしても、もし重大な問題が起きて、世界一周に行けんようになったらどーしよー!

そんなん本末転倒やん!

俺の世界一周ーー!!

そんで、もし無事に世界一周から帰ってきたとしても、レーシックってそんなに長い歴史のものではないから、10年後とかにレーシック自体の根本的な問題とかが見つかったらどーしよー!

ひー!

俺の未来ーー!!

ちゅうか、そもそも「アイレーシック」ってなんやねん!

どんなネーミングじゃ!

俺のレーシックーー!!

ってか!

あ、違うわ。

それじゃ「マイレーシック」か…。

って、そんなことどーでもええねん!

問題は35万っていう値段や!

高すぎるやろ!

人の弱みにつけこみやがってー!!

ぼったくりー!

…あ、ウソです。

ほんとはそんなふうには思っていないので、どうか痛くないように細心の注意を払って優しく優しく手術してください…。

好きよ、神戸クリニック。

マイ神戸クリニック。

アイ神戸クリニック。

ちゅうか、よく考えたら、その前に俺はほんまに適応検査に受かるんか?

もし受からんかったとしたら、俺、どーしたらええねんやろ。

けど、その場合、あの恐ろしい手術を受けんでよくなるわけやもんなあ。

わーい!手術受けんでいいって最高ー!

って、それこそ本末転倒か…。

いや、でも待てよ。

もしほんまに受からんかったら、俺はレーシック手術を受けることができない人だってことで、自分自身を完全に納得させて、いくら不便でもメガネなりコンタクトで長旅をしようと決心できるかも。

だって、それは不可抗力であり、仕方の無いことなんやもん。

しかも、そしたら35万も丸々戻ってくるし…。

わー!

俺、落ちろー!!

適応検査、落ちろーー!!!

 

 

…うん、僕はたぶん病気です。(笑)

 

ともかく、適応検査当日、僕は翌日の手術への恐怖と、本当に検査に引っかかって落ちてしまわないものかという訳の分からない期待で、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまっていたんです。

 

 

さて、

そんなこんなで、ついに「神戸クリニック」大阪院に足を踏み入れた僕。(思ったより、広くて綺麗)

まず、受付で問診票を記入した後、名前が呼ばれてさっそく適応検査が始まったんですけど、

僕の緊張をよそに、視力や眼圧(空気を当てるやつ)や角膜など7,8項目からなる検査自体は、どれも全く怖さや痛みを感じるものではなくて、

少しホッとしたのもつかの間、

次に、看護婦さんが、眼の調整力を取り除いた状態でさらに検査するために、今から「瞳孔を開く」目薬を注すって言いだしたんです。

でも、ただでさえ一般常識が欠如している上に、未だに緊張感が少し残っている僕は、この時その「瞳孔を開く」という意味がよく理解できず、

 

ん?瞳孔を開く?

瞳孔が開くっていったら、あれちゃうんか。

刑事ドラマとかで、犯人が死んでしまった時に、

「警部、こいつはもう瞳孔が開いています!」

「そうか、一足遅かったか…。」

とかで、出てくる言葉ちゃうの?

つまり、この目薬は、俺の目を死んだ状態にするってこと?

わー!なんか、よー分からんけど、怖い!!

イヤやー!瞳孔開くのー!

「警部、たかゆきはもう瞳孔が開いています!」

「そうか、一足遅かったか…。」

イヤやーー!!

怖いーー!!

 

って、なっちゃったわけです。

すごいでしょ、33歳の僕…。(苦笑)

 

しかも、若い看護婦さんに、そんな訳の分からない不安をぶちまけるわけにもいかず、とりあえず黙って目薬を注してもらったんですが、

それでも体だけは正直で、注してもらってる間中ずーっと僕の体は生まれたての小鹿のように小刻みに震えていて、

それに気付いた看護婦さんに、結局満面の笑顔で、

「はい、大丈夫ですよー。恐い目薬じゃないですからねー。」

って言われてしまいました。

ウフ。

 

 

 

…ちゅうか、ちょっと待って!

僕、今ここまで読み返してみたら、

たったこれだけのこと書くのに、いらんことを付け加えすぎるから、案の定めっちゃ長くなってしまってるじゃないですか!

ある程度分かってはいたけど、やっぱりこんなペースじゃ全然前に進みません!

だって、まだ肝心の手術当日にすらたどり着いてないっていうのに…。

はぁ、4年も経ったのに、相変わらず僕のブログって…。(苦笑)

 

 

というわけで、

あんまり重要じゃない適応検査のことなんて、突然だけどこれでもう終わり!!

えっと、瞳孔開くのも、結局はただちょっとピントがぼんやりするだけで、全然怖いものじゃなかったし、

あとは、

さらになんかチョロチョロって検査しただけです。(急に雑!)

 

そして僕は、心のどこかで落ちることを切望していたこの適応検査にも、結局当たり前のように受かってしまい、

残すは、本当の恐怖である翌日の手術本番を迎えるのみとなったんですが、

ここから先はまた長くなってしまいそうなんで、やっぱり次回にさせてもらいます。

興味のある方、いつもながらすみません!

次こそは、なるべく簡潔にしますので!(多分ムリ!)

 

 

つづく…。

 

 

P.S.

前回のお話ですが、もうさっそく数名の方が、ブログやミクシィやツイッターでこのブログを紹介してくださったみたいで、ほんとに感謝&感激で、涙がちょちょぎれております。

そして、もし、お友達やお知り合いの方にこのブログを紹介してくださったという方がいれば、その方達にも大感謝です。

またそういうことについても別の機会に紹介させてもらいますので、もう少しお待ちくださいね。

そして、おかげさまで、ランキングの方もどんどん上がっているみたいで、今現在なんと14位まできました!

みなさん、ほんとにありがとうございます。

みなさんの気持ちが、すごくすごく嬉しいです。

ただ、ここからがかなりの激戦地区なので、もしよろしければ、今後とも引き続き応援していただけるとさらに嬉しいです。

もー!みんな大好きー!

 

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2010年11月15日 (月)

改造詳細 中編

前編からの続き…

 

というわけで、

僕は適応検査に無事に(?)受かり、その後、先生からの明日の手術に対する説明や、カウンセラーからのカウンセリングを受けたんですが、

僕はその時、自分自身が疑問に思っていることや不安に思っていることをたくさん質問したので、

レーシックに興味のある方の参考になればということで、まず初めにそのいくつかのQ&Aをここに残しておきます。
(注;神戸クリニックにおいての話)

 

Q、レーシック手術によって失明することはないんですか?

A、レーシック手術で使うレーザーは、眼の一番表面の組織(角膜)にしか到達しないレーザーなので、視力に影響する眼の奥の網膜や視神経にまでは届かないため、失明が起きることはありません。

また、国内でも、海外でも、今までレーシックが直接の原因となって失明したケースは一度もありません。

 

Q、手術をした後に、視力が戻ってしまうことはありませんか?

A、元の視力まで戻ってしまうということはまずありません。

ただ、元々重度の近視の方などは、稀に近視が少し戻ってしまうことがありますが、その場合でも、再手術(無料)が可能で、再手術の後は視力はほぼ安定します。

適応検査では、2回手術が受けられるだけの角膜の厚さがあるかどうかも調べているのでご安心ください。

 

Q、万が一再手術の後にも近視が戻ってしまった場合、コンタクトレンズを着用することはできるんですか?

A、レーシック後には角膜の形状が変わっているので、ハードコンタクトは装着しづらくなる場合がありますが、ソフトコンタクトならお使いいただけます。

 

Q、レーシックって、乱視も治るんですか?

A、現在使用中のメガネやコンタクトレンズで、乱視を矯正できていれば、レーシックによって、同様に矯正可能です。

 

Q、レーシックを受けると、老眼が早まるって聞いたことがあるんですけど、本当ですか?

A、老眼というのは、水晶体と呼ばれる眼の中のレンズを支えている筋肉が衰え、近くを見るときの調節がうまく出来なくなる状態です。

そして、レーシックは水晶体ではなく、角膜に対する手術なので、レーシックを受けたからといって早く老眼になることはありません。

ただ、レーシックで老眼を治療することはできないので、将来老眼になった時に、老眼鏡が必要になる場合はあります。

 

Q、ぶっちゃけ、レーシック手術って痛いんですか?

A、手術をする前に点眼麻酔(目薬)を使用するので、痛みはありません。

レーザーを照射する前にまぶたを開く器具をつけることで、不快感を覚える方がいますが、痛みと言えるものではありません。

さらに、手術中には目薬の麻酔が効いているかどうか充分に確かめながら行いますし、何か感じたとしても、手術中にもコミュニケーションが取れますのでご安心下さい。

 

Q、手術中にまばたきしてしまったり、眼が動いてしまったらどうなるんでしょうか?

A、手術の際は専用の器具でまぶたを固定しますので、まばたきをすることはできません。

また、当院のレーザーには3Dアクティブ・アイ・トラッカーという自動追尾機能が備わっており、手術中のお客様の眼の動きを追いかけ、レーザー照射します。

もし、眼球が大きく動いた場合は、自動的にレーザー照射を停止する安全機能も備わっていますので、「絶対に眼を動かしてはいけない」という過度の緊張から開放されリラックスした状態で手術を受けて頂けます。

 

Q、じゃあもし、手術中にエロいことを考えてしまったらどうなるんでしょうか?

A、それは知りません。

 

Q、バナナはおやつに入りますか?

A、は?そんなまったく面白くない、小学生レベルの質問にも答える気はありません。

 

Q、じゃあ、子供ってどうやったらできるの?

A、小学生レベルうんぬんよりも、さっきからエロだとかなんだとか、そもそも親が読んでいるので、答えるわけありません。

 

Q、じゃあ、夢の中へ、夢の中へ、行ってみたいと思いませんか?うふっふー。うふっふー。さあー。

A、すみません。これだけはちょっと、マジで何言ってるのか分かりません。

っていうか、こんなことばっかりやってるから、ブログがなかなか前に進まないって、前回も言ってませんでしたっけ?

 

Q、はい、その通りです。でもこれが僕のブログの宿命でもあるんで、許してやってください。それより僕と踊りませんか?うふっふー。うふっふー。さあー。

A、・・・・・・・・・・・・・。

 

 

 

さあ、

とにかく話を進めましょう。(←何事もなかったかのように)

 

 

まず手術当日、待合室は、前日の適応検査の時に比べて、ものすごく混み合っていて、僕は名前を呼ばれるまでに結局1時間近く待たされました。

その間、僕の目の前の手術終わりだと思われる若い女性が、目に深いしわを寄せて、とんでもなく不快そうな顔をして座っていたことや、

さらに、隣の席には、これまた手術直後の20歳前後の男の子が母親同伴で座っていて、彼が母親に向かって

「痛い!痛い!目ん玉に、レモン10個こすりつけたみたいに痛い!」

と、涙ながらに訴えていたことが、

ただでさえ怯えてる僕を、さらに恐怖のどん底に落とし入れました。

 

もー!若もん!

待ってる方の身にもなれよ!

お前は、実際にレモン10個を目にこすりつけたことがあるんかっちゅうねん!!

