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2006年7月17日 (月)

はじめまして!たかゆきです。

まずは、自己紹介します。

僕は、日本でもほんとに数少ないプロのストリートミュージシャンなのです。

プロのストリートミュージシャン? なんじゃそりゃ?

うーんと、とにかく、それだけで飯を食ってるということです。しかも10年ほど。しかも全く貧乏せずに。

なんかよく分からんけど凄いでしょ。うん。 まあ、ぼちぼち説明していきますね。

眞鍋かをりさんのブログを見ててなんとなくクリックしてたら、自分のブログが出来てしまってビックリ。
時代は進んでるんやね、時代はパーシャルやね。
せっかくやから、がんばってブログ続けよっと。 

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僕の仕事

あのね、うんとね、どういう事かっていうと、とある都市の高級飲み屋街の片隅の道ばたのはじっこのすみっこで、ギター弾きながらマイクなんか使ったりして、40代や50代のおじさん達が泣いて喜びそうな懐かしのフォークソングなぞを歌っちゃうわけですよ。「リクエスト表」なるものを用いて、リクエストに応えたりしながら。

そうすることによって、青春時代を思い出して昔を懐かしんだおじさん達が、僕のギターケースにお金をほり込んでくれるんですね、これが。さらにここは、高級飲み屋街。まるくて硬いお金じゃなくて、四角くってぺらぺらのお金を入れてくれる場合が多い訳ですよ。あの寝ぐせついたおっちゃんが写ってるお札を。
そういう事を、夜9時すぎから、夜中の3時ぐらいまで続けてると、これが結構な額になるんですよ。普通のバイトじゃ絶対に稼げないような額に。あら、びっくり。

もちろん同じようなことを、誰がやっても儲かるかというと、まったくもってそんなことはない。僕はお金を少しでも儲けるために、歌以外にありとあらゆる細かいテクニックを使いながら歌ってるもん。もちろん、歌がある程度上手くなくてはいけないのは大前提だが。

わたくし、たかゆき、もうすぐ30歳
20歳の頃からそんなことを続け、ほんとに10年ほどこれだけで生活し続けています。まったく自慢できることではないんですが、10年も続けてると、ほんとにいろんな、普通じゃ体験できないようなことを体験してきたので、このブログで少しづつでも紹介していこうと思ってる所存でございますでございます。

とはいいつつ、少しづつとか言いながら、今日もう2度目の更新。よーし、どうせ徹夜明け。書けるときにいっぱい書いちゃうぞ!おー!     
やっぱねむい…、もう歳や…。

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2006年7月18日 (火)

芸能人、多数ご来店

あー、いっぱい寝たっと。

さあ、話したいことが山のようにあるぜい。何から話そうかな?

えーっと、まず、みんなの気をこのブログに少しでも寄せてもらうために、ミーハーな話題から始めることにしよう。

いくら僕がで歌ってるとはいっても、やはりここは高級飲み屋街。 いろんな有名人の方もお酒を飲みにこられるわけですよ。そんな中、僕の歌を聴いてくださる有名人の方もちらりほらり。ほらりちらり。

それを、ちょとずつちょっとずつ紹介しましょう。(完全に出し惜しみっ)

誰からにしようかな、じゃあ、今日はまず、夏木マリさん。

彼女は、お連れの方と歩いておられる時に足をとめていただき、BOROの「大阪で生まれた女」をリクエストしていただきました。
歌い終わった後には、「あんた、うますぎるっ!」とお褒めの言葉までいただき(もちろんお金も)、すんごい嬉しかったです。いまだに僕の自慢。

これからも、すこしずつ歌を聴いてもらった有名人の方を紹介しますね。じらすわねー。
まだ自己紹介もままならないのに、芸能人の名前を使ってみんなの気を引こうなんて、いやーん、いけずー。

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才能

プロのストリートミュージシャンなどと自分のことを言っといて、じゃあほんとのメジャーデビューなどは目指さないのかと言われるとすごく耳が痛い。

もちろん、この仕事を始めた最初の頃は、いろんな夢や希望があったし、チャンスがないものかと探ったりもしていた。

しかし、何年目からか分かった事。

僕にはデビューするような才能がない!

