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2007年10月 4日 (木)

SUPER STAR

前回お話ししたトラブルというのは、あれから少しだけ進展があっただけでまだ実際は何も終息はしていませんが、今日は何だか少しだけ気持ちが落ち着いているので、こういうすき間を見計らって、ここぞとばかりにブログを更新していきたいと思います。

もうね、ぶっちゃけ今はね、内容が面白かろうが面白くなかろうが、暗かろうが明るかろうが、とにかくこのブログを少しでもに進めたいんです。

完全復活や、事態の終息なんて、やっぱり待ってられません。

だって、何度も言ってきたことかもしれないけど、今のままのこんなペースじゃ、新しい「旅立ち」のその時までに、書きたいことを全部書き切って、この青春の記録を最後まで完成させることが出来るかどうかが分からないんだもん。

だからオイラ、頑張れる時にちょっとだけ頑張る!

だからみなさんも、ちょっとだけでも応援してくれると嬉しいです。

さて、

最近気付いたんですけど、このブログいつのまにか知らぬうちに1周年とっくに過ぎちゃってるじゃないですか!

あちゃー…。

可愛い息子の記念すべき1歳の誕生日を、お父さんすっかり忘れてしまってたよ…。

すまん、レインボー君(1歳、オス)。

こうなったら、もうお父さんを踏み台にして、わんぱくでもいい、たくましく育ってくれ。

(まあけど、実際は、途中やたら長いお休みとかをはさみつつだったから、実質は1年もやっていないに等しいんですけどね…。)

とにかく、

今日はせかっくの(二ヶ月以上遅れの)「ノーレイン ノーレンボー」1周年記念ということで、今までまだ話していなかった、「どういういきさつで僕はこの仕事を始めることになったのか」という話を、「始まりの物語」と題して、今回から不定期に連載していきたいと思います。

別にはっきりとした形の続きものでもありませんし、完全なる不定期連載ということで、途中で全く別の話にすり替わったり、もしくはすり替わらなかったり、オレがお前でお前がオレでみたいなことになっちゃうかもしれませんが、まあみなさんもどうか軽い気持ちでお付き合いください。

ちなみに、最初にも言ったように、内容については全くもって保障しません…。

ほぼ、自己満足です。

ほら、よく、ごく平凡なおじいちゃんが、自分の半生を書き綴って、それを自費出版で本にしちゃうみたいな話を聞くじゃないですか。

完全にあんなノリです。(笑)

というわけで(どういうわけで?)、

そんな「始まりの物語」のはじまりです。

僕がそもそも音楽というものに出会い、初めて興味を持ったのは、さかのぼること20年、小学校4年生の夏のことである。

(え!?ホントにそんなところまでさかのぼって書くの?大丈夫か、たかゆき!)

ある土曜日の夜、僕は母と何気なくテレビを見ていた。

流れていたは、「親子ゲーム」という名のその夏から始まったTBSの新ドラマ。

内容は、東京の下町のラーメン屋を営む元ヤンキーカップルがひょんなことから、父親に捨てられた10歳くらいの男の子を預かることになり、その後様々な騒動が巻き起こるっていう、用はドタバタヒューマンドラマなんだけど、

僕はものの数分で、見事にこのドラマに魅了された…。

もちろん、出てくる男の子がその時の僕と同年代だったので、彼に感情移入していったというのもあるが、それ以上に、そのラーメン屋の若大将を演じる30歳ちかくのドラマの主人公の男性の存在が、僕には気になって気になって仕方なかったのだ。

セリフなんだか本気なんだか分からなくなるような独特な演技に、時折のぞかせる暗い影、そしてユーモア。

それに、キレた演技の時に見せる本物の危うさ。

当時10歳でいろんなものに好奇心旺盛の僕にとって、そんな彼が憧れの格好いい大人像に見えるのはやはり必然であったのかもしれない。

「お母さん、この人って誰?」

「ああ、この人、ナガブチツヨシとかいう歌手やんか。」

「歌手?」

「あんた知らんか?『お~、順子♪』とかゆって、歌ってた人やん。」

「知らん。
けど、何で歌手がドラマに出てるの?」

「そういえば、最近この人たまにドラマ出てはるなあ。」

「ふ~ん…。」

歌手かー…。

しかし当時、「歌手」というのが、松田聖子やマッチやチェッカーズなどのことでしかなかった僕にとっては、このナガブチツヨシが普段そんな歌を歌ってるような人には見えなかったし、どうしても想像すらできなかった。