 

 

そして、ようやく僕の名前が呼ばれ、軽い検査が済むと、

まずは手術室の前室のような場所に、靴を脱いだ状態で案内されました。

ここで、手術の際に髪の毛が邪魔にならないように、ビニール製のシャワーキャップみたいなものをかぶらされるんですが、

この時、僕が顔面蒼白であまりにも緊張していたもんで、看護婦さんに

「もしよかったら、軽い安定剤でも飲まれておきますかー?」

って笑顔で聞かれちゃいました。

「だ、だいじょうぶです。ぼ、ぼく、もう大人なんで!」

 

 

そして、次にいよいよ麻酔の点眼タイムです。

これも、看護婦さんが注してくれるんですが、

なんだか知らないけど、その量は、普通の目薬みたいにほんの2滴ずつぐらい。

 

えーー!もっと注してよーー!!

こんなんで、目ん玉ペローンの痛みに耐えれるわけがないやんか!!

 

でも、それを伝えても、看護婦さんは相変わらず笑顔のまま…。

「はーい、大丈夫ですよー。

このまま、麻酔が効いてくるまで、5分ほど待っててくださいねー。」

「あ、は、はい…。」

 

 

5分後。

さっきの看護婦さんに連れられて、僕はついに運命の手術室へ。

薄暗い室内は、思ったよりもかなり広く、

中央に置かれた、なんだか明らかに豪華で高そうな手術設備の向こうには、白衣とマスクをした先生やら助手さんやら看護婦さんやらが4,5人整然と待機していました。

イメージ的には、宇宙人に連れ去られて自分の体を調べられるような、UFO内部の部屋っていうのかなあ、

いや、まさしく、本郷猛が悪の秘密結社に連れ去られて、ショッカー達に仮面ライダーに改造されてしまうような部屋っていうか、

とにかくそんな感じの部屋でした。

 

僕は、手術台まで、「世界一周のため。世界一周のため。世界一周のため…。」と小さな声で念仏を唱えながら向かいます。

そして、いざ手術台というか手術椅子のようなものに横たわると、

目の前の情景は、今度は豪華な歯医者さんといったイメージに変わりました。

暗い部屋の中、僕の顔だけがものすごく明るいライトで照らされ、それを上から先生と助手さんが覗いてるんです。

この時僕は、我慢できずにハッキリと先生に伝えました。

「先生、僕めっちゃ怖いです。」

「うん、すぐに終わるから大丈夫ですよ。」

でも、先生の表情はマスクでよく分かりません。

 

 

「じゃあ、さっそく始めますからね。力を抜いて、リラックスしてくださいね。」

 

先生がそう言うと、急に周りの動きがあわただしくなり、

僕の目の前数十センチには、おそらくレーザーが発射されるんであろう見たこともない機械(以下、レーザー君)が設置されて、

もう僕の視界にはレーザー君しか映らなくなってしまいました。

 

そして、極度の緊張の中、僕もなんとか少しでも力を抜こうと、ひじ掛けの上で強く握り締めていた拳を開いてパーにしたんですが、

ここでビックリするようなことが起きました。

 

なんと、

看護婦さんだと思われる女性の手が、僕の右手を優しく握り締めたんです!!

 

 

え、えーーー!?

うそでしょーーー!?

この店(クリニック)、そんなオプション付いてんのーー!?

わー!わー!わー!

女の人と手をつなぐなんて、久しぶりで照れちゃうー!(←変態)

 

 

Q、もし、手術中にエロいことを考えてしまったらどうなるんでしょうか?

A、…えっと、お母さん、この質問はあくまでも冗談やからね。

 

 

 

さあ、

患者が緊張しないように、ほんとに手まで握っていてくれる「神戸クリニック」でのレーシック手術がいよいよ始まります。

でも、続きは、まだもうちょっとかかっちゃいそうなんで、

興味のない方には申し訳ないですけど、もう1回だけ次回へ繋がせてください。

次こそ、頑張って完結させますので!

 

 

つづく…。

 

 

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2010年11月18日 (木)

改造詳細 後編

中編からの続き…

 

そして、

看護婦さんと手をつないでルンルン気分になったのもつかの間、

さっそく僕の右眼が、まばたきが出来ないように、なにかよく分からない器具でガッチリと強力に固定され、

僕の右眼は、これでもかっていうくらいに大きく見開いた状態になりました。

 

キャー!恥ずかしいー!

あんまりマジマジ見ないで…。

 

(僕は強迫観念が強い人間なので、手術前には、

「まばたきをしちゃダメだ、まばたきをしちゃダメだ。」って思いすぎて、逆にまばたきがどうしてもしたくなって、それでパニックになってしまったらどうしよう…

なんてすごく恐れていたんですが、実際には、ほんとにガッチリと強制的に固定されてしまうので、結局手術中一回も、まばたきのことを考えたことすらありませんでした。

だから、もし同じようなことを心配されている方がいらっしゃったら、その点は安心されていいと思います。)

 

 

ただ、あまりにも強力におめめを開かれるもんだから、その器具の圧迫感というか何というか、それがちょっと痛かったです。

まあでも、それは鋭い痛みとかではなくて、あくまでも、ただただ皮膚を引っ張られ…

 

なんていってるうちに、

すぐさま、助手さんの手によって、レーザー君がさらに僕の右眼スレスレの位置まで接近してきます。

 

わーわーわー!

つ、ついに始まるのーー!?

 

この時、僕の心臓は、もうはち切れんばかりに高鳴って、この日一番のピークを迎えたんですが、

同時に僕は、なんとか緊張を少しでも緩和させとようとした結果、

なぜだか、今手をつないでる看護婦さんの指を振りほどき、

それを、

全ての指を絡ませる、いわゆる「恋人つなぎ」に握りなおそうとしました。

自分でもなんでそんなことをしようとしたのか謎なんですが、なんとなくその方が安心できる気がしたんです。

 

Q、あなたは変態ですか?

A、ええ、私は変態です。

しかも、お母さん、これは実話です…。

 

 

でも、敵もやはり百戦錬磨。

あっという間に僕の「恋人つなぎ」は振りほどかれ、

すぐに元の「恋人じゃないつなぎ」に握りなおされてしまいました。

しかも、もう片方の手で、「ダメよ。」って感じでポンポンって叩かれる始末…。

 

…わー、なんか俺、超恥ずかしー!

ずっと好きやった人に、フラれた気分やー!

 

 

さあ、こんな短い間にプチ失恋を味わった僕に、もう怖いものはありません。

いつでも、かかってこいや!このレーシック野郎!!

 

と、

言いたいところですが、やっぱり怖いものは怖いです。

 

 

「さあ、フラップ(ふた)を作ります。

なるべく光の中心を見ててくださいね。」

 

そう言われて、僕と元恋人(看護婦さん)との「恋人じゃないつなぎ」にも思わず力が入ります。

ただ、ここからのことは、あまりうまく言葉で説明する自信がないんですが、なるべく頑張ります。

 

 

えっと、目の前のレーザー君は、近すぎるせいで、なんだかどこかのSF映画のミニチュアセットを見ているような情景で、

なんというか、とにかく光の輪っかが点滅してる感じ?(←説明下手!)

そして、レーザーによるフラップ作成の時は、明らかに自分の目ん玉の表面がスライスされているのがハッキリと分かって、

でも、あんなたった2滴の麻酔でもちゃんと効いるようで、痛みは全く感じず、

ただ、表面がめくられた瞬間から、一気に焦点がぼやけた感じになって、まるで水の中にいるような全体が滲んだ世界になりました。

それでも、まったく何も見えなくなるというわけではありません。

(「先端恐怖症でも、レーシックは怖くないですか?」という質問を頂いたんですが、今書いたように、手術は刃物ではなくレーザーで行われますし、その後は、焦点が完全にぼやけるので、先端恐怖症の方でもそんなに心配されることはない、と僕は感じました。)

 

 

「はい。綺麗にフラップができましたよ。」

 

そう言われると、次はいよいよ、ふたを開けた状態で、エキシマレーザーと呼ばれるものを照射して、それで近視や乱視を治療するんですが、

不思議とこの頃になると、緊張感も幾分かマシになってきます。

やっぱり、さっきのスライスが思ってた以上に痛みを感じなかったっていうのが大きいんだと思います。

まあでも、せっかくなんで、元恋人(看護婦さん)の手は強く握ったままですけどね。(←やっぱり変態!)

 

 

ただ、このエキシマレーザー、なかなかのくせ者です。

こちらも、痛みは無いんですが、

とにかく、「音」と、「匂い」がハンパないんです!

 

「音」っていうのは、バチバチバチバチ!といった、ものすごい大きなレーザー発射の音。

ただ、痛みは無いと言いましたが、レーザーが小まめに眼に当たってる感触はわずかながらにあって、とにかく大きな音で眼を連打されてる感じ。

 

 

そして、もう一つの「匂い」っていうのは、

なんと、自分の眼が焦げてる匂いなんです!!

 

ひーー!!

俺の眼がこんがり焼かれてるよーー!!

どうか、ミディアムレアでお願いね☆

って、やかましいわ!!

 

 

でも、これ、ほんとなんです。

エキシマレーザー照射は計20秒ぐらいあるんですが、

その間ずっと手術室の中には、大きな音と、僕の眼が焦げた匂い(なんというか、あまり嗅いだことのないような不思議で独特な匂い)が充満してるんです!

なんとも奇妙な体験です。

 

 

そして、20秒間、この「音」と「匂い」に見事耐え切ったら、

突然、精製水のようなもので目の中を洗浄され(冷たい!)、

ビックリするぐらいあっという間にフラップが元に戻されると、

ぼやけていた焦点も一気に戻り(よく見えるかどうかまではまだ分からない)、

これで右眼の手術は完了です。

 

手術室に入ってから、ここまでたった2,3分。

ほんとにこれだけで、今まで20年以上何かと不便な思いをしてきた僕の近眼(両眼とも0.1)とおさらばできたというんでしょうか。

 

半信半疑ながらも、この後、左目も全く同じ工程を踏み(もちろん、手はつないだままheart)、

最後にレザー君が元の位置に戻されると、先生が肩をポンと叩いてくれました。

 

「はい、お疲れさまでした。

これで、全部無事に終わりましたよ。」

 

 

わー、ほんまに終わったんや!

なんて、あっけない!

 

 

ほんとに、全部合わせても5分ぐらいだったんじゃないでしょうか。

握られていた手もついに離されると、

僕は上半身を起こし、周りを見渡しました。

んー、見えているような、見えていないような、正直まだ視界がぼんやりしていてよく分かりません。

ただ、周りにいる人達の顔は判別できるぐらいのレベルです。

よし、ここで、手をつないでくれていた元恋人(看護婦さん)だけには、ちゃんと男らしくビシッと言ってやらなきゃいけません。

 

「ねー、ねー。

俺、頑張ったでしょ?頑張ったでしょ?」

 

 

…いやー、人間って、

相手は大きなマスクをしてるのに、苦笑いしてるっていうのだけはハッキリ分かるもんなんですね。

これも、レーシックでよく見えるようになったおかげかな☆

  

 

 

さて、この後、手術室を出ると、

まず、フラップを安定させるために、リカバリールームって呼ばれる暗室で、リクライニングソファーに座って眼を閉じた状態で15分くらい休憩します。

そして、先生による検診があって、眼薬と保護用メガネ(自分が今まで使ってたメガネを、手術中にレンズだけ入れ替えて度数の無い保護用メガネにしてくれる)を受け取ると、それをかけてさっそくもう帰宅OK。

この頃になると、まだ完全にクリアとまでは言いにくいんですが、それでも遠くの時計の針とかが読み取れちゃいます。

 

うわー!ほんとに見える!