もちろんこの才能というのは、作詞作曲センスなどのメジャーデビューに必要な能力の事であって、歌を歌うこと自体の能力のことではないのだが、とにかく、デビューできるような能力がないことだけは、自分で悟ってしまったのだ。

僕の周りには、昔から何人かの素晴らしい才能のミュージシャン達がいて、今でも順調に音楽の道をかけあがっている。彼らはもちろん才能だけではなくて、人に見せないものすごい努力を重ねてるし、僕もそれを知っている。
そんな彼らを見てると、もう何もかもレベルが違いすぎるのだ。自分が、ちっちゃくなってしまうぐらい…。

ただ、デビューの才能がないのが分かったと同時に、もうひとつ重大なことに気づいた。

僕には弾き語りで儲ける才能がかなりある!

はじめのうちは、こんなの誰がやったって場所さえ良ければ儲かるんじゃないのと思っていたが、とんでもない!

特に、僕はほぼずっと同じ場所でやってるのだが、同じ場所でずっとやってて、10年間もずっとスランプなしで毎日儲け続けることなんて普通到底出来っこない。(精神的なスランプはいっぱいあるけどねんっ。うふっ。)

とにかく、「音楽才能=弾き語りで儲かる」っていうことでは無いということだ。

じゃあ、僕がどのような事を考え、どのようにして弾き語りをやっているのかというのを、つぎの更新で書いていこうと思う。

今夜は。雨だから外では歌えないの。だから自宅待機。つまり休日。うらやましいでしょ。
けどもちろん今日の収入は0よ(泣)。

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2006年7月19日 (水)

極私的弾き語り論

長いですけど、ちょいとおつきあいを。

まず、何が目的で弾き語りをやっているのかというと、何かを訴えたいだとか、自分を表現したいとかじゃなくて、ほぼ100%「お金」である。
もちろん音楽は大好きだが、それと弾き語りは全く関係がない

やらしい意味じゃなく、今現時点で僕が出来うる仕事の中で、一番自由がきき、一番お金を儲けることが出来るのがこの「弾き語り」だったのだ。

それくらい僕の弾き語りは結構な額になる。

具体的に言うと、平日で2万~3万ぐらい。金曜日で3万~4万ぐらい。
なんだそれくらいざますかと思われるセレブな方もいらっしゃるかもしれないが、一般レベルからすると、やはり結構な額だ。
この額は10年間ほぼ変わっていない。

1週間のうちに、土日は飲み屋街がほぼ閉まってるので、月から金までの5日のうちだいたい3,4日(5日連続だと喉がもたないし、雨が降ることもあるから)、夜の9時すぎから夜中の3時前ぐらいまで歌っている。

だから月収にするとだいたい30~40万すぎぐらいだ。(梅雨の時期はやはりこれより少なくなるし、年末は逆にもっと多くなるが)
とにかく、大人一人が暮らしてゆくには十分な額になるわけだ。

しかし、昨日も言ったが、決して誰でも簡単に儲かるというわけではない。
実際、日本の中で、路上の弾き語りのみで生計をたてている人はほんとにほっとんどいないと思う。
これは自慢でも何でもなくて、僕は仕事として弾き語りを選んだ以上、徹底的にどうすれば儲かるのかを考え抜いてきたのだ。

そこに明日の生活がかかっているからだ。

その結果、僕の弾き語りはアンプマイクを使うスタイルになった。
今でこそ、そこらじゅうでアンプやマイクを使うストリートミュージシャンをいっぱい見かけるが、当時はほとんどいなかったのだ。
さらに、オリジナル曲や、最新の流行曲は歌わない、きょくりょく昔のフォークソングや歌謡曲だけを歌う、と決めた。
それらは全部、歌を聴くおじさん側に重点をおいた結果だった。

音の面で言うと、歌(特にフォークソング)というのは、たいていが強弱が必要なものである。
生声であれば、雑踏の中でやる場合、声がうもれてしまい、すべてのパートを張り上げて歌わなければならないのだ。
しかしそれでは喉がもたないし、おじさんも気持ちよく歌にひたれない。

だから僕は、おじさん達がいかに気持ちよく歌を聴けるか、いかに歌にひたれるか、そして、いかにお金をだそうと思うかを考え抜き、アンプを使うことを決め、自分なりにエフェクター(音色を変える機械)を工夫し、機材を工夫し、こういうスタイルを確立したのである。

もちろん、ある程度は周りの店や人にも気を使い、悪影響が出ないようにちゃんと音量を考えてやっているし、もしそれでも迷惑がかかり苦情がきてしまった場合は、すぐに立ち退いている。
ちゃんと、それが路上で歌う以上、最低限のマナーだと分かっている。