とにかくそれでも、「ナガブチツヨシは歌手」という重大情報を得れた僕は、それからより注意深くドラマに見入った。

(しかしまあ、このドラマ、ほんとに面白かったんです。
当時のドラマって全般的にすごく面白いものが多いんだけど、その中でも僕にとってこのドラマだけはほんと特別。
ワクワクドキドキ、キュンキュン、もう止まりません。
けど残念なことに、長渕本人の意向からか、いまだビデオ化もDVD化もされておらず、今みなさんがもう一度見る手段は無いようです…。泣)

そうこうするうちに、その日の「親子ゲーム」はあっというまにエンディングを向かえてしまい、ドラマの主題歌が流れ出す。

・・・・裏街の片隅で くの字にぶったおれちまった
   ドラム缶の油の臭い 目が覚めれば明日を夢見た

       ~~中略~~
         
   I 'm a Super Star . I 'm a Super Star
   誰もが みんな かみしめている
   I 'm a Super Star . I 'm a Super Star
   熱いくちびる かみしめている

そう。

この曲がテレビから流れてきた時こそが、僕が初めて音楽というものにまともに出会った瞬間なのである。

この時僕は、ほんとに稲妻で脳天を撃ち抜かれた気分だった…。

多分、まだ10歳そこいらだから、歌詞とかがどうこういう問題じゃないと思う。

音楽というものに対して全く無知な、いわばスポンジ状態の僕にとって、この初めて耳にする新しい音楽が、すべて「感覚」として体に入り込んできたのである。

わー、これが音楽っちゅうもんなんや!

カッコいい!!

カッコよすぎる!!!

マッチとか聖子ちゃんと全然違うやんか。

興奮を抑えきれない僕は、母に尋ねた。

「なあ、お母さん、お母さん!
じゃあ、この歌も、ナガブチツヨシが歌ってんの?」

「ああ、そうみたいやね。」

こうして、この長渕剛の「SUPER STAR」という曲が、今の僕につながるすべてのきっかけになり、この日から、長渕剛はほんとに僕のスーパースターになっていったのだ。(←別にうまくない)

それからというもの、ドラマ自体ももちろん楽しみなんだけど、とにかく「SUPER STAR」が聞きたくて聞きたくて、毎週、1週間という期間がやたらと長く感じられたのを覚えている。

そして待望の土曜日になると、あまりにも嬉しくなった僕は、ドラマのオープニングとエンディングに2回流れる「SUPER STAR」に合わせて、テレビの前で一人馬鹿みたいに踊り狂うのだった…。

「親子ゲーム」が最終回を迎えた後、完全に音楽に飢え始めたスポンジたかゆきは、今思えばここで他のいろんな音楽にも目を向ければよかったのに、ひとつのことに凝る性格も手伝って、もう長渕剛しか目に入らなくなってしまっていた。

スカスカだったスポンジは、みるみるうちに長渕剛のみによって膨らんでいき、やがてカチンコチンになり、いつしか僕は長渕モンスターに成長してしまったのである。(笑)

こうなってしまうと、もう誰も僕を止められない。

結局僕は、この頃から19歳くらいになるまでずっと、みなさんがドン引きするほどの勢いで長渕剛だけを敬愛し続けた。

今までリリースしたすべての曲を歌詞を含め全部丸暗記したり、自分の部屋には天井を含め壁紙が見えなくなるぐらいまでにビッシリと何枚もの長渕ポスターを貼りめぐらしていたり、ライブは大阪公演が2回あれば必ず2日連続で行ったり、日本全国自分以外の人間も口に出さないだけで全員ほんとは長渕好きだと勘違いしていたり、他のアーティストの曲で少しでも長渕に似ている曲があると絶対長渕の曲からパクったと信じ込んだり、当時どうしてもいいコンポが欲しかったんだけどそれは長渕の曲を少しでもいい音で聴きたかったからという理由だけだったり、将来息子ができたら絶対「剛」って名付けようと決めていたり、などなど他にもまだまだ。

はい、そこ!
気持ちはよく分かるけど、ほんとにドン引きしない!(笑)
(あぁ、やっぱりぶっちゃけすぎたかなあ…泣)

肝心のギターは中学3年生の時に始めたんだけど、その時のことはまた次回に書くとして、とにかく、見てもらったら分かるように、10代の僕はかなり痛い(笑)ほどの長渕教信者だったわけである。

しかし、さすがに18,9歳にもなると、否が応でも長渕以外の音楽も洋楽邦楽問わず頻繁に耳に入ってくるようになる。

その時僕は初めて困惑した。

あれ?

なんかおかしい…。

この音楽も素敵やし、あの音楽もカッコいいぞ…。

・・・・・・・・・・。

ていうか、世の中にはこんなに素晴らしい音楽がまだまだたくさん存在するんやなあ…。

あれ?

ていうことは、もしかして今まで俺はそんなことも知らずにずっと過ごしてきたんか!?

・・・・・・・・・・。

ああ、

なんてもったいない!!

