時代
少し迷いましたが、どうしても今日書きたいので、書かせてもらいます。
ある常連の、クラブのママさんがいた。
彼女は年齢はおそらく50歳すぎ、ひょろりとした体形で、顔立ちは面長。
きっと若い頃は美人でモテたんだろうなと思われる面影が残っているのだが、今の彼女は僕から見ると、なんだか憂いというか哀しみのようなものがにじんでるような気がいつもしていた。
まあ、長い人生、ここにたどり着くまでに、いろんな事を経験されてきたんだろう。
僕は、勝手にそう解釈していた。
このママとは、もう4、5年のお付き合いになるだろうか。
ママはほんとうに僕の事を気に入ってくれていて、仕事帰りに頻繁に僕の歌を聴きに来てくださった。
大抵は一人で来られるんだが、たまにある特定のサラリーマンの男性と一緒に来られることもあった。
おそらく男性はお店のお客さんだろうが、2人がそれ以上の関係であることは、明らかに見て取れた。
ただ同時に、その男性にちゃんと家庭があることも容易に想像できた。
ママは決まって、長渕剛の「巡恋歌」と中島みゆきの「時代」をリクエストした。
「巡恋歌」が始まると、いつも僕の目の前の定位置で腰をかがめ、食い入るように僕の目を見つめたまま、歌詞をひとつずつ確かめるかのように、歌に合わせてゆっくりと体でリズムをとる。
男性が同伴の時は、「いつまでたっても恋の矢は、あなたの胸にはささらない」という歌詞のところで、その男性を指さし、よくおどけてみせた。
「わたし、みゆきが好きや。」というママは、「時代」を歌っている時には、目に涙を浮かべていることもあった。
「わたしな、あなたの歌が、ほんまに好きやねん。
あなたの歌を聴くと、癒されるねん。
つらい時でも、励まされるねん。」
いつも、そう言ってくださった。
そんなママが、2年ほど前、僕にこんな事を言ったことがある。
「わたしな、末期のガンやねん。
だから、もうすぐ死ぬねん。」
あまりにもさらりと真顔でそんな事を言うので、僕は
「もう、悪い冗談やめてくださいよ。
今、ちゃんとお元気じゃないですか。」
と返すしかなかった。
「ううん、冗談じゃないねん。
明日から入院や。
もう、長くないわ。」
ママは、じっと遠くを見つめていた。
その日以来、ほんとにパッタリとママの姿を見ることがなくなった。
心配したが、僕にはどうすることもできないことだ。
それから半年ほど経ち、正直あまりその事についても考えることがなくなってきていたある夜、突然ママが僕の前にふたたび姿を現す。
よかった、退院しはったんや。
どうやら、仕事にも復帰されたようで、その日からまたママをよくお見受けするようになった。
ただ、以前のママと決定的に違う点が2つだけあった。
それは、見た目がびっくりするほど痩せ細って、ガリガリになっていたことと、もう1つ、以前のように僕の歌を聴いていくことが全く無くなったことだ。
会話すら一言も交わさない。
ただ、目で挨拶するだけ。
顔がすごくやつれた様子で、フラフラとあるく彼女。
理由は無いがなんとなく、僕からも声をかけることはしなかった。
そんな日々がしばらく続いたが、僕は前にも言ったように、去年の9月頃から場所を変えて歌うようになったのである。
だから、必然的にそれからママに会うことは一切無くなった。
しかし、これはまだ言っていなかったが、実は、僕はこのブログを始めた今年の7月の初めあたりから、また以前の長年やっていた場所に戻って歌っている。
そのいきさつなどはまた今度説明するが、とにかくだからここ半年はまたママに会う機会がもどってきたのだ。
月日が経ち、最近のママは、もう見た目にも元気を取り戻し、また以前のように僕の歌を聴いてくださる。
あの男性を連れてくるところも、いつもの定位置で腰をかがめるところも、昔と何ら変わりない。
僕はホッとしていた。
そして昨晩。
12月28日。
昨日は、あの男性ひとりでやって来た。
そして、僕に告げた。
「ママが死んだよ。」
あまりにも突然のことで、しばらく言葉が出なかった。
そして、頭の中がぐるぐると音をたてて回る。
けど、僕にはどう曲げる事も出来ない、現実、だった。
「自然死」だったらしい。
その自然死が、前に言ってたガンによるものなのかどうかは、僕には分からない。
ただ、ひとつ確かなことは、ママはもうこの世にはいない、ということ。
そして、もうひとつ、初めて知った事がある。
それは、ママがずっと「独り身だった」ということ。
「巡恋歌を歌ってもらえないか。」
そう男性に言われて、僕はただ黙ってうなずいた。
ハーモニカを用意する。
ママに捧げる、最後の「巡恋歌」だ。
そう思って、僕はイントロのハーモニカを吹き始めた。
すぐに、自然と涙があふれ出す。
歌が始まると、今日が年末だからか、僕が泣いて歌っているからか、すぐに人が何人か集まってきた。
けど、今日のこの歌は、僕はママのためだけに歌いたかった。
だから僕は目を閉じる。
歌いながら、いつものように僕の目の前に腰をかがめるママを「イメージ」する。
ママは確かにそこにはっきりと存在する。
いつものように僕の目をまっすぐに見つめ、体でリズムをとっている。
やっぱり涙が止まらない。
最後のエンディング部分、僕はその彼女を見つめたまま、ほんとに精一杯ハーモニカを吹いた。
さようなら。ママ。
歌が終わって、ふと我にかえって目を開けると、いつの間にか僕の周りには人だかりが出来ていた。
そして、一斉に拍手が起きる。
男性に目をやると、彼も目に大粒の涙を浮かべ、僕に深々と一礼をして、無言のまま立ち去っていった。
僕はこの後、目の前のたくさんの人達に対して、すぐには「営業」する気にはなれなかったので、もう一曲だけ、「時代」をママに捧げた。
もう目はつむらなかった。
出会いがあるから別れがある。
出会いがなければ別れもない。
けど、それでもやっぱり、僕は出会う事を選びたい。
ただの街のストリートミュージシャンと、それを聴く仕事帰りのクラブのママ。
ただそれだけの関係。
けど、この広い世界の中で、僕とママが出会ったのは、まぎれもない真実。
その事実は、何があっても変わらない。
ママ、2007年を迎える事は出来なかったけど、これからはもう、ゆっくりできるからね。
どうか、どうか、安らかに眠ってください。
「時代」
作詞:中島みゆき
まわるまわるよ 時代はまわる
喜び悲しみくり返し
今日は別れた恋人たちも
生まれ変わって めぐりあうよ
めぐるめぐるよ 時代はめぐる
別れと出会いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって 歩き出すよ
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