すごい!すごいよ、マサルさん!

 

しかも、僕はさっきの診察の時に、家に帰るまでの術後の痛みを恐れて、念のためにもう一回だけ手術前に注したのと同じ点眼麻酔を注してもらったので、

この時点でも、眼の痛みは全くといっていいほどありません。

 

もー!なんやってん、さっきの待合室の男の子は!

全然痛くなんかないやんけー!

何が、レモン10個こすりつけたみたいな痛みじゃ!

人をビビらすのもええ加減にせえっちゅうねん!!

 

 

そして、この後僕は、家まで電車で3駅の距離を、あえて45分ほどかけて歩いて帰りました。

それは、この時がまだ夕方前だったので、せっかくなので街の風景を楽しみながら帰ろうっていうことだったんですが、

いくら保護用メガネ越しとはいえ、やっぱり裸眼で見ることのできる風景は、いつもとは全く違う素晴らしい眺めでした。

 

そして、帰宅。

この日一日は、テレビも、パソコンも、本も止められていたので、手持ち無沙汰の僕は、とりあえずベッドに横になりました。

しばらくの間、天井の木目を見てみたり、わざと遠くの本棚を見てみたり、壁掛け時計を見てみたり、地味な喜びを噛みしめます。

しかし、この後、すぐに状況は変わっていきました。

 

麻酔が切れたみたいなんです。

 

 

ん?と思った時には、もう遅く、

いきなり眼を開けているのが辛くなってきました。

そして、仕方がないので眼をつぶってみても、またしばらくすると、今度は眼をつぶっているのも辛くなってきます。

さらに、10分もすると、何も見えなくなるほど涙がじゃんじゃん出てきて止まらないし、

眼をつぶっても痛い、開けても痛い、とにかく痛いんです!

開けても閉めてもだめなら、じゃあどうすりゃいいの!

しかも、この痛みは、なんと説明していいやら、鋭い痛みとかではなくて、眼の内側から来るような鈍ーい嫌な痛みなんです。

そーやなー、例えて言うと、

ちょうど、レモン10個を眼にこすりつけたみたいな痛み!

 

とにかく僕は、今からこんな痛みがずっと続くのかと思うと、ほんとにどうしていいのか分からなくなって、

とりあえずベッドから降りて、部屋の中を歩き回りはじめました。

一度、この今の痛みをブログに書いてやろうと思って、パソコンの電源を入れたりもしたんですが、

とってもじゃないけど、眼が痛くてちゃんと開かないし、涙で細かい文字なんて全く読めないし、それもすぐに諦めました。

しかも、もらった目薬を注そうにも、同じく眼がちゃんと開けないので、これもなかなかうまくいきません。

 

わーん!!

やっぱり、レーシックは恐ろしいよー!!

生き地獄じゃーー!!!

 

 

結局、僕は1時間ぐらいもだえ苦しんだのち、

痛みに疲れ果てて、いつのまにかベッドに倒れこむように眠ってしまっていました。

 

 

そして、眠ること約3時間。

このたった3時間の間に、僕の眼の中で何が起きたのかは分かりませんが、

ようやく目覚めた僕を待っていたのは、ビックリする事実でした。

 

目覚めた瞬間、さっきまでの痛みがどこへやら、全く痛みは消えていて、

眼を開けると、すべてのものが手術直後とは見違えるくらいにハッキリ・クッキリと綺麗に見えたんです!

ほんとに何もかも!

 

 

わー!

見えるー!見えるよ、マサルさん!!

一体、寝てる間に何が起きたんか、よー分からんけど、

やっぱレーシックってすげー!!

そして、これが、俺が10歳の頃まで見てた、

あの本物の裸眼の世界なのかー!!

いやー、最高や!

神戸クリニックありがとう!アイレーシックありがとう!先生ありがとう!レーザー君ありがとう!待合室の男の子ありがとう!太陽さんありがとう!草木さんありがとう!宇宙さんありがとう!

そして、なにより、元恋人!

いい夢見させてもらったぜ!

あばよ!!

 

 

 

そして、

その時点から、

3ヶ月後の今日まで、ずっと見えっぱなしの僕なのです。
(両目とも、1.5以上)

 

めでたし、めでたし。

 

 

お・し・ま・い

 

 

P.S.

はっきり言うと、あれから3カ月間、細かいことはまだまだたくさんあったんですけど、

これ以上書いてるとキリが無くなっちゃいそうですし、

また、そこまで重要なことでもない気がして、今回は思い切ってここでバッサリと切っちゃいました。

でもまあ、全体的に予後経過は良好ですので、ご心配は無用です(^-^)

そして先日、最後の3ヶ月検診に行ってきたんですけど、

眼の状態もすごく綺麗で、世界一周も何の問題もないということでした。

わーい!

また一歩、夢へ大きく前進したー!!

 

さて、最後に、

今回僕は、世界一周という大きな夢のためにレーシックを受ける決意をして、おかげさまで今は快適な裸眼生活を送っているわけですが、
(特に、コンタクトやメガネを外さずにそのまま寝れることや、起きてすぐに物が見えることが嬉しい)

じゃあ、近視のみなさん全員に、そのレーシックを強くおすすめするかというと、

そこの部分は正直微妙なところです。

もちろん、何か仕事上の理由や、はっきりとした目的があれば別ですが、

今現在、コンタクトやメガネの生活にそこまで困っていないのであれば、やっぱり、値段のこともありますし(もちろん安いレーシックもありますが)、まだそこまで世界中に浸透も確立もしきってはいない医療行為だということも考えると、

ハッキリ言って、今すぐに強くおすすめするっていうものでもないと思うんです。

 

まあでも、これはあくまでも、「強くはすすめない」というだけであって、もちろん、僕もレーシックを受けて今は快適さを感じているわけですし、実際にレーシックがそんなに危ないものだとも僕は思っていないので、

後はみなさんが、その状況に合わせてご自由に検討されて、

とにかく、

今回の体験記が、少しでも何かのお役に立てば、それが一番嬉しいです。

 

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2010年11月19日 (金)

「最終章」

もう日にちがあんまりないので、

今日からこのブログは「最終章」に突入したいと思います。

 

いや、別に最終章っていったって、何かが劇的に変わるわけでもないんですけどね、

とにかくもう、出し惜しみをせずに、今までまだ書いてこなかった全てのことをどんどん書いていこう!

っていう、

みなさんと自分自身への宣言みたいなものです。

 

 

具体的には、

これからどんなことを書いていくつもりなのかというと、

 

・4年以上ずっと続きを書けていなかった、S助さんとの話

 

・ここにはまだ書けていない、この仕事を始めてから十数年間の、自分自身が忘れたくない思い出(大小問わず)

 

・いままで通り、現在の出来事

 

・世界一周についての話

 

など、です。

 

そう、

つまりは、今までのコンセプトとほとんど変わっていないわけですが(笑)、

残りの期間は、特に上の2つのテーマに力を入れたいと思っています。

もちろん、更新のスピードアップは絶対条件で!

 

ただ、

「ほんとに、残りの期間で、これだけのことを書き切ることができるのか?」

と言われると、

正直僕にもそれをハッキリ断言することはできませんが、

それでも、

今から諦めることだけは絶対にしたくないですし、

この大事なブログに悔いが残らないように、精一杯出来る限りのことはするつもりでいます。

 

 

そして、S助さんの話については、

これは大分長い続きものの話になってしまいそうなので、

続きものを書きだすと、いつも極端に更新スピードが落ちてしまう僕としては、

今回は連続で更新していくことはおそらくないと思っています。

つまり、話が次回に続く間に、全く関係のない他の色々な話が入り込むことになるので、

少し読みづらい上に、最終的に完結するのが、ブログの終わりあたりになってしまうかもしれませんが、

その点はどうかご了承ください。

でも、一応右のカテゴリーに、「S」という新しいシリーズを作る予定なので、

もしまとめて一気に読みたいという方がいれば、どうぞそちらも活用してやってください。

 

 

 

とにかく、

今回のこの「最終章」は、今までの更新スピードを考えると、かなりムチャな挑戦のような気もしますし、

S助さんや、大小年月問わずの思い出、現在のことなどが、短い期間に入り乱れるとなると、これからこのブログはかなりカオスなことになっちゃいそうですが、

そこはもう、

「ノーレイン ノーレインボー」の「閉店売り尽くしセール」だ!

ぐらいに思って、

みなさんも、このドタバタに楽しんでお付き合い頂ければと思っています。

そして、これまで通り、応援&温かく見守ってもらえたら、なお嬉しいです!

 

 

そんなわけで、

今日からは、完結に向けたラストスパート、

「ノーレイン ノーレインボー 最終章」

のスタートです!

 

 

P.S.

さて、

少し前に、みなさんに、このブログを宣伝してくれないかという、随分自分勝手なお願いをしましたが、

ネット上でいうと、僕が分かっている範囲では、現在までに10名もの方が、ご自身のページでこのブログを紹介してくださったようです!!

本当に本当にありがとうございます!!

めちゃくちゃ感激しました。

だって、お願いした本人が言うのも変かもしれませんが、自分の大事なスペースで、人のブログの宣伝や紹介をするっていうのは、すごく労力とパワーがいることだと思うんです。

だから、それを考えると、もうほんとに涙がちょちょぎれます。

 

ブログでは、

「浅く多趣味な女の1日1言」の28の女さん、

「pine-pine-pine」のじゅんちさん、

「シングルロ~ド」の愛水さん、

「コビトパンダのブログ」のコビトパンダさん、

「もの思う葦のつぶやき」の葦屋草太さん、

「*M*LIFE」のMAKISEさん、

「夕焼けランプ」のゆんさん。

 

ツイッターやミクシィでは、

たかはしさん、ネロさん、みわいど。さん。

 

他にも、口コミで紹介してくださったという方々。

 

みなさん、本当に心から感謝しています。

残りの期間、僕も頑張りますので、これからもどうぞよろしくお願いします。

あと、もし、私もネットで紹介したのにという方がまだいらっしゃったら、ご連絡いただけると嬉しいです。

 

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2010年11月21日 (日)

「S」 1

今日から書き始めるS助さんとのお話について、

みなさんに、初めにどうしても言っておきたいことがあります。

 

えーっとね、なんて説明したらいいんでしょうか、

あまり期待してもらっても申し訳ないので、先に言っちゃいますが、

今回の話っていうのは、あまり楽しい内容のお話ではない上に、僕自身の中では、もうとことん消化しつくした過去の話になってしまっています。

なので、

この話を読んで、僕や他の誰かを非難したり、逆に褒めたり、アドバイスをしたり、

っていうことだけは、どうかしないでほしいんです。

 

でも、もちろん、

僕自身は、自分の人生の記録として、覚えていることは、書ける範囲でなるべく正直に全て書いていこうと思っているので、

あくまでもドキュメンタリーのようなものとして、それがみなさんに少しでも興味のある話になればいいなと思っています。

 

では、

それだけは分かってもらったところで、さっそく始めますね。

わー、ものすごく久しぶりにこの話書くから、なんかめっちゃ緊張するー!