とにかく、僕の弾き語りには、アンプやマイクが不可欠なのだ。

そして、お金をたくさん儲けるにはそれだけでは足りないということで、入念な場所選びから始まり、こちらから通る人に声をかけ、聴いてくれる人とはちゃんと対話をし、「リクエスト表」というものを作り、その選曲にもこだわったのである。

声のかけ方としては、
まず、
「一曲どうですかっ!」
という決まり文句を言う。
この声かけの時は、ほんとに自分のプライドを全部捨てる。ほとんど営業だ。

あちらが少し興味をもちはじめたら、そこでさらにたたみかける

せっかくなんで、なんかお好きな歌がありましたら、「リクエスト表」っていうのもあるんで、一曲だけでも聴いていってください。昔のフォークソングとかを主に歌ってるんで。」

これもほとんど決まり文句である。
この「せっかく」っていうのがポイントだ。
何がせっかくかはよく考えたら分からないが、とりあえず「せっかく」と言われたら、人は「ああ、そうやな」という錯覚をおこすのだ。何とこしゃくな作戦(笑)。

もちろん、声をかける相手も入念に選ぶ。
大勢の人の中から、通り過ぎる瞬間にその人の身なりや顔つきを見て、瞬時にこの人はお金をいれてくれるか否かを判断するのだ。

もうなんだか、歌とは全く関係の無い世界でしょ。
けど、何度も言うように、やはり歌はある一定以上はうまくないといけないんでっせ。もちろんギターも。
僕の場合はさらに、歌う時に目線まで計算して、情感たっぷりに歌うように心がけている。

あー、めっちゃ長くなってしまったなあ。
けど、まだまだ言いたいことあんねんなあ。まだ続けてもいい?だめ?
次に続く…。

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2006年7月20日 (木)

島田S助さんからのメール

うわー、S助さんから、今ちょうどメール来たーーーー!

S助さんとは、誰もが知ってるあの超ビックお笑いタレントの島田S助さんのことである。

S助さんとの関係は、これからこのブログでゆっくりと書いていこうと思ってたのに、今メールが来て、びっくりうれしくてついつい報告してしもた。近々会おうっていう内容のメール!

まあ、なんせ詳しいことは、今後、ゆーくっりと書いていけたらと思ってます。

長い目で見てねっ。ほんとっ、じらすわねー。

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2006年7月21日 (金)

極私的弾き語り論2

島田S助さんのことは、ひとまず置いといて、19日の続きの話書いていいかしら。ごめんさいね。

続き…

ただ、聴いている側は、まさか僕がそんな事を考え、実際結構儲かっているなんてことは絶対知らないし、知られてもいけない。だから、ギターケースの中のお金はいつもこまめに偽装している。

おじさん達は僕を、「夢見て、頑張っている青年」だという認識で見ていて、僕もそれを完璧に演じきるのだ。目線までも考え抜いている。

そこでやっとお金が発生するのだ。

つまり、ちょっとした小劇場である。僕の一人芝居をみんなは喜んでくれてるわけだ。

始めた頃は、こんな嘘をつくようなやり方でお金を儲けることに対していささか疑問を感じていたにはいたが、今では完全に自分の中で納得している。

つまり、おじさん達は僕が歌うのを見て聴いて感心し、昔を懐かしんでいい気持ちになり、お金をはらう。

僕はお金をもらう以上、手を抜かず真剣に歌を演じる。ほんとに真剣に歌う。そして、そのお金で生活ができる

ここに見事に「需要と供給」の形が出来上がってるではないか。

誰一人として嫌な思いはしていない。
反対に、僕を含め、全員が喜んでいるのである。

つまり、ここに何も疑問を感じることはないのだ。

さらに、僕は今まで一度も具体的な金額をお客さんに要求したことはない。
すべてあちらまかせだ。

その結果が、一人500円であり、1000円であり、ごくたまに一万円なのである。(10万円っていうのも一度あったが…)(あともちろん、1円やら10円を入れる人もよくいる)
それが積み重なり一日2万なり3万なり4万という儲けになるのだ。

こういう風に書いていると、この仕事は素晴らしい事ばかりにも思えてくるが、その反面、嫌な事も山のようにある。

まず、1日4~6時間も声をかけ続け、真剣に演じ、真剣に歌い続けてると、もう心身ともにヘトヘトになる。
肉体労働には無い意味の分からん疲れである。
言葉では言い表せない強烈な疲れだ。