どうやら、僕はあまりにも一人の人間にのめり込みすぎて、今までずっと無意識的に周りのすべての音楽から耳をふさいでいたようだ…。

そういうことに気付いた時、僕はさすがに強いカルチャーショックを受けたが、もう今さらどうしようもない。

だからというかなんというか、この頃僕は、異常なまでに無作為にありとあらゆる音楽を聴き漁った。

もう、楽しむというよりは半分以上意地である。(笑)

今まで10年近くの分を取り戻すんや、っていう感じで。

それに、だからといって長渕剛が嫌いになったとかいうわけじゃないんだが、どうしても、僕が勝手に作り勝手にかかっていた「長渕教のマインドコントロール」というものからも抜け出したかったのである。
(長渕ファンの方、変な表現ですみません…。苦笑)

そうして月日は流れ、マインドコントロールから完全に抜け出した僕は、意地や義務感で音楽を聴くなんてこともいつのまにかなくなり、ようやく一般的なごく普通の音楽リスナーになっていった。

もちろん、今でも昔を懐かしんで当時の長渕のCDを聞いたりライブビデオを観ることがたまーにあるにはあるが、最近の長渕についてはもうみなさんとまったく同じようなレベルの知識しかなく、ほとんど詳しくは知らない。

つまり、これまたみなさんと同じく、僕も今となっては、体を鍛えすぎた長渕と清原の区別がつかないほどなのである。

今たとえ清原が5万人の前でライブをしても多分気付かずに「つよしコール」を送るし、京セラドームのバッターボックスに長渕が立ってても「番長、かっとばせー」と応援してしまうくらいに…。
(長渕ファンの方、何度も猛烈に申し訳ございません。笑)

後、交友関係が広がり女性にもムンムンに興味を持ちはじめた18,9歳の僕が当時気付いたのは、「長渕ファン」というレッテルがあまり周り(特に女性)に対しての得点アップにはつながらないということ。

むしろ、得点大幅ダウンで、ちょっと残念な感じで受け取られることすら…。

「ああ、あなたは長渕ファンかあ、なるほどー、そっち系ね…。(失笑)」みたいな。(笑)

この感覚は、分からない人もたくさんいると思うが、分かる人には分かってもらえると思う。

さらに、なんか、当時長渕はいろんな激しい言動があったり、大麻で捕まったりと、世間にあまりいいイメージがなかったから、「長渕ファン」=「むさくるしくて、ちょっと恐い」なんていう嫌な風潮もできていて、なんていうのかなあ、とにかく僕らの世代には、「尾崎ファン」くらいならまだぎりぎりセーフなんだけど、「長渕ファン」っていうのはちょっと…、っていう人が多かったのである。

そんなわけで、当時自分が「長渕オタク」だったことがバレるのがどうしても嫌だった僕は、ごく一部の友達を除いて新しく出会った人ほとんどに対しては、ずっとその事実をひたすら隠し続け、音楽の話になった時なんかも、まだ聴き始めたばっかりの覚えたての知識でいつもなんとかお茶を濁していた。

まあそれでも、そんなのは昔の話で、今だったら笑い話にでもしてしまえばいいんだろうけども、何故か今でも僕は、昔からのトラウマからか、新しい友達にはなかなか長渕教祖の事を言い出せずにいる。

例えば、意中の女性が初めて僕の家に遊びに来ていい雰囲気になってきた時に、ふいに彼女が部屋に置いてあるマルシアちゃんらのギターを見たとしよう。

「そういえば、たかゆき君って、何がきっかけでギターを始めたの?」

「あ、ああ、その話ね…。
えーっと、いやあね、初期のトム・ウェイツみたいにさあ、ギター1本で弾き語りがしたいなあと思ってね。はは…。」

「え? 林 威助(リン・ウェイツ)?」

「いやいや、それは阪神の選手…。彼今年は活躍したよねえ…。
いや、そういう話じゃなくてさ…。
ああ、じゃあ、ボブ・マーリーは分かるよね。
レゲエの神様。
実はね、僕の血の中にも彼と同じジャマイカンビートが流れてるんじゃないかっていうぐらいレゲエが好きでね、それでギターを・・・」

「でもたかゆきくんって、典型的な日本人顔だよね、ハハハ。」

「・・・・・・・・。」

「ご、ごめん…。」

「・・・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・・・・。
えっと、やっぱりギターっていったら、ブルースだよね。
マディ・ウォーターズとか、バディ・ガイとか、ロバート・ジョ…」

「ねえ、たかゆきくん…。」

「ん?…」

「遅くなったらいけないから、私やっぱり帰るね…。」

「・・・・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・・・。」

「あ、うん…。」

嫌やーーー!!!