 

あ!すみません!

後もうひとつだけ言うの忘れてた!

えっとね、今回の話は、S助さんの話でありながら、

実は、右のカテゴリー「ノーレイン ノーレインボーのその後」の続きでもあるので、

今日は、まずその続きから始めます。

(結局1回目から、ものすごく暗くて、とんでもなく長いです。苦笑)

 

 

「コンビニ」からの続き…

 

ほんとに僕は、何かの精神的な病気なんだろうか…。

 

そう考えると、やっぱり苦しくて仕方なかったけど、

その日は友達が朝まで一緒に居てくれたおかげで、結局その後、さっきのような発作が起こることはなかった。

 

 

そして、翌朝。

僕は、友達を送ったその足で、昨夜救急隊員に言われた通り、近所の「精神科」に向かった。

もちろん、怯えながら。

なにせ、人生初の精神科である。

そう簡単に受け入れられるものじゃない。

まさか、人生のなかで、自分がそういうところにお世話になる時が来るなんて…。

でも、このまま放っておいて、またあんな発作が起きることを考えると、僕には選択肢なんて無かった。

 

僕は、勇気を振り絞ってその精神科に足を踏み入れた。

 

ただ、この時心のどこかでは、

「ちゃんと精神科で診てもらいさえすれば、きっと優しい先生が僕の話をゆっくり聞いてくれて、発作の原因を突き止めてくれる。

そして、すぐに問題を解決してくれる。」

と、やみくもに信じている部分もあって、

また実際に、そういう考えにすがっている自分もいた。

 

 

でも、現実は全然違った…。

まず朝一だというのに、待合室は混みに混んでいて、1時間ほど待った末にようやく僕を診てくれた先生は、

忙しさからか、僕の話をゆっくりと聞こうなんて姿勢は全くなく、僕が大まかな概要を説明しているだけでも、2,30秒ですぐにその話を断ち切って、

「じゃあ、お薬を出しておくので、しばらくそれを飲んで、また来週にでも来てください。」

とだけ告げたのである。

 

え?

僕は一瞬、耳を疑った。

…もしかして、これで診察が終わりだっていうんだろうか?

 

勇気を振り絞ってやって来たのに…。

僕は、昨夜自分の身に起こった出来事の意味が分からず、本当に怯えているのに…。

 

 

信じられない僕は、少しでも食い下がるために、自分から質問してみた。

 

「え、えっと、お薬っていうのは、安定剤ってことでしょうか…?」

「そうです。」

「えっと、じゃあ、やっぱり、僕には精神的な問題があるってことなんでしょうか…?」

「おそらく、そういうことになりますね。では、お薬をちゃんと飲んでくださいね。」

 

僕はもうそれ以上何も言えなくなって、診察室を出て受付で薬だけ受け取ると、逃げるように病院を飛び出した。

朝の光は眩しい。

 

もう二度と精神科なんかに行くもんか!

あんなので、俺の何が分かるんや!

こんな薬も飲むもんか!

 

 

部屋に戻った頃には、

僕はもうかなりぐったりしてしまっていた。

でも、それと反比例するように、頭の中だけは相変わらず活発に動いていて、さっきの病院でのやり取りがずっと反復されている。

 

「やっぱり、僕には精神的な問題があるってことなんでしょうか…?」

「おそらく、そういうことになりますね。」

 

 

さあ、これから僕は一体どうしていったらいいんだろう。

 

 

20分後。

結局、昨晩から一睡もしていなくて憔悴しきっているのに、いまだに眠ることもできず、さっきから同じ事ばっかりを考えている僕。

でも、そんな時、

突然昨日と同じような発作がまた始まってしまう。

 

…ああ、もう嫌や。

 

 

しかし、

今回の発作も、昨晩と同様、容赦無く僕を飲み込んでいく。

 

 

その時、

あぶら汗をにじませ、もだえ苦しむ僕の目にたまたま飛び込んできたのは、さっき病院でもらった安定剤の袋だった…。

・・・・・・・・・・・。

 

 

みなさんがどうなのかは分からない。

でも、この頃の僕にとっては、安定剤などの向精神薬というのは、精神科と同じく、未知で怖いものというイメージしかなかった。

しかも、この薬の説明書きには、

「脳に直接作用して、不安を和らげたり、気持ちを落ち着かせる」

などと書いてある。

脳に直接作用…。

バカバカしく思うかもしれないが、今のパニック状態の僕には、その言葉のイメージが本当に恐ろしいものに感じたのである。

 

どうしよう、怖すぎる…。

でも、このままじゃまた、どうにかなってしまいそうや…。

でも、やっぱり、恐ろしくて飲めない…。

でも、気が狂って死んでしまいそうや…。

でも、飲めない…。

 

 

極限の緊張状態の中、自問自答を繰り返し、

結局、僕がその安定剤を飲み込んだのは、過呼吸で体全体が完全に硬直してしまう寸前のことだった…。

 

 

…ただ、

事態はそれだけでは終わらなかった。

 

今度は、一瞬のうちに安定剤が効いてきて、

それが僕を支配し始めたのである。

 

なんだか、これだけを聞くと、良いことのように聞こえるかもしれない。

でも、

生まれて初めて飲んだ安定剤の効き方っていうのは、僕の想像していたものとは全く違い、ものすごく恐ろしいものだったのだ。

 

絶対的な「安定」という名のもとに、

急激に体内がクールダウンして、全ての内臓が働きをピタッと止めてしまう感じというか…。

人間としての機能が停止して、「死」に向かっていくイメージというか…。

 

もちろん、今冷静になって考えれば、安定剤を飲んで死んでしまうなんてことは絶対にありえないんだけど、

うまく伝わるかどうか、

とにかく、その時の僕にとっては、それは本当にハッキリと「死」に向かっていくような恐ろしい体験だったのである。

そして、しばらくすると、

あまりにもの苦しみに、僕はうつ伏せ状態で、床に倒れてしまった。

 

一体なんなんや、この薬は…。

このままじゃ死んじゃうやんか…。

恐ろしい、恐ろしい…。

ああ、もう限界や…。

誰か、助けて…。

 

 

僕は床を這いずりながら、携帯電話を探し、震える手でなんとか「119」を押した。

 

「はい、119番です。火事ですか?救急ですか?」

「救急です…。」

「どうされましたか?」

「え、えっと、こ、怖いんで、まず先に住所を言ってもいいですか…。○○区△△□□…。」

「はい、今からそちらに救急車を向かわせますからね。で、どうされました?大丈夫ですか?」

「えっと、さっき安定剤を飲んだら、きゅ、急に体がおかしくなって…」
     
     ・
     ・
     ・
     ・

 

 

ただ、

119番に電話したことで脳が安心したとでもいうのだろうか、

それから救急車が到着するまでの間、

僕のさっきまでの症状は何故だか少しずつ改善していき、

5分後、たまたま鍵が開けっぱなしだったドアから、救急隊員が入ってきた頃には、

僕はもう、ソファーに座れるぐらいまでに回復していて、かなり冷静さも取り戻していた。

 

2日も連続で救急車を呼んでしまった…。

 

 

「大丈夫ですか?」

部屋に入ってきた救急隊員2人は、昨夜とは違う2人だった。

 

「はい、すみません。今は、大分良くなってきました。」

 

「一体、何があったんですか?」

 

僕は、昨夜起こったことや、昨日も救急車を呼んだこと、そしてついさっき起こったことなどを、今一度詳しく隊員に伝えた。

 

「…それで、さっき安定剤を飲んで出た症状っていうのは、薬を飲んでどのくらい経ってからのものでしたか?」

 

「えっと、薬を飲んでからすぐです。」

 

「じゃあ、それは安定剤のせいではないですね。飲み薬っていうのは、服用してから少なくとも15分ぐらい経たないと効いてはこないですから…。」

 

 

・・・・!!!

 

笑いごとではなかった。

そうだ。

確かに、よく考えてみると、薬があんなに早く効くわけがないじゃないか!

じゃあ、安定剤を飲んでからのあの地獄のような苦しみは、全部僕が勝手に作り上げた「幻覚」みたいなものだったっていうのか…!?

確かに、救急隊員が到着してからも、僕はどんどん冷静さを取り戻す一方だ。

 

僕はもう、どうしようもない情けなさやら悲しさで、

自分というものが全く分からなくなっていった…。

 

 

「えっと、じゃあ、あれは幻覚だったっていうことですかね?」

 

「はい、そうですね。その可能性が高いと思います。まあでも、万が一ということもありますから、一応救急車に乗って、内科の方にでも行ってもらいましょうかね。」

 

「いや、大丈夫です。自分でも、もうよく分かりましたから。今は体も大丈夫になりましたし、救急車に乗って内科にだなんて、申し訳なさすぎます…。」

 

「でも、万が一ということもありますので、どうぞ乗ってください。」

 

 

 

そして、救急車の中、

今頃になって本当に効いてきた安定剤の効果っていうのは、とても穏やかで優しくて、

僕は冷静になった頭の中で、ようやく自分は精神的な病気なんだということをハッキリと認識し、理解した。

 

 

 

この後、家からいくらか離れた内科で降ろされた僕は、

ずっと、「申し訳ないです。」「申し訳ないです。」の繰り返しで、

とにかく、先生や看護婦さんに頭を下げてばかりいた。

もちろん、内科で何も見つかるわけもない。

 

病院を出ると、

僕は自分の現実に、もうぐしゃぐしゃになるまで泣きながら、

家までとぼとぼと歩いて帰った。

 

 

次の日から、僕は真面目に「精神科」探しを始めた。

3,4件回った結果、何故だかやっぱりどこにも良い先生と思える人はいなかったけど、

最後にはようやくひとつの病院に決めた。

別にここも良い先生だと思ったわけではないんだけど、

僕はもう早く治療に専念することを選んだのだ。

(最高に優しくて、僕の大好きな恩人「ひよこ先生」に出会うのは、これから何年も後のこと)

 

そして、その病院で僕は、

「パニック障害(不安神経症)」

という病名を告知され、投薬治療をスタートさせた。

 

 

でも、この病気は思った以上に手ごわかった。

いくら病院に通い、毎日薬を飲んでも、

今度は、外出先や、お店、電車内などでも、僕はパニック発作を多発してしまい、

その都度苦しむことになったのである。

 

しかも、正月休みが終わり、仕事を再開させると、

僕は、歌っている最中にも、たまにパニック発作を起こすようになってしまった。

 

もちろん、すぐに安定剤を飲めばいいんだろうけど、

やっぱりいい歌を歌うには、常にテンションを上げておかなければいけないという商売なので、

仕事中に安定剤を飲むっていうのはどうしてもはばかられて、

そんな時は、僕は歌を聴いてくれているお客さんに気付かれないように、死にもの狂いで発作に耐え切るということを繰り返さざるを得なかった。

 

 

しかしそんな中でも、

一番僕を悩ませていたのは、やはり、

世界一周のこと。

せっかく見つけたばかりの大きな大きな夢を前に、なんでこんなことになってしまったんだろう。

この病気が続けば、ほんとに1年後に僕は世界一周に旅立てるんだろうか?