なのに、弾き語りが終わった後2,3時間は、どれだけ体が疲れていても、僕は眠ることができない。
が寝ようとしてくれないのだ。
これはけっこうつらい
10年たった今でも変わらず続いている。

弾き語り中のトラブルも多い。
やはり飲み屋街でやるということで、想像しうるすべてのトラブルを体験しないといけないのだ。
ほんとにいろんなトラブルだ。(虎舞竜ではありません)
書くのも嫌なくらい・・・。

ごめん、まだ続きます。
次へつづく…

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極私的弾き語り論3

続き・・・

あと、こんな珍しい仕事は、世間に認められないのが少しつらい。
国からみれば、僕は所詮無職だ。
人に職業を聞かれた時も、説明のしようがないのだ。
おそらく、言っても、分かってもらえないだろうし…。

そして、やはり僕にもこの弾き語りに対するプライドが少なからず、というか、かなりあり、たまに同年代でちゃんと定職についてる奴に「しょせん弾き語り」なんて目でさげすんで見られると、ものすごく哀しい気持ちになる。

だから、この仕事はどんどん自分を孤独に、そして不安にする。

こんな仕事をやってる人が周りに絶対いないので、今日は儲けることができるのか、そして止められやしないかという不安や(これはいまだに毎日感じている。なんの保障もないからだ。儲けることができなければ、それでジ・エンドなのである。)、愚痴や楽しさやつらさや、その他日常生活では絶対に味わうことのないすべての感情を、誰にも完全にはぶちまけることができず(聞くことはきいてくれても、絶対に共感はできないはずなので)、すべて自分の中に閉じ込めなければならないのだ。

他の仕事にはおそらくいるであろう、一緒に共感し、相談しあえる仲間や同僚がいないのである。
一部の友達からは、なまじっか儲けてるだけに、僕の愚痴はいやみにしか聞こえんとまで言われたこともある。

と、まあ他にもいろいろとつらいこと悲しいことがあるのである。

それでも弾き語りを続けているのは「惰性」という以外に言い方がない。

やはり、現時点で今できる他の仕事より儲かるので、やめるにやめられないのだ。
(儲かるっていっても、その分うっぷん晴らしに使いまくってるから、ほとんどお金はたまらんけど…

それに、飲み屋街の大抵いつも同じ場所でやっていて、10年もやってるとちょっとした名物みたいになってしまい、常連さんが増えまくり、「やりやすまくり」の環境になってしまったのもやめられない理由の一つだった。

けど、こういう仕事を一生家庭を持ってまで続けられる訳がないし、続けるわけにもいかないので、いつかはケリをつけてやめなければならないとは思っている。

と、まあ、長々と3回にもわったって好き放題書いてきたが、とにかく今の僕の仕事はこういう仕事なのである。
自己紹介おわりっ!
ご静聴ありがとうございました。

(ここ数日、雨ばっかりで、ほとんど仕事できてません。ずっとパソコンの前にいます。人生こんなんでいいのかしら?)

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2006年7月22日 (土)

「ゆず」

何年くらい前やったかなあ、少し離れた所から、僕の曲が一曲終わるたびにやたら拍手をつづける若者がいた。彼は、深々と帽子をかぶり、一人で花壇に腰をかけていた。
顔は帽子でよく見えない。

普段僕はおじさんのみターゲットにしてるので、若者にはほとんどといっていいほど声はかけない。嫌とか嫌じゃないとかの問題じゃなくて、若者が集まってしまうと、商売にならないからだ。

ただ、彼は、ほんとに熱心に拍手をしてくれている。

どーしよー…。

声をかけた。
ちょっと遠くにいたので大きな声で。

「あのー、もしよかったら、好きな曲があったら言ってくださいね。」

その問いかけに若者は、なぜか言葉を出さずにジェスチャーで、

「いえいえ、僕はただ聴いてるだけなんでお好きな歌、歌い続けてください」
(あくまでも、ジェスチャー。そう見えただけよ。)

と伝えてきた。

うーん、どーしよかなあ。歌い終わるたびに拍手っちゅうのもなんか恥ずかしいしなー。うーん。

「僕も、次に歌う歌まだ決まってないんで、ほんま何でも言ってくださいね。」

すると彼は、観念したかのように、のそっと立ち上がり、ゆっくりとこちらに向かってきた。
近づいてくるにつれて、帽子のツバで隠れていた彼の顔がゆっくりと露呈される…。