やっぱりそんなん嫌やーーーーー!!!

こんなことになるぐらいやったら、俺、ルーツが長渕やっていうこと、これからはもう誰にも隠さへん!!

嘘もつけへん!

ちゃんと全部話します!

だから、許してください!

去年の誕生日に、友達から長渕の桜島ライブのDVDをもらって、なんやかんやで大喜びしたこともちゃんと話します!

ちなみにそのDVD、4枚組で、9時間ぐらいもありました!

実は、初めに言ってた「親子ゲーム」も、最近海賊版のDVDを全話闇のルートから手に入れてて、暇さえあればもう何度も繰り返し見ていることも白状します!

やっぱり、このドラマめちゃくちゃ面白いです!

だからこれからは、女性を口説く時は、「親子ゲーム」をネタに口説きます!

誰か、僕と一緒に夜明けの「親子ゲーム」見ないかい!

結構本気です!

お茶くらいなら出します!

なんだったら、手品でもしましょうか!

ピザでも頼みますか!

肩こってませんか!

とりあえず、そばへ来いよ!

あれ?

ちょっと脱線してしまいましたが(笑)、とにかく今日は、僕の音楽のルーツは長渕剛だというお話がしたかっただけなんで、これくらいで終わりにします。

いやーしかし、1周年記念とはいえ、いつものことながら今回も思った以上に長い文章なっちゃいましたね。(苦笑)

それに、みなさんにとっては、ほんとにどうでもいい話だったでしょ。

(本気でうなずかない!)

次回は、ちょっと話は戻って、ギターと歌を始めた頃のお話をしようと思っています。

(もう飽きたとかも言わない!)

では、また次回。

というわけで、「始まりの物語」はこのままな~んとなく続いていく…。

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「部屋とサイババと私」

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2007年10月12日 (金)

部屋とサイババと私

最近ここで何度かお話しさせてもらっていた仕事場でのトラブルというのは、おかげさまでどうやらなんとか解決できた模様です。

実際100%満足できるような結果ではないんですが、一応事態だけは終息したみたいなので、もう少しだけ様子をみてから、自分の気持ちに余裕が出てきたらまたこのブログでお話しさせてもらうかもしれません。

ただ、今回のトラブルっていうのは、みなさんが読んでてハラハラドキドキするようなそんなたぐいの内容ではないと思うので、何事もなかったかのようにサラッと流してしまう可能性もあります。

それは分かっておいてください。

とにかく、今日は一応の報告だけさせてもらいました。

さてさて、どうでもいい内容(笑)の前回の話からの続きです。

そして今回も、もちろんどうでもいい話です。

分かってます。

いいんです。

けど、今はどうしても過去を振り返りたい気分なんです。

僕にとっては全部大事な話なんです。

ほら、かの虎舞竜も言ってたじゃないですか、

「どうでもいいようなことが、幸せだったと思う」って。

あれ?なんか違う?

まあとにかく、

こうなったらもう、僕はひとりよがり道を極めるんです!

ひとりよがりロード第2章です。

NO YOGARI NO LIFE です。

じゃあ、今日もヨガっちゃうよ、メーン。です。

では。

(何が?)

小学校4年生で長渕と衝撃的な出会いを果たした僕は、その後数年間、そうはいっても自分で長渕の曲を演奏するといった所までは発想が及ばず、とにかく「聴く」専門だった。

そんな僕に転機が訪れたのが中学3年のある日。

学校の休み時間に、ある生徒がたまたま長渕のギタースコア(教則本)を持ってきて自慢していたのだ。

僕は、さして仲良くもなかった彼に、「そのギタースコアを2,3日でいいから貸してくれ」と嘆願した。

もう、土下座するほどの勢いで。

靴をなめるかのごとく上目遣いで。

理由は簡単だ。

決して、ギターが弾きたかったからとかそういうわけではない。

ただ、そこに載っている数々の長渕の写真を家でじっくり見たかったのだ…。

はい、引いたー。

これ以上取り返しがつかないほど、みんな引いたー。

もう月の引力とかそういうもん完全に無視して、みんな引いたー。

ドン、引いたー。

けどね、そんなんじゃないんです。

家に持って帰って、その写真でどうこうしようなんて断じて思ってないんですよ。

僕、そういう気(け)は全くないですからね!(笑)

ただね、ほらよく宗教にはまっている人達とかが、その宗教の教祖の写真を肌身離さず持ち歩いていたり、飽きもせずずっと眺めてたりするじゃないですか。

たぶん、あんな感覚です。

ほら、僕は当時自称長渕教の信者なわけですから、まだ見たことのない教祖の写真があれば、それはじっくり見てみたいと興奮するわけです。

いったら、サイババとか美輪さん(笑)の写真みたいなもんですよ。

ご利益、ご利益。

さあ、とにかく話を戻しましょう。

ギターも弾かないはずの僕に不思議顔をする友達から、なんとかそのギタースコアを借り出すことができた僕はその夜、さっそくそのギタースコアの中に潜む何枚もの初対面の長渕の写真に感激していた。