毎日、そんなことばかり考えていた。

 

 

 

実はそんな時期のことなのである。

僕が、島田S助さんに初めて出会ったのは…。

「島田S助さんとの出会い」全4話を参照)

 

 

「S」2へ続く…。

 

 

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2010年11月22日 (月)

TV

そういえば、少しばかり前の話なんだけど、

僕が仕事をしていたら、テレビ局の取材クルーが僕に話しかけてきた。

 

「えっと、わたしたちは、『秘密のケンミンSHOW』というテレビ番組のものなんですが、

実は今、

「大阪府民は、飲み屋では必ずやしきたかじんの『東京』を歌う」

というケンミン性を取材していまして、

先ほどお兄さんのリクエスト表を見せてもらったら、『東京』もレパートリーにあったので、

よかったらこれから、お兄さんが『東京』を歌ってる姿を撮らせていただけないかと思いまして。」

 

 

なるほど、それでさっきから彼らが何度か目の前を通った時に、その中の一人が僕のリクエスト表を熱心に見てたわけか…。

そして、彼らの言い分もよく理解できる。

だって、もし僕が逆の立場だったら、そんなテーマの取材の際に、飲み屋街のストリートミュージシャンまでもが「東京」を歌っている画を撮れたら、大収穫じゃないか。

 

 

でも、僕は絶対にイヤだ。

だって、何度も言ってるように、僕は何もストリートミュージシャンとして有名になりたくてこの仕事をしているわけではなくて、ただ単に「お金」を目的に弾き語りをしているだけだから、テレビに少し映ったところで、僕には何のメリットも無いのだ。

しかも、「秘密のケンミンSHOW」っていう番組内容を考えてみると、きっと僕は、スタジオ内でも、

「ほら、大阪ではストリートミュージシャンの兄ちゃんまで『東京』を歌ってらぁ!ワハハハハ!!」

みたいな、ストリートミュージシャンなら僕以外でも誰でもいい、おちょくり目線でのVTRの使い方をされるに決まっている。
   ↑
(被害妄想。笑)

僕だってこの仕事には強いプライドがあるから、

そんな、こっちが必死に歌っているのを、みんなに笑われるようなピエロにはなりたくない。

 

 

というわけで、

僕は丁重にその依頼をお断りしたんだけど、

敵もなかなかしぶとかった。

 

「なんでダメなんでしょうか?」

「いや、僕にも色々事情がありまして…。」

「お顔が映るのが都合悪いんでしょうか?それなら、後ろから撮るなどして工夫させてもらいますし。」

「いや、そんなんじゃないんですけど、ここで撮られるのはちょっと…。」

「もし場所が分かっちゃうのが嫌だとおっしゃるなら、それも工夫させてもらいますし。」

「…えっと、他のストリートミュージシャンじゃダメなんですか?探せば、どこかにいると思いますよ。」

「いや、どうしてもお兄さんがいいんです。」

 

多分、彼らからしたら、有名になりたい・目立ちたいはずのストリートミュージシャンなのに、テレビに映りたくないっていうのがどうしても信じられないんだろう。

しかも、彼らのそういう画が撮りたいっていう気持ちも分かるだけに、僕が少し遠まわし的に断ってしまったことで、余計に説得に時間が掛かってしまった。

 

そしてこの後、結局この時は彼らも根負けしてようやく立ち去っていったんだけど、

なんと彼らは、その後20分置きぐらいに、3回も4回も僕を説得し直しに来たのである。

「どうしても、ダメですか?」って。

きっと、他に「東京」を歌うようなストリートミュージシャンが近くでは見つからなかったんだろうけど、

ここまでされると、なんかちょっと、僕が悪いことをしてるような気分になった…。(苦笑)

 

 

 

そして、

それから1週間後のこと。

 

その日、僕は、東京から遊びに来ていた友達と2人で、心斎橋の商店街を自転車で走っていた。
(良い子のみんな。商店街では、自転車は押して歩こうね☆)

すると、道の前方に、テレビカメラ一台とそのスタッフが…。

良く見ると、

なんと奇跡的に、この前と全く同じ取材クルーではないか!

 

僕がビックリして自転車を止めると、あちらも僕に気付いた。

 

「わお!この前のお兄さん!こんなところで何をされてるんですか!」

「いや、ちょっと友達と自転車でブラブラしててね。っていうか、こんなとこでまた会うなんてビックリですね!そんで、この間はなんかすみませんでした…。」

「いえいえ、こちらこそ、お忙しい中しつこくお願いしてしまって、申し訳ありませんでした。」

「いや、とんでもないです。ところで、これってまた『ケンミンSHOW』かなんかの取材ですか?」

「そうなんですよ。今日は大阪府民の『トイレットペーパー』に関するインタビューをしてましてね。」

「へえー。そうなんやー。大変ですね。」

「…というか、やっぱり今日もお兄さんにインタビューなんかしちゃダメですよね?」

「え?いや、全然オッケーっすよ!むしろ、こっちからお願いしたいぐらいの勢いです。」

「え!?ほんとにいいんですか?」

 

 

…みなさんの、

「一体、どっちやねん!お前は!」

という心のツッコミはよく分かります。(笑)

 

でも、これだけは言わせてもらうと、

何を隠そう僕は、テレビ大好きミーハー野郎なんです!!

てへ。

 

幼い時から僕は、ずっとテレビばっかりを見て育ちましたし、

実は、短い大学生活でもマスコミ学科を専攻していたほどです。

だから、

この前だって、あくまでも仕事をしている僕を撮られるのがどうしても嫌だっただけで、

今日みたいなプライベートなら、何の問題もナッシングで、

逆に嬉しいくらいなわけです。

 

しかも、友達と全国放送のテレビに映るなんて、超楽しそう☆

なあ、けんしろう(友達の名前)!

大阪に遊びに来た記念になるよな!

 

 

 

で、

撮影は始まった。

心斎橋の商店街の隅で、カメラの前で満面の笑顔で並ぶ僕とけんしろう。

そして、僕ら2人にマイクを向ける、顔の映らないインタビュアー兼スタッフ。

 

「では、始めますね。」

「はい!!」

 

まず、マイクは僕の方に向けられた。

 

「すみません。あなたは、普段トイレットペーパーは何を使っていますか?」

「え?何をって、シングルかダブルかってことですか?」

「そうです。」

「あ、それなら、ダブルですね。」

 

スタッフの顔が少しこわばる。

 

…あ、俺、答え、間違えたかも。

だって、「ケンミンSHOW」で大阪府民へのインタビューってことは、

きっと、「大阪人はケチやから、みんなトイレットペーパーはシングルを使っている」的な趣旨なんだろうから…。

(注;何も僕が「シングル=ケチ」だと思ってるわけじゃないですよ。あくまでもテレビ的な捉え方としてです。)

ああ、このままじゃ絶対にオンエアーに採用されへん…。

嘘でも、すぐに機転きかせて、「シングル」って答えればよかった…。

しかも、ずっと前に、きっこさんのブログで「時代はシングル」って日記読んでたのに…。

なんであれから素直に「シングル」使ってないねん、俺!

アホ、アホ、俺のアホー!

あー、テレビ出たいーー!!

 

 

しかし、僕の横では、

次に同じ質問を受けたけんしろうも、笑顔で元気よく、

「僕もダブルです!」

と答えている。

(↑そもそも、東京人)

 

終わった…。(笑)

 

 

この後、

スタッフから、究極の苦笑いで

「ご協力ありがとうございました…」

と言われて、その場を去った僕達は、

2人の心を代弁するかのごとく突然降り出した大雨の中、

傘も差さずに自転車で心斎橋の街をさまよい続けたのであった…。(涙)

 

完。

 

 

いやー、

テレビに出るのって、難しいね☆

 

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2010年11月23日 (火)

浪速のモーツァルト

昨日の話の前半部分で、僕は、仕事をしているところをテレビに撮られたくないというようなことを書いたけど、

そう思っているのには実は理由がある。

 

それは、僕がこの仕事を始めてほんとに間もない頃の話。

ある雑誌社の人が僕のところをたまたま通りかかって、

「今、ストリートミュージシャンの取材をしているので、お話を聞かせてもらえませんか?」

という趣旨のことを言ってきたのだ。

その頃の僕は、もちろんまだ、将来プロの歌手になりたいだとか、有名になりたいだとか、本気で思っていたし、

そもそも取材というものを受けること自体が初めての経験だったので、

喜び勇んでその取材を引き受けた。

 

そして、1時間ほど仕事を中断させて、

何もかも洗いざらい、自分のこのストリートスタイルについて熱弁をふるう僕。

雑誌社の人も、「おもしろい、おもしろい」と言って、それを熱心に聞いてくれた。

 

僕は大満足だった。

自分の仕事のこだわりを人に話すのがこんなに楽しいものだとは。

しかも、それが雑誌に載るだなんて!

これだけ興味を持ってくれてるということは、もしかしたら、何かのきっかけになるかもしれないし…。

うふふ。

 

 

でも、現実は、想像していたものとは大きく違った…。

  

楽しみにしていたその雑誌の発売日に、さっそく中を見てみると、

そこに載ってあった僕の扱いというのは、驚くほど小さいもので、

しかも、その紹介文には、ほんの一文、あの取材とは全く関係のない僕を小馬鹿にしたような言葉が書いてあっただけだったのだ…。

 

 

…悔しかった。

そして、ほんとにショックだった。

 

そりゃあ、自分たちの雑誌に何を書こうと、それはその雑誌社の勝手かもしれない。

でも、なんで、取材をお願いされた側の人間が、こんなに傷付かなきゃいけないんだろう…。

しかも、僕の大事な仕事のことで…。

 

 

その時から、僕の頭には、マスコミの取材なんていうのはそんなものだという先入観が植え付けられ、

以来、僕は、この仕事において、どんな取材をお願いされても、できるだけ断るようにしてきたというわけなのだ。
(ブログに関してはまた別の話)

 

 

 

でも、1回だけ例外があった。

それは、僕がこの仕事を始めてから4年ほどたったある日。

 

その夜も、僕が歌ってる最中に、ある雑誌のライターさんが取材をお願いしてきたんだけど、

その人はなんと、どこからか噂を聞いて、わざわざ僕を訪ねてきたというのだ。

しかも、その取材内容というのが、

キダ・タロー先生に、関西のストリートミュージシャンを評価してもらう」

というものだったのである。

 

 

…いや、あのね、

これって、関西の方にしか分かってもらえないかもしれないですが、

関西に住む人間にとって、キダ・タロー先生っていうのは、

昔から「浪花(なにわ)のモーツァルト」と呼ばれるぐらいの、

音楽の大先生なわけです。

しかも、その歯に衣着せぬトークでバラエティ番組などでも大活躍、

関西テレビ界の人気者でもあるんです。

 

 

そのキダ先生が、ストリートミュージシャンを評価…。

正直、僕も、その企画はちょっと面白そうだなと思ってしまった。

あの辛口のキダ先生が、先生にはあまり似つかわしくない「ストリートミュージシャン」なんかをどう評価するんだろう、って。

先生になら、辛口でもいいから、一度評価されてみたいかも、って。

 

 

でも、さっきも言ったように、僕には雑誌に対する強いトラウマがあるから、

いくらわざわざ僕を訪ねて来てくれたとはいえ、

いくら企画が面白そうだとはいえ、

結局は、やっぱりその時も丁重にお断りすることにした。

 

ただ、

相手も、わざわざ僕を訪ねてきたということもあって、なかなか引き下がらない。

仕方がないので、僕は、3年前の出来事を正直に話すことにした。

すると、そのライターさんは、僕の話にすごく同情を示してくれて、

「私は、是非お兄さんにということでここに来させてもらったわけで、この仕事にプライドも持っているので、最後までキチンと責任を持たせてもらいますし、そんな失礼な記事は絶対に書きません。」

と力強く言ってくれたのである。

 

うーん、でもなあ…。

 

すると、

「じゃあ、また日を改めて伺わせてもらいますので、その時までにゆっくりと考えていただけますでしょうか。」

などとも言ってくれる。

 

ああ、俺ごときに、なんでそこまでこだわるんや…。

 

 

そして、いつも強い押しにめっぽう弱い僕は、

後日もう一度このライターさんが訪ねて来てくれた時、

結局、この取材を承諾させてもらったのである。

 

たとえ、どんな辛口なことを言われようと、

キダ・タロー先生に、歌を評価してもらう機会なんて、今後絶対にないわけだし…。

 

 

 

さあさあ、そんなわけで、

いつも通り偉そうな前置きを長々としてまいりましたが、

結局、今日は一体何が言いたかったのかというと、

僕は昔、「週刊SPA!」で、キダ・タロー先生に歌を評価してもらったよ!