「あっ、ゆずや。」

つい、見たままを言葉に出してしまった。

「すぐ、ばれちゃったね。」

彼は、そう言って微笑んだ

そう、彼はあの有名なアコギデュオ“ゆず”のどっちかの人だったのだ。
(のちに、岩沢厚治さんと判明。さらに同じ歳だという事も判明。)

なんだか顔は知ってる。そーいやー、ゆずはストリート出身やから、やっぱりこういう路上の弾き語りには興味があるんやろか。
彼は今度は人目を気にする様子も無く、どしんと僕の目の前の地べたに座り込んだ。

「好きな歌あったら言ってくださいね。」

ゆず
オリジナルとかは歌わないの?」

「いや、あのね、これは完全に商売としてやってるんで、オリジナルとかは全く歌わないんですよ。」

彼はあまり納得できないような様子だったが、話し合いの末、結局、斉藤和義のデビューシングル「僕の見たビートルズはTVの中」をリクエストした。マニアックーですなー。

歌い終わる。拍手がある。

ゆず
「でも、やっぱりオリジナル曲を聴きたいなあ。オリジナルを歌うべきだよ。」

まだゆうか。

「そこまでいうなら、そんな人に聴かすほど自信の無い曲ですけど、一曲だけ歌わせてもらいます。」

普段、この場所でオリジナルなぞを歌うことは皆無に等しかったけど、もうなんだかめんどくさかったので、当時たまたま一曲だけあったオリジナル曲を歌うことにした。正直、客観的にみて、これが僕がデビューできない理由っていうぐらいのパッとしない曲。

歌い終わる。
ここぞとばかりにさっきの3倍ぐらいの拍手。

ゆず
「こんなにいいオリジナルがあるなら、ぜったいオリジナルを歌うべきだよ。人の歌は歌わないで、オリジナルだけを歌い続けるべきだよ。」

まったくもって正論だが、人にはいろいろ事情がある。

「けど、僕は完全に商売としてこの弾き語りをやっていて、生活をしていかなければならないんで、そういうわけにもいかないんですよ。」

ゆず
「いや、それでもオリジナルだけを歌うべきだ。」

もー、頑固ちゃんねー。
そりゃ彼はそういう信念でやってきたか知らんけど、僕にも僕なりの信念があるのだ。
オリジナル歌うんやったら、こんな飲み屋街なんかで歌わんっちゅうねん。
同じストリートでもいろいろ種類があるの。わかってね。あなたがやってきたのだけがストリートじゃないのよ。ねっ。(別に怒ってるわけじゃございませんよ)

とにもかくにも、彼は20分ぐらい地べたに座ってた。

帰り際、僕の女友達にゆずの大ファンの子がいるのを思い出し、サインをお願いしてみた。
彼は少し考えて、

「君にだったらサインぐらいいくらでも書いてあげたいけど、今日はせっかくだからそういうのにはしたくないんだ。」

と言った。
なんとなく分かる気もする。
代わりに彼は、

「仕事なんだから、ちゃんと払わないとね。」

千円札をギターケースに入れて去っていった。
かっこいいーーー。ひゅーひゅー。

と、まあ以前そんな事があった。それだけのお話。

ちなみに、それからもゆずの音楽をちゃんと聴いたことはありません。ごめんちゃい。

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2006年7月24日 (月)

迷路

幸せってなんやろう。

最近よく考える。

この仕事をずっと続けても、そこにたどり着けないことだけは分かってる。

時々無性に何もかもが嫌になる。不安でしょうがなくなる。 すべてリセットしたくなる。

大阪では今日は天神祭り初日。

街は浴衣姿の人でにぎわい、お祭りムード。

なんと言い訳しようと、結局僕は今日も仕事に向かう。

ずっと、同じところをぐるぐるまわってる気がする。

いってきます。

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2006年7月26日 (水)

祭り、のちオカマ

天神祭りも無事終了。大阪にも、ほんとの夏がやってきます。

もちろん僕は今日も仕事でした。

仕事中、一人のダンディーなサラリーマンの方がすごい熱心に僕の歌を聴いてくれていました。

いつものように声をかけると、見かけからは想像できないようなすごいダミ声

「いやー、あんたセクシィーやわー。2万円でどう?