うおー!剛やっぱりカッコええー!!(←やっぱり変態)

とはいっても、やはりそんなご対面も、相手が物言わぬ以上、せいぜい30分もあれば飽きてくるのが現実で、僕も例にもれず、2時間くらいで少し物足りなくなってきた。

んー、退屈や。

しゃあないから、このオマケでついてあるギターの楽譜で、ちょっとだけ遊んでみよか。

僕は、押入れの中にずっと眠ったままでたっぷりとホコリまみれだった父親の形見の古いガットギター(クラシックギター)を無理やり取り出してきて、丹念にホコリを落とした。

この夜、ギタースコアを開いてから約2時間後、僕はようやく、ギタースコアというものが持つ最大の、というか普通それしか役割がない、「ギターを練習する」という行為を始めることとなる。

そう、これが僕とギターの始めての出会いである。

まさか、この時の、僕にとっては単なるオマケ程度の暇つぶしの行為が、回り回って今の人生につながっていくことになろうとは、もちろんその時の僕には知るよしもない…。

つづく…。

P.S.

もうちょっと長く書くつもりでしたが、更新スピードを上げていくためにも、あえて小分けにします。

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「女よ、GOMEN」

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2007年10月14日 (日)

女よ、GOMEN

前回からの続き…

さて、いくら安物のガットギターとはいえ、生まれて初めてギターというものをひざの上に構えた僕。

うん、改めてギターをこういう風に持ってみると、今までは全く他人事だった「ギターを弾く」という行為が何だか急にすごく身近に感じられるから不思議だ。

お、もしかして、俺も「あちら側」の世界に仲間入り、ってか。

あかん、そんなこと考えたらなんかちょっと緊張してきた…。

初めてお前抱いた夜ほら 俺のほうが震えてたね (BYつんく♂)

とにかく、

ギタースコアに書いてあるまま、見よう見まねで弦のチューニングなるものをし終えた僕が、最初の練習曲に選んだのが、「女よ、GOMEN」という曲。

この曲を選んだ理由はいたって単純。

ただ単に、この本の曲の中では、使われているコードが一番少なくて簡単そうだったからだ。

しかしまあ、「女よ、GOMEN」とは、何というネーミングセンス。

さすが剛。

日本語とアルファベットの融合である。

和洋折衷である。

言葉のチョイスも素晴らしい。

だってこれが、

「ぶりの、TERIYAKI」

とかだったら、決まらないもんなあー。

・・・・・・・・・・・・・。

剛よ、GOMEN。

2時間後、どうにかこうにか僕は、もちろんなんとなくではあるがこの「女よ、GOMEN」を最後まで通して弾けるようになっていた。

いやあ、しかし、ギターを弾くのって、思ってた以上に楽しい!

正直、やってみるまでは、こんなに楽しいものだとは思ってもみなかった。

普通なら音楽的なものもあるのかもしれないが、この時の僕にはとにかく、長渕の曲をこの僕が演奏しているんだという実感がハンパじゃなかったのだ。

ひとつのコードを覚える度に、

おー!さっきよりまた剛っぽくなった!

っていう具合に。

もう、とにかく興奮するのだ。

この日僕はまったく寝付けなかったくらいに…。

「そっか、聴くだけじゃなくて、自分で演奏するっていう方法があってんなー。」

これは僕にとって、とても大きな発見だった。

次の日からの僕は、まさに猿のオ○ニー状態。

明けても暮れてもギターの練習。

もうそれが楽しくてしょうがなかった。

平日なら4,5時間、休みの日なら10時間以上、というように、僕はまるで何かにとりつかれたかのようにギターを弾き続けた。

もちろん、100%長渕の曲オンリー。(笑)

リアルな話、母親一人の手で育ててもらった僕が、この思春期真っ只中の時期に全くグレたりせずにすんだのは、この「ギター」というものとの出会いがあったからだと思う。

当時の僕にとって、こういう風に何かひとつのものに真剣に打ち込めるという経験は、すごく意味のあることだったのだ。

さて、ある日から突然こんなにもギターの練習のと化した僕は、必然的にそれなりのスピードでギターが上達していく。

そうなってくると、さすがにネックが太く弦もナイロン弦のガットギターじゃ、長渕を弾くには色々と不都合が出てきて、これまた必然的に、「自分のギター」というものが欲しくなってくる。