っていう、ただの自慢話です。

ええ、それだけです。

 

でも、これも確かに、この10数年で忘れたくない思い出のひとつなんです。

だから、たまにはこんなのも許してねheart

 

 

じゃあ、さっそくその記事の中身を写真を使って紹介!

って、いいたいところですが、

記事内には、僕の本名とか歌ってる場所が書いてあるので、

今回は、拡大できないような全体像だけ載せておきますね。

後は、僕が記事を適当に書き写します。

 

Img_6666s_3

Img_6665s_3

 

まず、記事の題名が、

「浪花のモーツァルトが斬る!大阪路上ミュージックシーン」

 

この中で、キダ先生は、色々な大阪の路上ミュージシャンをバッサバッサと斬っていくわけです。

例えば、若い3人組の男の子には、

「彼らはまさに今どきの上昇志向型。とくにアカペラがうまい。作詞作曲、歌声も絶妙やけど慢心したらアカン。そんだけ唄えるんやったら、ほかの曲ももっと練習せんかい!」

 

飲み屋街で演歌を歌う、流しのおじさんには、

「この人は過去への郷愁型。年寄りの遊びですね。メロディ、リズムがワヤでもそれはそれで味がある。ただ、もっとデカイ声で唄ってくれんと聞こえへんわ!」

 

駅前で、ディジョリドゥというアボリジニの笛を吹く若者には、

「彼は自己陶酔型。珍しい楽器持ってせっかく街頭でやるんやから、手の動きで感情込めたりしてほしいなあ。カラダに動きがないと飽きる。こんなでっかい笛持って動くのも大変やろけど(笑)」

と。

 

そして、ここからがビックリ。

僕も、初めは、どういう評価をされてるのか全く知らなかったので、

これを読んだ時、腰を抜かしそうになりました。

えっと、ここからは、ほぼ丸写ししますね。

 

『そのなか、キダ・タロー先生が思わず唸ったのがたかゆきさん(24歳)。

「ボクの店に歌を聴きに来た、という感覚で楽しんでもらえたらいい」と淡々と語る彼は、○○というさまざまな人間ドラマがくり広げられる街で、井上陽水や河島英五などの曲を情感たっぷりに歌いあげ、○○の夜を盛り上げる。

プロ志向でも趣味でやってるわけでもない。あくまでも食べるための手段として、弾き語りを選んだという。

「このコは大阪一や」と、彼の歌声が聴きたいばかりに、わざわざ足を運ぶ常連のサラリーマンも多い。

「力強い声といい、歌いあげる顔の表情といい、カネ払ってでも聴く価値はある。聴きたい奴は聴けっていう堂々とした歌いっぷりもええ。昔は、やしきたかじんも○○でケンカしながらでも堂々と廻りよったからね。やっぱり路上ミュージックたるもの、これぐらいクオリティが高くないと」

と、キダ・タロー先生は珍しく絶賛した。』

 

 

…ひ、ひ、ひえーーーーー!!!

あ、あの、キダ先生がーーーー!!!

コロッケでもほとんど褒められたことのない、

あのキダ先生がーーー!!!

とーれとーれ、ぴーちぴーち、カニ料理がーーーー!!!

 

 

おかーさーん!!

あんたの息子、

浪花のモーツァルトに褒められたでー!!

よかったなー!!

そんでなー、

「SPA!」ってエロ本ちゃうからなー!!

素晴らしい雑誌やでー!!

 

 

あー、スッキリした。

ええ、今回ほんとこれだけです。

 

 

以上、

昔々、僕の声がちゃんと出ていた頃の自慢話でした☆

 

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2010年11月25日 (木)

「S」 2

「S」 1からの続き…

 

「この間はどうもありがとう、島田S助です。たかゆきくんはほんとに歌うまいね。またゆっくり話したいから、今度ご飯でも行きましょうね。」

 

「こちらこそ、この間はありがとうございました!しかも、アドレス交換までしていただいて本当に光栄です。是非、今度ご飯をご一緒させていただきたいです。いつでもお誘いください。」

    ・
    ・
    ・
    ・

 

「夜の世界で歌ってきたたかゆきくんは、きっと色んなものを見てきたでしょうね。でも、なぜあの場所で歌ってるんですか?」

 

「これは、軽蔑されようが何をしようが、本当の事なので言わせてもらうと、あの場所で歌っている目的はほぼ『お金』です。やっぱり、夜の飲み屋街でああいったフォークソングなどを歌っていると、40代、50代のサラリーマンの方々が昔を懐かしんでお金を入れてくださるので、
実は僕は、20歳から今まで9年間あの弾き語りだけで生活してきました。

そして、始めた頃はもちろんそれなりの夢を持って歌っていたんですが、2,3年目以降はその夢も諦め、今では完全にこれは仕事だと割り切って逆に強いこだわりを持って歌っています。

でも、もちろん一生この仕事を続けていくわけにはいかないので、今年の末でキリのいい10年目ということもあり、僕も後1年でこの仕事を卒業し、その後の1年間ぐらいは自分へのご褒美として世界一周放浪の旅をして、日本に帰ってきてからまた新しい人生をスタートさせようと考えています。」

 

「世界一周いいね!きっとその20代の10年間は、誰にも真似できないかけがえのない経験でしたね!そして、男は30代になったらがむしゃらに頑張って、40代になったら少しのお金とたくさんの仲間を持っているのが一番だと思います。これから人生一緒に考えていこうね!」

 

 

 

こうして始まったS助さんとのメール交換。

S助さんはほんとにマメにメールをくださる方で、

それからというもの、結構な頻度でメールのやりとりを続けさせてもらった。

 

そしてそれは、

僕にとって、まるで夢のような日々でもあった。

 

 

だって、みなさんも考えてみてほしい。

自分の小さい頃から憧れのスーパースターとのメール交換である。

しかも、時には、家でS助さんが出演しているゴールデンタイムの番組を見て大笑いしている、まさにその時なんかにも、S助さんからメールが届いたりするのである。

生粋のテレビっ子の僕からすると、それがどれだけ現実離れした体験であることか…。

とにかく、その興奮たるや、生半可なものではなかった。

 

僕はいつも、着信音と共に携帯のサブディスプレイに「島田S助さんメール」という文字が表示される度に、

現実から一気に別世界に飛んでしまい、

普段自分が携帯メールを打つのが大の苦手だということもすっかり忘れて、全神経を集中させて夢見心地でメールを返信するのだった。

 

 

そんな中でも、

特に僕を魅了していたのが、初めにS助さんが書いてくださった、

「これから人生一緒に考えていこうね!」

という言葉。

 

あのS助さんが、俺の人生を一緒に考えてくれるのか…。

 

それからしばらくは、その言葉を思い出す度に、僕は熱に浮かされたような気持ちになった。

 

 

 

僕は、周りの友達にもとにかく自慢をした。

誇らしくて仕方がなかったのである。

世間からは認められない、こんな仕事を続けてきた俺が、こんなにすごい人と友達になったんだぞ!

って。

いや、こんな仕事を頑張って続けてきたからこそ、こんなにすごい人と友達になれたんだぞ!

って。

 

しかも、僕は勝手に運命さえも感じていた。

今までたくさん苦しんできたことは、全てここに行きつくためのものだったんじゃないだろうかと。

だって、いつもの僕なら、

「なんで俺みたいなやつなんかと、友達になろうと思ってくれたんだろう?」

って思うところも、今回ばかりは、

「これは全て運命で、出会うべくして出会ったんだ。」

などと、本気で考えていたんだから…。

 

みなさんには、

「芸能人とメル友になったぐらいで、何をそこまで大げさな。」

と笑われるかもしれないが、

僕にとって、この出会いはそれほど大きなものだったのである。

 

 

 

ただ、

それでパニック障害がすぐに良くなっていくっていうことはなかった。

仕事でも、プライベートでも、頻繁に発作は起こっていたし、

相変わらず投薬治療も続けていた。

 

でも、僕はもう決して後ろ向きではなかった。

僕の中では、

S助さんと友達になれたことで、

これからは全てがいい方向に向かっていく気がしていたし、

もしかすると、これからの人生自体が大きく変わるかも、

とさえ考え始めていたから。

  

だから、パニック障害のことも、あえて自分からS助さんには言わなかった。

 

 

 

とにかく、

そんな地に足がつかないような浮ついた日々が、しばらく続いたのである…。

 

 

「S」3につづく…。

 

 

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2010年11月26日 (金)

てっちゃん

忘れられない人がいる。

 

もう何年も前の冬の話。

僕が歌っていた場所の数十メートル先に、「ファーストキッチン」というハンバーガー屋さんがあった。

そこの営業時間は、午前4時までで、

毎日営業が終わりに近づくと、売れ残ったハンバーガーやポテトなどが、大量に店の前に生ゴミとして出されていた。

 

そしてその冬、僕が歌う場所の周りには、

その売れ残りの食糧を求めて、いつも決まって3人のホームレスのおっちゃん達が座っていた。

ゴミ収集車が回収してしまう前に食料を確保するために、

お店が見える場所でずっと待機していたのである。

 

10代のころからずっと野外で歌っている僕にとっては、ホームレスの方に対する壁は低く、

僕が、毎日顔を合わすこのおっちゃん達と仲良くなるのにも大して時間はかからなかった。

 

 

しばらくすると、

僕は、おっちゃん達から下の名前を聞き出し、3人それぞれに勝手にあだ名を付けた。

 

3人のリーダー格で、

豊かな黒ヒゲをたくわえた男前、「てっちゃん」。

背が小さくて、なんともいえない愛嬌がある、「よっちゃん」。

小太りで、一番おとなしい、「しょうちゃん」。

 

みんな、50代前半らしかったが、

日々の生活から来る、その哀愁というか、面持ちで、一様にもっと上の年齢に見えた。

 

