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2009年9月12日 (土)

fast car

みなさんには今までの人生の中で、忘れられない思い出の曲ってありますか?

僕にはありません。

おわり。

 

あ、違う。(笑)

 

えっと、実は僕にはそんな曲がいくつかあって、

今日はその中の1曲を紹介したいと思います。

せっかくだから、その曲と出会ったいきさつから説明したいんですが、

またいつものように無駄に長くなってしまうかもしれないので、

その点はもうこのブログの宿命だと最初から諦めておいてください。(笑)

 

 

 

 

2002年7月。

僕(当時25歳)は日本一周一人旅中で、

宮城、岩手、青森と太平洋側を北上した末に、

ついに北の果て、北海道にたどり着いていた。

大阪を出発してから半年以上、

鹿児島から北海道まで、

それはほんとに孤独な旅だった…。

 

 

この旅については3年前にも一度このブログで触れてるので、

まずは説明がてらそこから文章を転用します。

 

「僕が23歳の頃、大阪でのこの生活がすべてになり、当時僕の影響で同じ仕事を始めた親友の良元優作と共に日本一周の旅に出た。

Photo

このポンコツ軽バンで、寝泊りして、旅の費用は各地の飲み屋街で稼いでいくというもの。

各地でいろんなものを見、いろんな人に出会い、大阪での生活やこの仕事をいったんリセットしてしまおうという想いの旅だった。

二人はその時たぶん、現実から逃避したかったのだ。

だから長く旅に出ようと思っていた。

具体的にいうと、僕は「」単位になると考えていた。
ゆっくりとこれからのことを考えていく旅だと。

だから、大阪でいろんな事をギセイにして捨ててきた。
そうしないと、長く旅に出るケジメがつかないと思ったからだ。

けど、旅はたった3ヶ月であっけなく終わってしまった…。

僕が、途中で病気にかかってしまったからだ。

大阪に戻って手術しなければならなくなり、一旦、旅を中断させた。
はじめは、病気が治ればすぐに旅を再開させようと思っていたが、思ったより重い病気で、半年ほど家で療養しなければいけなくなり、その間に、二人とも周りの状況や、各々の考えが変わってきてしまったのだ。

結局、優作はもう旅には出ず、大阪で精力的に音楽活動を続けることになり、僕はといえば何事もなかったように、いつものお仕事“弾き語り”に戻っていったのだった。

なんだかなー。
優作にとっては、ちゃんと音楽がんばっていこうと決めれたわけやから旅が終わってよかったけれど、僕はなんなんやろう。結局、元のさやに戻っただけだ。
それも、旅を中断させてしまったという心残りを強く強く残したまま…。

その後も、僕はずっと、旅の不完全燃焼に執着しまくっていた
この旅をちゃんと完結させなければと。

そして、なんだかんだで2年後の2002年。

僕は一大決心をした。
やっぱり、今度は一人でもいいから、もう一回旅をやり直そうということで、またあのポンコツ車に乗ってひとりぼっちで旅を再開させたのだ。」

 

 

とにかく、そうして始まった一人旅だった。

 

ただ、二人旅の時もそうなのだが、この旅は一つの矛盾を含んでいた。

それは、

そもそも“お仕事弾き語り”を一旦リセットしようという目的の旅なのに、

旅の費用や大阪に残してきた部屋の家賃などを、結局各地での“お仕事弾き語り”で稼がなくてはならなかったというところ。

 

当時、僕は大阪での生活やこの仕事にほんとに嫌気がさしていて、

この旅では、何かこれからの人生の礎(いしずえ)となる新しい価値観や新しいものを見つけたいという強い願いを持っていた。

つまり人生を考え直したかったのだ。

それなのに僕は、大阪から遠く離れたここ北海道でも、

到着してから3週間ぐらいは結局資金稼ぎのために、札幌「ススキノ」(北海道最大の歓楽街)で夜な夜な“お仕事弾き語り”を繰り返していたのである。

 

あーあ、これじゃ大阪にいた時とやってることほとんど変わりないなあ。

一体これって何の旅なんやろう…。

 

自分で招いた状況とはいえ、

僕はこの旅の間中、常にどこかでそういうジレンマを感じていた。

 

 

 

それからなにより、この旅は孤独との戦いでもあった。 

前回の旅は、優作も一緒だったからいろんな感情を共有することができて、孤独なんて入り込む余地も無いぐらいただひたすらに楽しかったけど、

今回の旅の場合はその反動もあり、半年間も全く知らない土地土地を一人っきりで行動してきたから、

(もちろん楽しいこともたくさんあったけど)やっぱりやり場のない寂しさを感じることが多かったのである。

 