そこで僕は、中学3年生のお正月、奈良に住むおばあちゃんから中学最後の「お年玉」と称して無理やり小遣いをせびり、ついに初めての自分のギターを手に入れた。

そのギターは、モーリスというメーカーの3万円の真っ黒のエレアコで、

このギターを選んだ決め手は、もちろん、

剛のギターに、なんか似てたから…。(失笑)

自分のギターを手に入れてからというもの、僕は練習の鬼度合いにますます拍車がかかり、1年ほどたった頃には、もう長渕の曲ならほぼすべて弾きこなせるまでに成長していた。

さらに僕の場合、剛に少しでも近づきたいという思いがなお強く、楽譜通りに弾くだけでは物足りず、いわゆる完コピ(完全コピー)を目指し、ライブCDなどを綿密に聴いては、長渕が少しだけ間違ったミストーンまでをも真似して練習していたのである。

いやはや、16歳にして、やっぱり恐ろしい長渕モンスターである…。(笑)

そして僕は今、全身で感じることができる。

みんながまたまたどんどん遠いところへ引いて行ってしまっていることを…。

・・・・・・・・・・・・・・。

さあ、怖くないよ。

こっちへ戻っておいで。

ルールルルル、ルールルルル…。

とにかく、そういう風にギターが上達した僕が、次に考えることはもう、一つ。

そう、

人前で弾いてみたい。

つまるところ、ストリートで演奏してみようということ。

「ギターが上手くなった⇒ストリートにでる」っていう考えは、何故だかは分からないが、この時僕にとってものすごく自然な流れだった。

ほんと、なんでかは全く分からないんだけど、それ以外は考えつかなかったのだ。

多分、その時すでに、そうなるように運命みたいなもので決まっていたんだろう。

ほら、世界的に有名な古内東子理論にもあるでしょ。

「優しくされると⇒切なくなる」

「冷たくされると⇒泣きたくなる」

これと一緒。

「ギターが上手くなる⇒ストリートにでる」っていうのは、僕にとってはそういうこと(どういうこと?)だったのだ。

さあ、そして、高校1年生になった僕はついに、この古内東子理論に導かれるかのように、ストリートという新しい世界に足を踏み入れていくことになる…。

つづく…。

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「SAY YES」

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2007年10月19日 (金)

SAY YES

前回からの続き…

というわけで、高校1年生(16歳)の時から僕は路上ライブなるものを始めたんだけど、この頃はさすがにまだ一人で人前で演奏するなんてことが恥ずかしかったので、僕はいつもコウヘイ君という相方と一緒に活動をしていた。

彼とは同じ学校の同級生で、正直普段それほど仲の良い友達ではなかったんだけど、たまたま彼も僕と同じように長渕を溺愛していて、偶然にも同じようにギターを始めて1年くらいという共通点があったので、そこの部分のみ(笑)で意気投合していたのである。

僕らがいつも演奏していたのは、「京橋」という大阪ではちょっと大きめの駅。

ここは僕の実家から最寄の駅だったというのもあるが、なにより、

220pxjrwkyobashistationnorthgate

写真ではちょっと分かりにくいかもしれないが、駅前にかなり広めのスペースがあり、なんだかストリートがしやすそうな場所だったのだ。

僕らが演奏するのは、もちろん(?)長渕剛の曲オンリーだったのだが、肝心の「歌」の方はどうだったかというと、今までギターの練習ばっかりに力を注ぎすぎて「歌」のことなんて「なんとかなるやろ」程度にしか考えていなかったこともあって、実際に路上で歌ってみると、そりゃあもうヒドイもん。

せっかく2人もいるのに、ハモるなんてことを考えもつかないような未熟な僕らは、ただただ2人して精一杯大きな声で同じメロディーをガナって歌ってるだけ…。

しかも、ギターの方だって、一所懸命に練習していたとはいっても、2人とも各々長渕のマネをして同じような練習をしていただけなので、これまた歌といっしょで全く同じフレーズを2人して同時に弾いているだけという惨劇…。

つまりこの頃の僕達は、同じ動きをするコピーロボットがただ2人並んでるだけという、ある意味斬新で、ある意味残念感たっぷりのストリートミュージシャンだったのだ。

うん、

若いって素敵やね。(笑)

そして同時に、

なんか泣けてくるね…。

(あれ、俺だけ?)

ちなみに、この頃はもちろんまだギターケースを開けたりしてお金を儲けようなどとは一切していませんよ。

念のため。

しかし、そんな中でも、時代は少しだけ僕達に味方してくれていたようだ。

というのも、当時ストリートミュージシャンというのは今みたいにそこらじゅうにいたわけではなく、まだ珍しい部類の人種だったということもあり、お客さんだけはいつも自然と集まってくれていたのだ。

毎回僕達の周りには黒山の人だかりができてしまって、押し合いへし合い、人をかきわけないと僕達の姿がみえないほどに…。

さらに、僕らは大体週1回くらいのペースで歌ってたんだけど、そのストリートの日には僕ら目当てのお客さんが京橋駅に押し寄せすぎて、交通整備のガードマンが数十人雇われるなんてことも…。

・・・・・・・・・・。

うん、

妄想って素敵やね。(笑)

それと同時に、

なんか泣けてくるね…。

(あれ、みんなも?)