 

でも、そんな中でも、

「てっちゃん」だけは、どこかに貫禄のようなものも併せ持っていて、

その男前さも相まってか、

もしビシッとしたスーツなんかを着て、髪の毛やヒゲを整えたなら、

どこかの一流企業の社長さんと見間違えてしまうんじゃないかというほど、不思議な風格をいつも漂わせていた。

本人いわく、昔は世界中の港を周る船乗りだったらしい。

 

なんで、この人は、ホームレスになってしまったんだろう…。

 

 

てっちゃんは、いつも何かしらの本を読んでいた。

そして、僕が仕事場に到着すると、黙って立ち上がり、

決まって、僕のお尻が冷えないように、僕が座る花壇の隅に、紙製のたまごパックをひいてくれた。

そして、その後また座って本を読むのだ。

 

 

僕は、このてっちゃんが大好きだった。

いや、

大好きというよりは、小さい頃から父親のいない僕にとって、こういう優しくて貫禄のある大人の男性というものに、少なからず憧れみたいなものがあったのかもしれない。

もちろん、ホームレスであるということは抜きにして。

 

でも、

たとえそうだとしても、こういう人に憧れがあったというのはやっぱり気持ち悪い

っていう人がいれば、どうぞ勝手に軽蔑なり笑ってくれたらいい。

僕は、常識で固められた、世の中の表の部分しか見れない人間にはなりたくない。

 

 

 

 

そして、

てっちゃんには、ちょっと頑固で変わったところもあった。

 

ある日の夜中、

ファーストキッチンの前に売れ残りの商品が捨てられると、いつものようによっちゃんとしょうちゃんは急いでそれを物色しに向かった。

しかし、2人をしり目に、

今日のてっちゃんはピクリとも動こうとしない。

 

「あれ、どうしたん?てっちゃん、行けへんの?」

「あんなパンやらイモやらばっかり毎日毎日食べてられるか。アメリカ人やあるまいし。あいつら2人はアホじゃ。」

 

僕は、その答えがすごく可笑しかった。

じゃあ、なんであんたは今日もここに来てるんや!

って。(笑)

 

けどまあ、その気持ちも少しは分かる気がしたけど…。

 

次の日、

僕は、仕事終わりに近くの吉野家で牛丼弁当を4つ買ってきて、

寒空の下、僕達は道ばたで4人並んでそれを食べた。

3人とも、

「こんなに美味しいご飯を食べたんは、何十年ぶりや!」

って言って、涙ながらに牛丼をかき込んでくれた。

そりゃ、

その光景に、通行人の好奇の目はたくさん注がれてたけど、

僕にとって、その日はすごく嬉しくて満足な夜だった。

 

 

また別の日。

仕事終わりに、僕がてっちゃんと喋ってると、

近くに座っていた酔っぱらったサラリーマンが、僕らの会話を聞いていたみたいで、

「ほう!あなた、てっちゃんっていうんですかー。」

と話しかけてきた。

すると、突然、てっちゃんが、

「お前が、わしを『てっちゃん』って呼ぶなああああ!!!」

と、そのサラリーマンに殴りかかる勢いで激昂したのである。

 

そっか、俺が気軽に「てっちゃん」って名付けて、その名前を呼んでいるのは、特別なことやったんやなあ…。

 

僕はその出来事が、少し嬉しくもあった。

 

 

 

 

でも、この3人は一応、

「いつかホームレスから抜け出すんや」

という気持ちだけは持っている3人だった。

 

例えば、ある時、てっちゃんは、

サンドイッチマンの仕事が決まった。」

と言って、それから3日ほどこの場所に現れなくなった。

それに対し、残された僕達3人は、

少し寂しいながらも、てっちゃんの卒業を純粋に喜んだ。

 

ただ、そうはいっても、

4日後には結局、てっちゃんはまたいつものようにこの場所に戻って来てしまったんだけど…。

「あんなのは、まともな人間のする仕事じゃない。」

ということらしい…。(笑)

 

 

そんなある日のこと。

通りがかりに、よれよれのチャンチャンコを着ているよっちゃんを見かけて、

「カワイイ、カワイイ!」

と突然叫びだし、

そのよっちゃんと少し話した後、

「じゃあ明日からは、ワタシがよっちゃんの仕事の世話をしてあげる!」

と約束する外国人のママさんが現れた。

 

なんだか、狐につままれたような話だけど、

それでもよっちゃんは、その話をすぐに飲み、

とりあえず今日は食事へ、ということで、近くのラーメン屋に連れていかれた。

 

気になった僕とてっちゃんが、しばらくしてからそのラーメン屋を覗きに行くと、

ガラスの向こうでは、よっちゃんが、その外国人のママさんの膝の上に乗って、ユッサユッサと揺られていた。

よっちゃんは、ただニコニコ笑っていた…。

 

僕ら2人は、なんとも言えないやるせない気持ちで、そっとその場を離れたんだけど、

もちろん、よっちゃんが決めたことに何の文句も言える立場ではなかった。

 

世の中はきっと、

きれいごとだけで動いているわけじゃない…。

 

 

そして、

次の日から、ほんとに全くよっちゃんは姿を見せなくなった。

 

さらに、数日後には、

なぜだかしょうちゃんもこの場所に来なくなり、

いつのまにかここに残ったのは、僕とてっちゃん2人だけになってしまった。

 

 

 

2人になっても、

てっちゃんは相変わらずいつも本を読んでいて、

僕が到着すると、黙ってたまごパックをひいてくれた。

 

だけど、ひとつだけ決定的に変わってしまったことがある。

 

それは、

てっちゃんが僕に小銭を乞うようになってしまったこと…。

 

具体的に、いつから、どうやってその習慣が始まったのかは、正直覚えていない。

でも、実際に、

僕が仕事を終えると、てっちゃんは僕のそばにやって来て、

「たかゆきさん、すんませんけど…。」

と、毎回小銭を乞うようになっていた。

月から木なら、100円。

金曜日だけは、500円。

確か、この金額だけは、僕が決めたものだ。

 

そして、

あの貫禄のあるてっちゃんが、いつもお金を乞う時だけは、

まるで別人のような恐縮しきった顔になるのである…。

 

 

僕は、一日の終わりのこの時間がどうしても苦手だった。

金額なんてどうでもよくて、お金が惜しかったとかは全くないんだけど、

やっぱり、てっちゃんのああいう顔は見たくなかったし、

なにより、僕とてっちゃんがいつのまにかそういう関係になってしまったことが、悔しくて、哀しかったのである。

 

 

でも、僕は、

この行為を結局最後まで断ることはできなかった…。

僕の心のずっと奥の方で、

こうやってお金を渡し続けているうちは、きっとてっちゃんもずっとここにやって来てくれるはずだ、

という淡い期待を抱いていたからである。

 

正直、てっちゃんが、もうハンバーガーを目当てにここに来ているわけじゃないことは分かっていた。

それでも、僕はこれからもてっちゃんに会いたかった。

もっと色んな話をしたかった。

それが本音だった…。

 

 

けど、それから月日が過ぎ、冬も終わりに近づくと、

理由はハッキリとは分からないが、てっちゃんも現れる回数が減っていき、

春になると、ついに全く姿を見せなくなった…。

 

僕はまた、一人に戻ったのだ。

 

 

 

 

さて、

あれからもう何年も経つが、

僕は未だに、ホームレスの方を見かけると、必ずてっちゃんを思い出し、

どこかでバッタリ会えないものかと夢想している。

 

いつかもし会えたなら、僕はちゃんと伝えたいのだ。

てっちゃんがいなくなってからの冬は、

どれだけ花壇が冷たく感じるかってことを。

 

 

元気かなあ、てっちゃん…。

 

 

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2010年11月28日 (日)

恥ずかし日記

今日は、随分昔にも一度触れた、僕が日本一周の旅をしている時につけていた古い「旅日記」の中から、少し気になった話を抜粋したいと思います。

 

この旅日記は、いつか周りの色んな人に読んでもらう前提で書いていたので、

個人日記というよりは、どちらかというと、このブログと同じく万人に向けた文章の書き方になっていて、

おそらく、みなさんにも今とあまり変わらず、違和感なく読んでいただけると思います。

 

そして今回は、

一人旅バージョン、2002年1月19日(火)~31日(木)の日記の一部を抜粋します。

僕はこの時、広島にいて、次に福岡に向かおうっていう日の夜の場面からです。

では、

別に全く大した話ではないので、お気軽にどうぞ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2002年1月19日(火) 広島

     ・
     ・
     ・
     ・

さあ、広島おわり、おわり!

福岡に向けて出発!!

 

…お気づきになったかもしれませんが、わたくし、かなり広島をはしょっています。まったくもってハショリズムでございます。

わけがあります。

まだ言ってませんでしたが、実はわたくし、福岡で木曜日のお昼に約束があるんです。それを思い出したんです。

白状します。

 

わたくし、旅前まで、友達の家で、人生初のパソコンなるものにはまっておりまして、はまってるって言っても、それはYahooのとあるチャットでして、そのチャットは何と、声でチャットが出来るという優れものでして、全国の見知らぬ人どうしが何人も集まって、まるで電話のようにおしゃべりができるというもので、それはもう楽しいひとときなんでございます。

そこで知り合った女性がございまして、その人は福岡在住の22歳の学生さんでして、一カ月ぐらい前から意気投合しておりまして、わたくしも、この旅の事を話したんでございます。

そうすることによりまして、話の流れで、わたくしが、ジョーダンっぽく

「じゃあ、1月31日の木曜日の昼の1時に、大濠公園(福岡の有名な公園)の前のミスタードーナツの中に、俺がおるから、暇やったら来てや。」

と申しますと、初めはホントにジョーダン話だったんでございますが、10分ほどお互いこのジョーダン話を続けていますと、相手方もだんだんその気になってこられて、

「私もかなり本気になってきちゃったじゃないの。完全に日時も覚えちゃったよ。」

などと申すようになり、さらに、

「けど、私が気合を入れてほんとに行ったとしても、実は、タカユキ君の方がいなかった、なんてことになるんでしょ。」

と申しますので、

「じゃあ、どっちにしろ、福岡は必ず通るから、俺は絶対におるようにするわ。1時間くらい本でも読んどくわ。だから、来ても来んでもどっちでもいいで。」

と返しますと、

「そんな風に言われたら、私も絶対行くしかないじゃなーい。もーう、じゃあ、私もその日は空けておくね。木曜の1時ね。」

なんて、答えるのでございます。

それはもう…。

ねー。

けど、ひとつ、声を大にして言いたいのは、

会ったからといって、決して、変な下心があるわけではございません。ほんとに、ほんとに。

ただ、その待ち合わせの行為自体を楽しんでるだけなのです。ほんとか、ほんとか?

 

まー、どっちだっていーじゃーん。

地球が滅びるわけでもないしさー。

あはははは。

 

そんな訳で、わたくし、福岡に急いでおります。前回も来た広島なんぞに、長居している場合ではございません。

まだ2日もあるのにと思われるかもしれませんが、わたくし、ここ2日、風呂に入っておりませんので、明日は、福岡のカプセルホテルに泊まって、ゆっくりしたいのです。

会う時には、せめて小ぎれいでいたいのです。

ダメ?