そういうのはやってないの?」

と、聞いてきました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

キャー、こわいよー。

僕が困ってると、さらに付け加えてきました。

「あなたは何もしなくてもいいから。完全受け身でいいから。わたしが全部やってあげるから。」

う、受け身?
いかん、いかん、想像しちゃだめだ、たかゆき!

「そ、そういうのは、や、やってないんで、す、すいません…。」

「あら、そう?残念だわー。」

な、なんや、このおっさんは…。
見た目は普通のサラリーマンやのに…。
夜の世界はやっぱり恐いよーー。

とはいえ、実は2,3年前にも一度同じようなことがあり、その時にも

「2万円までなら出すよ。」

と言われた経験があり、今回の一件と合わせて考えてみると、

僕の相場は2万円

ということだけが、はっきりとわかりました。(笑)
こういう仕事をしてると、いろいろ勉強になります。

みなさんも、自分の値段が知りたければ、夜、飲み屋街で歌ってみれば?
身の保障はできんけど…。

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2006年7月28日 (金)

風をあつめて

6年前、僕が23歳の頃、大阪でのこの生活がすべてになり、当時僕の影響で同じ仕事を始めた親友の良元優作と共に日本一周の旅に出た。

Photo_10

このポンコツ軽バンで、寝泊りして、旅の費用は各地の飲み屋街で稼いでいくというもの。

各地でいろんなものを見、いろんな人に出会い、大阪での生活やこの仕事をいったんリセットしてしまおうという想いの旅だった。

二人はその時たぶん、現実から逃避したかったのだ。

だから長く旅に出ようと思っていた。

具体的にいうと、僕は「」単位になると考えていた。
ゆっくりとこれからのことを考えていく旅だと。

だから、大阪でいろんな事をギセイにして捨ててきた。
そうしないと、長く旅に出るケジメがつかないと思ったからだ。

けど、旅はたった3ヶ月であっけなく終わってしまった…。

僕が、途中で病気にかかってしまったからだ。

大阪に戻って手術しなければならなくなり、一旦、旅を中断させた。
はじめは、病気が治ればすぐに旅を再開させようと思っていたが、思ったより重い病気で、半年ほど家で療養しなければいけなくなり、その間に、二人とも周りの状況や、各々の考えが変わってきてしまったのだ。

結局、優作はもう旅には出ず、大阪で精力的に音楽活動を続けることになり、僕はといえば何事もなかったように、いつものお仕事“弾き語り”に戻っていったのだった。

なんだかなー。
優作にとっては、ちゃんと音楽がんばっていこうと決めれたわけやから旅が終わってよかったけれど、僕はなんなんやろう。結局、元のさやに戻っただけだ。
それも、旅を中断させてしまったという心残りを強く強く残したまま…。

その後も、僕はずっと、旅の不完全燃焼に執着しまくっていた
この旅をちゃんと完結させなければと。

そして、なんだかんだで2年後の2002年。

僕は一大決心をした。
やっぱり、今度は一人でもいいから、もう一回旅をやり直そうということで、またあのポンコツ車に乗ってひとりぼっちで旅を再開させたのだ。

この旅は、鹿児島から北海道まで、半年間続いた。

なにせ、僕はそういう旅を2回している。
旅をして何か変わったかと言われると、いまもずっと同じ仕事を続けてるだけに、なんともいいにくいが、後悔だけはしていない。
若いうちに、そういう人がしていない貴重な経験ができたことに関して、すごく誇りに思っている。

二つの旅の詳しいエピソードなどは、またおいおい話していこうと思う。
ほんと、いろいろあってんから…。(苦笑)

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2006年7月29日 (土)

覚悟

優作(前回の文参照)との旅は、短かったけど、今思えば出発前からほんとにワクワクして、毎日が刺激的で異様にたのしかったなあ。
楽しいことは全部2倍、辛いことは全部はんぶんこやったもんなあ。

僕は当時、本気でこう思っていた。

死ぬ時は二人一緒。
同じ死ぬなら、この旅中に死にたい。

と。(ホモじゃないわよ。うふっ)

なにせ、こういう強い想いを何かの形で優作に伝えたくて伝えたくて、考えに考えぬいた結果、出た答えが、旅の初日野グソをするということだった。なんで?(笑)