けどね、実際ね、僕達みたいなもんにも毎回ある程度のお客さんが集まってくれてたことはホントの話で、やっぱり当時はそれだけストリートミュージシャンというのがまだ物珍しかったっていう証拠だと思う。
(長渕人気が今よりだいぶ高かったのもある。)

だって、今思い返しても、1人もお客さんが聞いてくれていないような状況っていうのは、ほんとなかったもん。

それどころか、続けていくうちに、僕ら目当てにわざわざ電車に乗ってまで見に来てくれる人もチラホラ現れたりしたくらい。

これ、ホントなんです!

いやー、当時の世の中って狂っとるねー。(笑)

彼らにとったら、動物園の珍獣を見に来てる感じのイメージだったのかなあ…。

とにかく、

そんな週1回の路上ライブを続けること約1年。

なんやかんやである程度いろんな面で上達してきた僕らに、ある日、とある夏祭りの舞台での演奏の依頼が舞い込む。

とはいっても当時17歳やそこらの僕達にもちろんギャラなどは一銭も出ないのだが、それでもそこは、今まで頑張ってきたご褒美代わりともいえる晴れ舞台。

僕らがそれをむげに断るわけもなく、こちらからも喜んで快諾させてもらった。

そして夏祭り約1ヶ月前、僕達は打ち合わせのために、その夏祭りの運営事務所に連れて行かれた。

まあ事務所とはいってもそこはただのプレハブ小屋で、中は、おそらく夏祭りを手伝うんであろう町内会のおっさんおばちゃんたちの完全なる溜まり場と化していた。

この後、パイプ椅子に座らされた僕達が、暇を持て余しすぎて飢えたライオンのようになっている彼らの格好の標的になるのは、いくら人生経験の浅い僕らとはいえどもすぐに分かったし、現実もまた、その通りになっていった…。(苦笑)

とりあえず初めは、僕が彼らに素朴な疑問をぶつけたことから始まった。


「あのー、けどほんとに僕らみたいなのでいいんですかね?
僕ら、長渕剛の歌しか歌えないんですけど…。」

おばちゃんA
「なんでーな、ええやないの。
長渕剛やろ。
私知ってるわ。
とんぼやろ、とんぼ。
カッコエエやないの。」

おばちゃんB
「若い子たちもいっぱい来るからな。
その子らに聞かせたり。
喜びよるわ。
なあ。」

全員
「ほんまや、ほんま。」


「そうなんですか。
じゃあ、ほんとに長渕剛だけでいいんですね。
分かりました。」

おっさんC
「ところで自分ら、コンビ名はなんていうねん?」

コンビ名?

そういえば、そんなこと考えたこともなかった…。


「ああ、そういえばまだ決まってないですねえ。
どうしたらいいですかね。」

おっさんC
「そら、困るわ。
こっちもな、チラシやらポスターに君らのこと書かなあかんさかいにな。
困ったなあ。」

おっさんD
「そんなら、わしらが今考えたったらええねん。」

おばちゃんE
「ほんまや、そうしてあげたらええやないの。」

いやいや、なんでそういう流れになるの…?(苦笑)

しかしもちろん、サカりのついたこのライオン達を止められるものはもうここにはいなかった…。

おっさんF
「よし!じゃあオレが考えたる!」

全員
「よっ!池田さん!」

おっさんF(池田さん)
「そうやなあー…。
うーん…。
自分らの見た目で、
『タレ目とツリ目』っていうのはどうや?」

全員
「ギャハハハ!ワハハハ!
池田さん、ふざけんと考えたらな、彼らかわいそうでっせ!
ぐわはははははは!!」

・・・・・・・・・・・・・・。

帰りたい…。

もしくは、今履いてるスリッパで、全員の頭ハタキたい…。

ああ、俺ら、何でこんな依頼受けたんやろう…。(泣)

おっさんC
「そんなら、わしがちゃんとしたん考えたるわ。」

おっさんF(アホの池田)
「頼むわ、西やん。」

おっさんC(西やん)
「おう、任しとき。
そやなあ。
自分ら京橋駅で歌っとったんやろ。
京橋、京橋っと…。
あ!分かった!
『チャゲ&京橋』っていうのはどうや!」

・・・・・・・・・・・・・。

チャ、「チャゲ&京橋」って…。

プッ…。

あきれを通り越して、これにはさすがに思わず僕らも吹き出してしまうほどの、おバカ解答だった。(笑)

・・・・・・・・・・・・・。

あ、あれ?