 

なんや、こいつ、本気やん。と思われた方。

その言葉、口に出さずに、そっと心にしまっておいてやってください。

彼も、根はいい奴なんです。

あんまり、いい青春時代をおくってないみたいなんです。

 

   (中略)

     ・
     ・
     ・
     ・

2002年1月30日(水) 福岡

 

午後4時には西新という場所のカプセルホテルのチェックインして、1日、ほんとにダラダラと過ごす。

夜、折りたたみ自転車で、「天神」という福岡の中心地に出て、本屋で小説を何冊か買った。

村上春樹 「ノルウェイの森 上・下」
太宰治 「斜陽」
花村萬月 「ゲルマニウムの夜」

旅中、暇な時に読もう。

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お、なんか日記らしい。

 

2002年1月31日(木) 福岡

 

いよいよ約束の日である。

朝10時にカプセルホテルをチェックアウトする。もちろん、なるべく小ぎれいな姿で。

さあ、1時まで何しよう。

 

こういう時、3時間というのはベミョーに長い時間である。

とりあえず、旅に出る前に大量にもらったリンゴを朝めしがわりにバクつき、車の中の掃除なんぞをしてみた。

 

それでも、まだ12時前。

あっ、もしかして待ち合わせって12時やったかも…。

うん、もしそうやったらあかんから、さっそくミスドに向かってしまおう!

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あー、なんて小心者で、かわいそうなおっさん(25)なんでしょう。
よしよし、お前の人生、いつかいい事があればいいね。

 

 

12時ちょうどに大濠公園前のミスタードーナツに着く。

さっきのリンゴで、まったくおなかはすいてなかったが、一応コーラとドーナツ1個を注文する。

中はそれほど混んでないので、なるべく入口が見えやすい席を選ぶ。

 

さあ、これで準備万端、シルビーバルタンや。

あとは、その子が入ってくるのを待つだけだ。

顔はだいたい覚えているし、俺の顔も分かってるはずだから。(前に一度メールで写真交換をした。)

とりあえず、昨日買った本でも読むことにする。

どれにしようかなっと。

村上春樹の「ノルウェイの森(上)」を選ぶ。

本をひらく。

 

「   第一章
 僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。その巨大な飛行機はぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、ハンブルク空港に着陸しようとしているところだった。十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め、・・・・・・・・・ 」

 

うんうん、なるほどねっと。

あっれー、おかしいなあ。

全然、本の内容が頭に入ってこないやー。

何か他の事に気がいって、集中できないみたい。

 

なっ、ほんっまに小さい男やろっ。

 

 

12時30分。

やっぱり、待ち合わせ時間が12時かもっていうのは、俺のカンちがいだったみたい。

そりゃ、そうだよねー。確かに1時って言ってたもんねー。(言ってたんかい!)

こらっ、フライングだぞっ、たかゆき。ぺロッ。(舌を横に出す音)

 

 

1時ジャスト。

さあ、そろそろ来るぞー。

 

…あれっ。

 

 

1時30分。

ちょっと遅れたのかな。

 

…することなくなってきたや。

 

 

2時。

泣いていい?

 

 

ハイッ、みなさんの予想通り、舞い上がってたのは、僕だけでした。

はいはい、分かってましたよーだ。

1週間も前のパソコン内での不確かな約束をしっかりと覚えて、実行しようとしてんのなんて、宇宙で、俺たった一人だけですよ、どーせ。

1日前から、福岡入りなんてしちゃってさ。必死じゃん。妙に想像ふくらましたりなんかしちゃってさ。くるってるじゃん。ダサイよねー。

 

もう1回だけ…、

泣いていい?

 

 

あー、もうこの話はおわり、おわりっ。

とにかく、俺は今、福岡におるんや。

お金もないし、金、土だけでも中州で弾き語りやっていこうかな。

そうしよーっと。

ランランラン。

 

  (中略)
    ・
    ・
    ・
    ・

 

なんにしろ、今日は、こんな所では寝れないわ。

脱出しましょ。

どっか、大きい24時間営業の店の無料駐車場にとめて寝ようっと。

 

とりあえず国道3号線まで車を出し、国道沿いを走ってみる。

何分か走ってると、24時間営業のインターネットカフェを見つけた。

ここの駐車場なら大丈夫そうだ。

車をとめる。

せっかくやから、ちょっとパソコンでもするか。

ということで、インターネットカフェを本当に利用することに。

あ、そうや、今日、待ち合わせに来んかった子のホームページ見てみよう。

そのホームページには、日記というコンテンツがあった。

もう夜中なので、今日の出来事が更新されていた。

きっと今日は、何か特別な事情があったんだろう。

とにかく読んでみる。

 

「 1月31日(木)

今日も何にもない日。1日ボーッとすごす。

あーあ、なにか刺激的なことないかなー。 」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・しつこいようやけど、これで最後にするから、寝る前にもう1回だけ、

泣いていい?

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

今回、僕がなぜこの話をわざわざチョイスしたのかは、

はっきり言って自分でも謎です。

 

ただ、ひとつだけ言えるのは、

色んな意味で、僕は何にも変わってないなあ

ってこと。(笑)

 

 

おわり。

 

 

P.S.

えっとね、

みなさんの温かい応援のおかげで、新しくこのブログを読んでくださる人が増えた影響か、

はたまた、ここ数日、ちょっとミーハーな自慢話のようなものを連続で更新していたからか、

最近また、

実際に僕の歌を聴きに行ってみたいので、歌っている場所を教えてほしい

という内容のメールをちらほら頂くようになってしまいました。

 

生意気なようで恐縮ですが、そういう方には、是非一度、僕が4年前にここで書いた

「繊細なお願い」

という文章を読んでいただけると助かります。

 

もちろん、お気持ちは十分に分かりますし、それは実際は本当にありがたいお申し出です。

だって、このブログを読んで僕に強く興味を持ってくれたからこそ、そうやってわざわざ現実に足を運んでくださろうとしているわけですもんね。

 

でも、実情はあの記事に書いた内容通りということもありまして、

どうか、その「歌を聴きたい」というありがたいお気持ちだけ受け取らせて頂くということでご勘弁ください。

 

加えて、これは少し前に書かせてもらっていたことですが、

実は、僕は未だに声があまり出ていない状態で仕事を続けています。

でも、このブログと同じで、丸13年続けてきた仕事をちゃんと完結させようと、自分なりに試行錯誤しながらなんとか頑張っているという状況なんです。

ですので、上の理由に加え、今はますますブログを読んでいるみなさんに自信を持って歌をお聞かせできる声の状態ではありませんので、

そこの部分も、どうかご理解いただきたいです。

 

現役のストリートミュージシャンが、それを題材にしたブログを書いていているくせに、歌は聴きに来てほしくない、

というのは、かなり自分勝手な事だと思われる人もいるかもしれませんが、

僕の場合、一口にストリートミュージシャンとはいっても、あくまでもそれはれっきとした仕事ですので、

いくらこれが仕事の事を中心に描いたブログだとしても、実際の「仕事」と「ブログ」はどうか切り分けて考えさせてください。

 

というわけで、元々ここで出会った方々には、

これからも、いちブロガーとしての「たかゆき」を応援して頂ければ幸いです。

 

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2010年11月30日 (火)

「S」 3

「S」2からの続き…

 

さて、S助さんの50歳の誕生日が近づいた3月のある日、

S助さんから、今日から丸々1週間仕事を休んで石垣島に行ってくるというメールが来た。

なんでも、石垣島で1週間羽を伸ばした後、最終日に仲間内に誕生日のパーティーを開いてもらうらしいのだ。

 

それを読んだ時、正直僕もその仲間内にいつか入れて欲しいなあなんて思ってしまったけど、

それでも、S助さんは、それから数日おきに石垣島からもメールや写メールを送ってくれた。

 

 

ただ、誕生日前日の夜、

S助さんから届いた一通のメールで、事態が急変したことを知る。

そこにはなんと、

今さっき、S助さんの元相方、R介さんが危篤状態になられたので、翌朝一番の飛行機で大急ぎで大阪に戻る

という内容が書かれていたのである…。

 

僕は心底驚いて、しばらく言葉を失った。

そして、もちろんR介さんの容体も心配したが、

失礼ながらそれほど現在のR介さんを知っているわけでもなかったので、それ以上に、僕としては今のS助さんの気持ちの方が心配になった。

だって、わざわざ石垣島まで行った誕生日の前日の夜に、大事な大事な元相方さんが危篤になられたのである。

とても楽しい時間から、突如として深い悲しみへと、あまりにも気持ちの落差が激しすぎるではないか。

 

この後、僕は、なるべくS助さんの負担にならないようにと慎重に言葉を選んでメールを返信した。

でも、S助さんはこんな時でもすぐに、「心配ありがとう」とまたメールを返してくれ、

さらに、日付が変わって、少しだけ誕生日のことに触れたメールを送ると、

「来年は、俺の誕生会たかゆきくんが歌いに来てな。」

と、僕にまで気を使ってくださった。

僕はもう、色んな感情で胸がいっぱいになった。

 

なんで、こんなに辛い時に、ただの一般人の僕なんかに気を使ってくれるんだろう。

というか、そもそも、なんであんなに大事な事を、すぐに僕に知らせてくれたんだろう。

僕はもう、そこまでS助さんに信頼されているんだろうか。

神様、

どうか、R介さんの容体が奇跡的に回復しますように。

S助さんが、深い深い悲しみの底に沈みませんように。

 

 

 

そして、それから一週間が経った4月1日。

残念ながら、R介さんは天国に旅立たれた。

その日のS助さんのメール。

「いっぱい泣いたけど、今から頑張って『オールスター感謝祭』の収録に行ってきます。」

その生放送でも、S助さんは、悲しみを微塵も感じさせないいつも通りキレのある司会であの巨大番組を盛り上げていた。

やっぱり、島田S助さんは、とんでもないTVスターだった。

 

 

 

 

そして、あっというまに日々は過ぎ、夏が近づいてきた。

この頃の僕は、相変わらず時折起こるパニックの恐怖に耐えながらも、なんとか仕事に向かい、少しずつ世界一周のためのお金を貯めようとしていた。

でも、人通りの少ない新しい場所での弾き語りは、初めこそ気合で何とかカバーしていたが、(←「孤独とパニック」の冒頭部分参照)

今となっては、やっぱりパニックや度重なる小さなトラブルもあって、儲け自体は少しずつ減っていき、

その貯金額というのも当初予定していたものには程遠く、それはとてもじゃないけど年末までに世界一周の資金が貯まるようなペースではなかった。

 

あー、俺は、いつになったらお金が貯まって、この仕事から卒業&世界一周に出発できるんやろ…。

もしかして、このパニック障害がずっと治らずに、結局俺は一生世界一周にも旅立たれへんのかな…。

いや、それでもやっぱり諦めたくないなあ。

そうしたら、人生の大きな目標を失ってしまいそうやもん…。

 

 

そんなある日。

S助さんから来た

「俺は昔から、いつか客にフォークソングを聞かせるようなバーをやりたいと思ってるんやけど、たかゆきくんはどう思いますか?」

というメールから、

僕の物語は大きく動き出すことになる…。

 

 

「S」4につづく…。

 

 

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