 

しかし、

そんな僕の孤独を少なからず癒してくれた存在もある。

それが、初めの写真にあったあの「車」である。

 

この車は、一回目の旅の時に優作がどこかから格安で譲ってきてもらった元々商用のミッション車なんだけど、

乗り古してあったので、かなりクセのあるポンコツ軽バンだった。

しかも、

実は僕が免許を取ったのは、なんとこの一回目の出発のたった2日前のことだったので、

この車が僕にとっての初めての車ということになってしまい、

最初のうちは教習車とは全く違うその独特の乗り難しさに随分苦戦したのを覚えている。

(免許取って2日後に日本一周を始める根性もある意味すごい。苦笑)

 

それでも、「ジュニア」と名付けたこのオンボロ車は、

それからというもの、一回目の旅、大阪での生活、二回目の旅と、

結局何年にも渡りずっと僕と行動を共にして、日本中色んな場所を駆け回り、

いつしかかけがえのない僕の相棒となっていったのである。

 

そして、

このジュニアには、移動手段という他に、宿泊施設という顔もあった。

だって、旅中はいつも後部座席を倒しそこに布団を敷いて寝泊りしていたから。

布団の他にも、簡単な洋服ダンスや、折りたたみ自転車、ギターや機材など、

とにかくジュニア全体が自分の家みたいな役割をしていたのである。

だから日本中どこの駐車場にいても、買い物やトイレなどから戻った時に、ポツンと一台だけ「なにわ」ナンバーで僕の帰りを待つジュニアを見ると、

少しだけでも心がホッと癒されたのである。

 

 

 

さて、話は戻って北海道。

2002年7月、ある日の夜中3時頃。

 

この日も僕はススキノで仕事を終え、北海道でのいつもの寝床である、道の駅「マオイの丘公園」に向かってジュニアを走らせていた。

ススキノからマオイの丘公園までは車で約40分ぐらい。

普段なら、弾き語りで疲れ切った体と心をクールダウンさせるにはちょうどいいくらいの距離だ。

しかし大阪を出発して半年、北海道に上陸してからもすでに2週間近く、

このころになると僕のジレンマはもう最高潮に達しようとしていて、

いつもの道の駅までの道のりもやたら長く感じられるようになっていた…。

 

ああ、今日も疲れたなあ。

けど、こんなとこまで来て、なんでまだ毎日のように弾き語りせなアカンねんやろ。

一体俺の目的は何や?

何のための日本一周や?

もう半年経つけど、

この旅で俺は何か見つけることができたんか?

新しい自分に生まれ変われたんか?

そもそも旅って何や?

ほんとは純粋に楽しめばいいだけちゃうんか?

俺は難しく考えすぎなんちゃうか?

あーあ、

全部よう分からんわ。

とにかく、今日は早く寝床に帰りたい。

全部忘れて早く眠りたい。

 

 

 

車は札幌市街を抜けて、やがて国道274号線へ。

しばらく走ると、いつのまにか周りには何の建物も無くなってしまう。

後はマオイの丘公園まで、北海道特有の果てしない一本道をまっすぐに進むだけだ。

S_006_3

(これは夕方の写真)

 

この時間帯(深夜)になると対向車もおらず街灯も無いので、

僕の視界にはもう、一面に広がる夜空とヘッドライトに照らされた真っ黒なアスファルトしか映っていない。

ある意味、壮大で神秘的な景色だ。

 

しかしこういう景色の中にしばらくいると、

今度はふと、いつもの孤独感が顔を出してしまう。

僕は今や手慣れた動作でジュニアのギアを上げ、それを振り払うかのようにアクセルを踏み込む。

ジュニアも精一杯それに応えて、闇の中唸るようにスピードを上げていく。

「早く帰ろう、ジュニア。」

 

 

道の駅まであと15分。

ここで僕は、気分を変えるためにも軽い気持ちでカーラジオのスイッチを入れた。

流れてきたのは、矢井田瞳(ヤイコ)の「オールナイトニッポン」。

僕はアクセルを踏み込んだまま何気なくそれを聴いていると、

どうやらCMの後にヤイコがスタジオで生ライブをするらしい。

へえ。

特にヤイコ自身に興味があったわけじゃないが、「生ライブ」という響きにはすこし興味が沸いた。

そして、

CMが明けて、流れてきたのがこの曲だったのである…。

 

(注;携帯からは聞けません)

 

 