しかし、なんだかみんなの様子がおかしい。

さっきみたいな笑いが起きず、なんか、みんな各々しきりにうなづいたり、「それ、かっこええやないの。」などと口にしたりしているのだ…。

しまいには、何故か全員拍手をしはじめる始末…。

パチパチパチパチパチパチ!!

う、うそやろ…。(汗)

当の西やんもこの反応になんだか誇らしげ…。

おーい!!

みんな、目を覚ませー!!!

しっかりしろ!!!

よー考えや。

「チャゲ&京橋」やで?

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   &

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やで…。

・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・。

もう一回言うで、

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      &

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やで…。

・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・。

な!

意味分からんやろ?

「人」&「場所」やで?

これの何がかっこいいの?

さっぱり意味分からんやん!

とにかく、みんな気を確かに!!

まあ百歩譲って、もし俺達がチャゲアスのカバーばっかり歌っているのなら、まだ何とかヨシとしようか。
(それでもやっぱり嫌やけど…。)

けど実際は、ご存知の通り、俺達ただの長渕オタクやで…。

どっからそんな突拍子もないコンビ名が出てくるん?

それに、

じゃあ根本的なこと聞くけど、俺とコウヘイ君、どっちが「チャゲ」で、どっちが「京橋」なん?

悪いけど、俺、「チャゲ」だけはなんとなく嫌やで。
        ↑
(チャゲに謝れ!笑)

俺の地元が京橋なんやから、俺が「京橋」な。

コウヘイ君ゴメンな、それだけは譲られへんで。

って、

いつのまにか、この名前受け入れ始めてるやん、俺!

アホ!!

よし、ここはちゃんと、絶対的な否定の意志を示さなければ。


「ダメです!!
『チャゲ&京橋』だけは絶対に嫌です!!
だって、僕ら長渕歌うコンビですよ。
意味分かりませんやん!
ほんま勘弁してください!
近いうちに僕らで急いでちゃんと名前考えますんで。
ほんま頼みます!」

僕らのあまりにも切実なお願いを聞いて、場の空気もやっと静まりだした頃、それを察してか、やっとさっきのおっさんが答えた。

おっさんC(アホの西やん)
「まあまあ、冗談やがな。
そんなムキにならんでもええがな。アハハハ。
けど、ほんなら、自分らで決めるんなら、はよ決めてや。
こっちもいろいろ手配しなあかんからな。」

冗談って…。(苦笑)

たとえ冗談であったとしても、真思春期っ只中の僕らに、そんな恥ずかしい名前付けんといて!

ヘタしたら、一生の汚点になるところやったやんか。

もう、これやから大人は嫌いやねん。

プンプン!

とにかく、この後この日の打ち合わせはなんとか無事に終わり、2、3日後僕達は、自分達で必死に考えた新しいコンビ名を事務所に電話で伝えたのである。

(ちなみに、この時に考えた新しい名前っていうのは、リアルに今は忘れてしまいました。
おそらく、当たり障りのない、どこにでもあるような名前だったと思います。)

まあ、なんにしろ、あれが冗談で終わって良かった…。(笑)

さて、

そんなこんなで夏祭り当日。

僕とコウヘイ君は、朝から相当な気合をみなぎらせていた。

なんといっても、この日のために僕らは、あれからものすごい練習を重ね、ようやくちょっとしたハモりやリードギターまでこなせるようになっていたのだから。

ああ、午後4時からの本番が楽しみである。

とりあえず、なんだかソワソワして落ち着かない僕達は、昼前になって、とにかく本番会場の下見に出かけることにした。

会場までの道のり、僕達は地元の商店街の中を通った。

商店街の壁や柱には、いたるところに今日の夏祭りのポスターがデカデカと貼ってある。

わあ!ほんまにこんなポスターまで作ってるねんなあ。

興味本位で2人が近づく。

・・・・・・・。

見なければよかった…。

2人の顔が一斉に青ざめる。

きっとこの世に神様なんていない。

「お祭り広場の本日のスケジュール」の欄に書いてあったある言葉…。

  16:00~

 「チャゲ&京橋」ライブショー!  

さあ、

何度も言うよ 残さず言うよ

・・・・・・・・・・

迷わずに~

SAY    NO!!!!!!!

この日以降、僕が大人というものを全く信用しなくなったのは、言うまでもない…。

おわり。

(始まりの物語自体はまだ続きます…。)

P.S.

ちなみに、結局ジャンケンで負けて、僕が「チャゲ」でした。
イエイ!

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