「優作、よく見とけよ!
この旅は長くなんねん。サバイバルや。
このぐらいの覚悟がないと旅なんか続けられるか!」

そういって僕は、広島の夜の街なかの草むらに走っていき、豪快にパンツをおろした。

おろしたとはいっても、さすがに僕も生まれてはじめての経験。なかなかコトがすすまない。

とにかくがんばってやっとコトが終わりかけた時、一組のカップルが、その名のとうり“う○こ座り”の僕の前を通り過ぎた…。

もちろん、目が合う…。

もちろん、カップルの目線がゆっくりと下へむかう…。

もちろん、僕のあらわな下半身を通過し、生まれたての僕の分身とも、がっつり目が合う…。

ああ、死にたい。
旅中とはいわず、今すぐ死にたい…

その後カップルは、今目の前で起こった出来事を笑い飛ばし、「ありがとう、今日のデートの一大クライマックスだ」と言って僕と握手をかわす

なんてことはもちろんせずに、今起こったことを現実としては受け止めず、何も見てないし、何もなかったかのような顔で通り過ぎていった…。

とにもかくにも、人生初の野グソを終えた僕は、顔をまっかっかにして、その場から逃げるようにして優作のもとにかけよった。

僕が戻ってくると優作は、「なるほどなあ、これが覚悟かあ」というような顔で、妙に納得して、妙に感心しきりたおしてた。

・・・・・・・・・・・・・・。

こんなんでいいのか?アホ2人!!

以上。

きたない話ですいません。

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2006年7月31日 (月)

島田S助さんとの出会い

さあ、そろそろ本題に入ります。

今年の2月の初めのある日、僕はいつものように仕事をこなしていた。

僕はいつもお客さんがいない時は、歌を歌っている最中だろうがそうでなかろうが、目の前だけでなく、なるべく360度すべての方向に意識を配るように努めている。

いつどこから人が現れて、いつどこで人が僕の歌を聴いてくれているか分からないからだ。

その時は、歌っている最中、左斜め後ろから人が歩いてくる気配を感じた。

歌いながらも、ちらりとそちらに目線をやる。

いつもの行為だ。

そして、いつもは、瞬時にその人が歌を聴いてくれそうな人かどうか判断する。
こちらから声をかけるためだ。

そう、世に言う「タカユキコンピューター」始動である。

ピーピッピピー、カチカチ…。

ロックオン。

さあ、今回の標的はどうだろう。

ん?あっ!!
そんなしょうもない事言ってる場合ちゃうわ。
こりゃ、えらいこっちゃ。

S助さんだった。

あの島田S助さんがお連れの方2人とこちらに向かって歩いていたのだ。

前にも言ったが、ここは高級飲み屋街ということもあり、今までも有名人の方は数え切れないくらい通ってるし、その中の何人もの方に歌を聴いていただいている。
だから、そこまで興奮したり、緊張したりすることもなくなってきていた。

しかし、S助さんは別格なのだ。

僕の中で、明石家さんまさんと、ダウンタウンと、島田S助さんは小さい頃からほんとに超スーパーヒーローだったのだ。

さあ、どうしよう。

ああ、ドキドキする。

歌、聴いてほしいなあ。

よく見ると、S助さん急いでる様子で、少し早歩きだ。

ただ、僕の歌には明らかに気づいている。

とりあえず、勇気をだして、声をかけてみる。

(こういうふうに有名人が通った時、僕はほとんどその人の名前を呼んだりしないようにしている。
なんだか、ただのミーハー根性だけで声をかけていると思われたくないからだ。)

「あの、一曲どうですかっ!
なんか、お好きな歌があったら言ってください!」

目が合う…。

S助さん
「あー、ごめんなさいねー。
今ちょっと急いでるんですよー。」

うわっ、ちゃんと反応してくれた。
しかも、敬語や。すげー。

けど、まあ残念やけどしゃあないわな。
急いではんねんもんな。
ちゃんと応対してくれただけでも、よしとしな。

S助さん
「あー、けどやっぱり一曲聴きたいなー。」

え?

そして、連れの方に聞いた。
S助さん
「なあ、少しだけ時間ない?
俺、やっぱり一曲だけ聴きたいわ。」

ただいま朝の7時。
めちゃくちゃ眠くなってきてしまいました。
また、ちゃんと急いで続き書きますんで、やっぱり今日は眠らせてもらいます。
ほんとにごめんなさい。

つづく…。

 

「島田S助さんとの出会い2」

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