「fast car」

作詞・作曲:Tracy Chapman  日本語訳:矢井田瞳

 

You got a fast car

此処よりも遠くへ

二人で行くの

何処へ着いても此処よりはいい

失うものはない

あなたがそこにいればいい

失うとしても

きっと二人ならなんとでもなる

 

You got a fast car

此処から出てゆきたい

お金ならいくらかあるわ

少しくらいなら食べられそう

行き先は選ばない

エゴもなければ利己もない

そんな土地で仕事を手に

見つけたいの 生きてく意味を

 

You got a fast car

あの空までなら飛べるかな

旅立つのかそれとも

ここで死ぬのか決めましょう

 

この車なら行ける

行きましょうよ

酔えるくらいのスピードがいい

広がる一面夜景と

包む腕が優しかった

あー私はあなたのもの

あー生まれ変われそうなの

Be someone ,be someone…

 

(一部抜粋)

 

 

 

この曲を最後まで聴き終えた僕は、

心が震えて、涙が止まらなくなっていた。

目の前の景色やタイミング、その時の心境などがあまりにも曲とリンクしていたから…。

まるで、今この曲に出会ったのが運命じゃないかと思うほどに…。

 

もちろん、全てが僕の状況を表していたわけではない。

そんなことは分かっている。

けどその時の僕には、ほんとに様々な事が頭を巡り、

まるでヤイコがジュニアの助手席に座って、一言一言僕だけに語りかけているようにすら思えたのである。

知らない曲を聴いてこんなに世界に入り込んだのは初めてのことだ。

何なんだろう、この感覚は。

 

うまくは言えないが僕は、この曲に

全てを「許された」気がしたのだ…。

 

それは、

僕にとって、そしてこの旅にとって、ほんとに大きな意味を持つことだった。

 

 

 

次の日、僕は急いで札幌市内のCDショップに向かい、この曲について詳しく調べた。

 

それによると、この「fast car」という曲は、

元は1988年に発表されたトレイシー・チャップマンという有名黒人女性シンガーの代表曲で、

それを今回矢井田瞳が自身の日本語訳でカバーしたもので、

数日後に発売予定のnewシングル「アンダンテ」のB面にカップリングされているとのこと。

 

当時僕は、恥ずかしながらトレイシー・チャップマンという存在を知らず、

ラジオでは、完全に矢井田瞳のオリジナル曲だと思い込んでこの「fast car」を聴いてしまったので、

この日はなんとなくオリジナルの方のCDを買う気にはなれず、

やっぱり数日待ってヤイコのシングルの方を購入することにした。

 

アンダンテ Music アンダンテ

アーティスト:矢井田瞳
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2002/07/10
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 

 

 

そして数日後、CDを手に入れた僕は、

この後結局北海道をぐるりと一周して旅が終わるまでの約1ヶ月間、

まるでエンドレスリピートのようにこの「fast car」をジュニアの中で流し続け、

いつのまにかこの曲は、僕の旅を象徴するテーマソングのようなものになっていったのである。

 

 

 

と、

これが、僕と僕の大切な曲「fast car」との出会いの話。

 

あれから7年。

今でも僕はことあるごとにこの曲を聴き続けている。

ジュニアは廃車になってもういないけど、

ドライブする時なんかは必ずといっていいほど。

 

果てしなく続くあの一本道。

一面に広がる夜空。

若き日の苦悩。

熱い想いをたぎらせた青春の日々。

ジュニアとの生活。

様々な出会い。

別れ。

 

そういったものたちを、この「fast car」は瞬時に思い出させてくれるから。

今となっては全てが僕の財産だ。

 

 

 

 

 

2009年9月12日。

32歳になった僕は、今日も部屋で一人この曲を聴いている。

そして、

毎日うつと闘いながらも、今度は世界一周を夢見ているのだという。

25歳の君はそんな今の僕を見て、何を思うんだろう。

「何も変わってないな」と笑うんだろうか。

 

 

 

P.S.

案の定長くなっちゃいましたね。(苦笑)

けどこの「fast car」は僕にとってほんとに大切な曲で、

どうしてもサラリとは紹介したくなかったので、しょうがないです。

あ、もちろん、オリジナルの方もめっちゃいい曲ですよ。

けどもし僕と同じようにこのヤイコの方の曲に興味を持たれた方がいらしたら、

これはどのアルバムにも収録されてない曲なんで、シングルの「アンダンテ」を探してみてくださいね。

とにかく、

この文章を読んで、この曲を聴いて、

一人でも多くの方にあの時の僕の気持ちを共有してもらえたら嬉しいです。

 

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